第二話 Mime,The adjuster ~均す者『マイム』~
――世の常が成り立ち、大地に生気の潤いが浸透した頃。
暗闇の騎士団長はやがて訪るであろう災厄の時に備え、神に変わり英雄達へ命じた。
「永き常が揺れし時、人の中より出るであろう「穢火の長」を見つけ、正しくせよ」と。
武に優れた英雄達を「王都アルカレイア」へ召還し、騎士団長が自ら揮う「黄昏旅団」を結成した。
そして旅団は各地へ拡散し、穢火狩りを開始した。
穢火狩りとは、火を拝み水に背く小人達が長を作るより早くその者達を正しくするという神聖な行いである。
戦士たちは、火を拝み女神へ背き異の端を食む哀しき者共を次々に正しくし、その身体から切り取った耳を祭壇の端にある聖なる壺へ納めた。
とりわけ耳を多く捧げし者は神より勇者の称号を賜り、偉大なる名誉を持つ戦士として讃えられた。
その中の一人である『マイム』は、最も大いなる栄誉を賜った者として、乾いた果ての地の先にある「岩の谷」を監視する任に就くと共に、自らの私兵を扱うことを許された。
マイムはその私兵団の長を任された時に神へ「平を成し、谷を均さん。人を直し、世を常とする」と言った事から、マイムを含むその私兵団は後に【均す者達】と云われ、数多の小人達を守護したという――
矢の羽根に手を触れた。
岩のようにそれは固かったが、撫でるだけで崩れてしまうくらいに脆い。
だがその矢の体は依然として芯を保ち、決して折れることのない強度を持っている。
このまま永く眠るというのは、あまりに酷だ。
せめて遺した戦士として弔えるよう、その深く突き刺さった矢へと両手を掛けた。
無礼だとは思いつつ彼の跪く大腿へ足を掛け、ジリジリと力を込めて引き抜いていく。
足元に多くの物が流れていく。
だがそれは血ではなく、何一つとして澱みの無い美しい水だった。
鎧の背で矢じりが引っかかる。
そこで思い切り力を入れると、水のしぶきを上げながら矢は抜けた。
抜いた矢を右に置き、その身体を寝かせようと背中に回った時――
(…!)
――ゴゴゴゴゴゴ…!
跪く脚が動き始め、背が直ってゆく。
立つと上を向き、青い空を仰ぐ。
すると彼は振り向き、私がいる方へ向いた。
透かすように私を見下す兜。
面と面が向き合う沈黙が続く。
察したように私は背負っていた盾を左手に持ち、直剣を右手に持った。
すると彼も後ろに刺さる大剣を片手で引き抜き、両手で胸の前に掲げる。
そして徐々に左の足を後ろへ下げつつ、私の方へ構えを向ける。
「貴公は…」
私の問いかけも虚しく、彼は大剣の先を私の方へ向けた。
互いに距離を取りながら前へと睨み合う。
私は盾を構え防御の姿勢を取りつつ、彼は両手で構え踏み込む機会を伺っている。
圧倒的な対格差はあれども、この状況で引き下がるという選択肢は無い状況に焦った私は、先に仕掛けた。
――シュダッ……ヒュンッ!
足元へ一気に駆け込み縦に剣を振るうものの、その身体には見合わない速さで彼は横へ動きかわした。
そのまま追撃しようと今度はスネの部分へ横に剣を振るうが、それも速く美しいステップで後方へと避けられた。
私の身体二つ分の距離が両者に空けば、彼は両手に持った剣を思い切り振るい上げ、一気に地面に落とした。
――ズダァァアン!!
強烈に重い一撃が視界を揺らし、地面を叩き割る。
鉄塊が勢いよく上から下に振るわれるその動きはもはや落雷と言っても過言ではない威力を持っている。
間一髪で左に避けきれたが、おそらくあれに当たっては盾を構えようが致命は免れないだろう。
――ガガガガ…ズァアン!!
そのまま地面を抉るように引きずりながら、私のいる左側へと剣を横に振るう。
動き始めから呼んでいた私は前へローリングし、すかさず正面からして彼の左横脇へ剣を振った。
――ガギィン!
しかし、目にも止まらぬ速さで剣を地面に突き刺し、私の剣は遮られた。
剣と剣が派手にぶつかり火花を散らし、その大きな鉄塊から伝わる反動が直に伝わり、腕全体にもげるような痛みが走る。
そしてその次、一瞬の間に彼は剣から手を離し、空いた右腕で私の身体を払った。
――バシュンッ! ガッガガ…!
私は宙を浮き、大地へと叩きつけられた。
三回ほど身体が弾むとそのまま転がり、端にある壁にぶつかった。
全身の骨という骨が砕かれる痛みが響き続ける。
足は外へと向き、腕は後ろに向いたまま戻らない。
動くことも出来ずに、喉が壊れたせいか、声を上げるのはおろか息すら出来ない。
――ドシンッ…! ドシンッ…! ドシンッ…!
重々しい音を立てながら走り、私の下へ剣を向けながらやって来る彼。
動けない私はただ黙ってその死の音を聞くことしかできず、ついに彼は飛びあ上がり、私の腹を狙わんと頭上から落ちてきた。
――ザシュゥウッ!!!
特大の剣は私を地面に磔にし、腸を潰す。
悶えることも声を上げることも出来ず、ただただ苦しい。
その剣が引き抜かれると共に私の臓物もズルズルと引き出され、目の前へ散乱した。
視界はやがて黒く染まり始め、流れる血の熱さも感じぬまま私は、死んだ。
雲一つない青い空の下、私は立っていた。
枯れた木々は干からびた大地へと根を伸ばし、乾いた風に烏が鳴く。
(これは、一体…?)
最初に居た棺の傍に私は立っていた。
これは一体どういう事なのだろうか。
先ほど私はあの巨人に抉られ、死んだはずだ。
それなのにどうしてか、こうして生きている。
夢でも見ていたのだろうかと考えてみるが、それは信じ難い。
巨人に殺される際の内臓が引き抜かれる感覚も、それこそその前に首を切り落とされた際の一瞬だけ全身へと広がる痺れるような感覚も、全て生々しく覚えている。
これが呪いの類なのだろうかは分からないが、少なくとも生きているのであれば先に進むこと以外道は無い。
あの場所へ戻るよう、私は駆け足で例の教会へと向かった。
あの大扉も開いたままで、中に空いた大穴もそのままだった。
しかし、大穴の上から覗くと先ほどの巨人は初めて見合わせた時と変わらずして、大剣を杖に跪いていた。
まるで、時が巻き戻っているかのように。
しかしそれでは私が動かした数々の物がそのままである事は一体…。
ともかく、下へ降りよう。
私は大穴の手前から、勢いよく飛び降りた。
相も変わらず私が下りてきても巨人は跪いたままであったが、先ほど抜いた大矢はそのまま地面に転がっており、私が前に立っていても巨人は動かずに下を向いている。
ますますこの奇妙な状況に混乱し始めるが、そこら辺の疑問は一度置き、巨人が動かないと分かった以上、如何にして彼を倒すかを思索する。
私は兜の顎を撫で始めた。
まずは前に立っていても動かないという事だ。
大矢が刺さっていないという条件は違えど、これは死ぬ前の状況と同じだ。
そうすればやはり、後ろに立てば彼は動き始めるのだろう。
正面から思い切り彼の首へ剣を突き立てれば、あるいは…。
だがそのような邪な方法を用いて彼と相対するは、私の道に反する。
だから、彼の攻撃を分析していく他あるまい。
間合いを取った際の振り上げからの強烈な叩きつけ、そしてその際に剣のいずれかの方向に居ればそちらへ振るい、私から見て左の横脇に居ればもれなく私の一撃は受け止められ、空いた方の手を使って払いのけてくる。
これらの一連の行動を把握したうえで、もう一度彼へ挑んでみよう。
だが二度として彼へ挑み死ぬともなれば…その時はまたこのようにして生き返れる事を願うしかあるまい。
ゆっくりゆっくりと、今度は確固たる闘志を持ちながら彼の背中へ近づき、立った。
思った通りに彼は動き出し、地面に刺さる剣を引き抜いて、私の方へその大剣の先を向けた。
先と何も変わらぬこの状況に、少しの勝機を見出せるような気がした。
まずは攻撃を誘うため、同じように彼との距離を開けた。
――ズダァァアン!!
僅かも変わる事も無く重い一撃が地面を叩いた。
そして同じく間一髪で、今度は彼が振るいあげてからすぐに動いたので、先より少し遠い位置にいた。
この時私は、私から見て彼の右側に居た。
――ガッガガァァ…ズァアン!!
先ほどとは若干違う動きで、今度は片腕で払いのけるように右斜め上へと大剣を振るった。
離れている為に当たる事は無いが、同時に私も近づける距離を失った事を意味する。
するとまた彼は両手で大剣を上へ振り上げたので、すかさず後転して回避に移った。
――ズダァァアン!!
この大きな振りは確かに強力だが、今のように見てから容易に動けることが分かった。
次は左に居たので、横脇に回り込むこともせずにさらに二回ほど後転した。
――ズダァァアン!!
距離を離せばこの重い斬撃が来る。
だが、この振りは同時に距離を詰めてくる。
剣先を支点に身体を一気にこちら側へ寄せてくるのだ。
私が後ろに下がれば、
――ズダァァアン!!
また下がれば、
――ズダァァアン!!
容赦なしに振り下ろしてくるので、下がれば下がるほど置かれる状況は悪化の一途を辿る。
体力もそろそろ底に近づき始めていて、これではいつまで経っても決着を付けられない。
(何か、一体どうすれば…?)
そう言えば、まだ試していない事が一つあった。
彼が左手で剣を振るった時に横脇へ転身した事が無い。
――ズダァァアン!!
もう何度目か分からぬ振り下ろし。
だが、今度は悪運が強いのかどうか、私の側スレスレに剣は振り下ろされ、尚且つその右側に居た。
(今だ!)
剣の根本から彼の右の脇に回り込み、盾を投げ捨て思い切り両手で剣を突き立てた。
――ドシュッ!
彼の体格からして決して大きくは無いが、しっかりと私の剣は鎧を抜けて突き刺さり、彼の身体へ二つ目の大穴を開けた。
渾身の突きはどうやら致命だったようで、彼は右手に剣を持ったまま跪き、最期には地面に倒れた。
何も言わずに倒れた彼の身体からはやはり大量の清い水が流れ出した。
徐々に彼の身体は水に溶けるかのように無くなっていき、残ったのはこの美しい水と、身に着けていた重い鎧と毀れた刃の大剣だった。
彼の巨体で見えなかった奥の方に、教会にあった物と同じような大きな扉が向こう側に見えた。
だがすぐには向かわず、少しだけここに留まった。
私を一度亡き者にしたその武勇と、私が彼を殺したという罪に即して、冥福と贖罪を。
「…この世と神、そして貴公に祝福有れ」
私は目を瞑り、エクエ様に祈った。
心なしか前に溜まる水が少し輝いているように見えたのは、気のせいだろうか。