洞窟の中で出会ったケモノ
「何か、動いたような?」
薄暗い部屋の奥へと向かっていたハロルドは、その背後に何かしら気配を感じて振り返っていた。
しかしその先には気になるようなものは何もなく、ただただ天井から水滴が滴り落ちているだけであった。
「ハロルド、どうかしたの?」
「・・・いや、何でもないよアイリス」
足に纏わりつく粘液のために、ハロルドの後ろで遅れがちになっていたアイリスは、いつの間にか追い抜いてしまっていた彼に、不審を感じてその足を止めていた。
彼女に何があったのかと尋ねられても、ハロルドはそれをうまく説明する事は出来ない。
諦めた説明に彼は首を振ると、彼女に何でもないと笑いかけていた。
彼がもし感覚に優れていたか周囲を探る技能に長けていれば、そのいつの間にか増えていた不自然な水溜りに気づいたかもしれない。
しかし彼は魔法使いだ。
そんな彼にそれを気づけというのは、酷というものであろう。
「さぁ、先を急ごう。あまり長い事、あいつを一人にはしたくない。何をするか分からないからね」
「あははっ!そうだね、急ごうか」
部屋の様子から、この部屋もこれまでと同じ敵のいない場所だと感じられた。
そんな場所であっても、あの落ち着きのないクリスであれば何かやらかすかもしれない。
その思いを共有するハロルドとアイリスは、軽く笑みを見せるとその足を急がせていた。
「おーい!お前ら早く来いよー!早く来ないと一人で、って・・・っとと」
中々やってこないハロルド達に、クリスは痺れを切らしたように声を上げる。
薄暗い部屋の中では、彼の姿はシルエットでしか見えない。
しかしそのシルエットは、なにやらもぞもぞと蠢いているようだった。
「ちょっと待て、クリス!なにか変な事をやろうとしてるんじゃ―――」
「ひゃっほーーー!!!もう待ちきれないぜーーー!!」
クリスの発言に、何やら不審なものを感じたハロルドが彼を制止する言葉を叫んでも、それはもう遅い。
どうやら衣服を脱ぎ捨てていたようだったクリスは、それを終えると一目散に目の前の空間へと飛び込んでいく。
その姿に慌てて駆け寄ったハロルドが手にしたのは、彼が巻き上げた盛大な水飛沫に濡れる、自らの身体だけであった。
「ひゃー、冷たく気持ちいいー!!ハロルドー、お前も早く来いってー!気持ちいいぞー」
「・・・僕は今、物凄く不快な気分だけどね」
クリスが飛び込んだ先は、広大な地底湖であった。
そこを素っ裸で泳ぎまわるクリスは、心底気持ちがいいとハロルドもそこに誘っている。
彼が巻き上げた水飛沫によって濡れてしまった眼鏡を拭っているハロルドは、それを掛け直すと底冷えする声でそれに返事を返していた。
「わー、綺麗!地底湖?」
「・・・そうみたいだね。結構広そうだ」
纏わりつく粘液のためにハロルドに置いていかれていたアイリスは、結果的に彼が被った被害を逃れる事に成功していた。
彼女は目の前に広がる地底湖の雄大な姿に目を輝かせると、感嘆の声を上げている。
水に濡れた様子のない彼女の姿に、一瞬羨ましそうな目を向けたハロルドは、服の裾を絞って水を落としながら彼女に自らの見立てを伝えていた。
「ふ~ん・・・よっと、これでようやく足を洗える」
「ア、アイリス!何かいるのか分からない、安易に足を浸けるのは危険だよっ!?」
「ひゃあっ!?つ、冷たい・・・あー、でも気持ちいいかも」
ハロルドの言葉に気のない返事を返したアイリスは、身体を傾けては自らの履物を脱ぎ始めている。
その動きに彼女がこれから何をするのか察したハロルドはそれを止めようとするが、彼女はすでにその両足を湖へと浸ける所であった。
「ん?ハロルド、何か言った?」
「・・・いいや、何も」
「そう?」
両足を湖へと浸け、その足に纏わりついた粘液を洗い流したアイリスは、気持ち良さそうに水の冷たさを楽しんでいる。
彼女のその姿を目にしては、ハロルドにはもはや何も言う事は出来ない。
先ほどの発言について尋ねるアイリスの言葉にも彼は首を横に振るばかり、そんな彼の姿に彼女は不思議そうに首を傾げていた。
「おーい、お前も早く来いよー。どっちが底まで行けるか、競走しようぜ」
「・・・遠慮しておくよ」
アイリスの気持ち良さそうな姿に感化されたハロルドは、自らも履物を脱いで湖へと足を浸けている。
そんな彼に泳いで近づいてきたクリスは、彼をしつこく湖へと誘う。
その馬鹿な言動に、ハロルドは冷めた瞳で拒絶を告げていた。
「こっち来ないでよ、クリス。服が汚れるから」
「何だよ、俺は邪魔者かよ!?ちぇ・・・もういいよ、一人で行くから」
足についた粘液洗い流しても、履物やその下に纏っていた衣服についた汚れは落ちてはいない。
それらを湖に浸けて洗い始めていたアイリスは、近づいてくるクリスに渋い顔を見せると、追い払うように手を振っていた。
「水が入らないように、っと・・・はぁ~・・・んっ!」
水が耳に入ってしまわぬように唾を着けた指でそれを塞いだクリスは、大きく息を吸い込むと湖へと潜り始める。
(ん?何だあれ・・・何か、奥の方で動いたような?)
薄暗い部屋の中では、湖の中も見渡せはしない。
それでも湖の中の壁や地面もほんのりと輝いて、普通の地底湖よりは視界は効くように思われた。
その中でクリスは、何か大きなものの影を捉えていた。
それはあまりに巨大で、彼にはそれが見間違いだと思えてしまう。
しかし果たして、それは本当に見間違いだろうか。
いいや違う。
それは―――。
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