第1話 豆のスープ
ウルジス大陸中部に位置するサンクオル自治領。
その領内の小さな農場に、ふたりの男の姿があった。
「なんで兵士のおれが、こんなことをしなきゃいけないんだよ……」
小さな鎌を手に、草を刈る男の口から、不満の声が絞り出された。
男の名はアルン・カートライエ。
金色の髪が汗で濡れ、きらきらと輝く。もたげた顔は、まだ少し幼さを残している。
アルンはサンクオルの兵士だが、農場の人手不足のため農作業に駆り出されていたのだった。
「まあ、そう言うな。亜人や盗賊の相手をするよりはマシだろう?」
そうアルンを諭す、もうひとりの男の名はベルシュ・ドルトン。
アルンとは違い、骨格の逞しい精悍な男である。
ベルシュもサンクオルの兵士だが、経験豊富で人望も厚く、若いアルンの面倒を見てやっていた。
「はあ……はあ……農場で働くのが嫌で、兵士になったのに……」
アルンの額に浮かぶ汗の粒に、青い空が映し出されていた。
ふたりが農作業の手伝いを終えたころ、青かった空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
アルンは小さな木箱に、ベルシュは大きな樽に腰かけ休んでいると、そこへ農場主の婦人が、何やら両手に持って近づいてきた。
「こんなものしかないけど、食べていきなよ」
差し出されたのは、木製の器に入ったベンズ豆のスープ。見るからに硬そうなパンが一切れ、添えられていた。
農民の一般的な食事といえるが、農作業の手伝いの男たちに出すにはいささか粗末で、量も不十分に見える。
「戦争で旦那が死んでから、農場をやっていくにも精一杯で……」
そう申し訳なさそうに話す婦人の話を、ベルシュがさえぎった。
「せっかくのスープが冷めちまう」
「ああ、そうだね」
婦人が去っていくと、二人は食事にありついた。
硬いパンを噛み千切る音が、農場に吹く青臭い風にかき消される。
「この農場も昔はもっと広かったんだけどなあ」
ベルシュが手を止め、口を開いた。
アルンはよほど腹を空かせていたのか、黙々と食べ続ける。ベルシュは続けた。
「戦争が終わってやっと生活が楽になると思ったら、そうじゃなかった」
ベルシュは木製のスプーンで豆をすくうと、それをじっと見つめる。
「貴族たちは豆のスープに飽きるなんて経験、したことがないんだろうな」
自分のぶんを食べ終えたアルンは、ベルシュの話を黙って聞いていた。
サンクオルは、5年前まで隣国カナンディラと戦争状態にあった。
カナンディラ・サンクオル戦争と呼ばれるその戦争は、嵐のように過ぎ去っていった。そしてその爪痕は、今もこの地に生きる人々を苦しめ続けている。
夫を亡くしたもの……息子を亡くしたもの……アルンも、サンクオルの兵士だった父を亡くしていた。
新しい領主は政治に関心がなく、貧しい農民たちの苦境を訴える声は、貴族たちがひらく晩餐会の、賑やかな音に溶けて消えた。
人々の不満は、静かにこのサンクオルの地を満たしつつあった。
「日が沈む前に、警戒所に戻るぞ」
ベルシュがアルンにそう声をかける。
二人は、詰めているフォルタン亜人警戒所に戻るため、農場を後にした。