別れを告げる者達
部屋の中に自然と出来ていた道を通り、自らの席へと腰を下ろしたカイは、それがすぐさま塞がれるさまを目にして、僅かに肩を震わせていた。
見れば、皆一様に真剣な表情をしている。
彼らの顔を一通り眺めたカイは、誰も口火を切ろうとしない状況に、渋々ながら重たい口を開く。
「えー・・・それじゃあ、誰から話してもらおうか。そうだな―――」
「私からでよろしいでしょうか、リンデンバウム様?」
「あぁ・・・メルクリオ、君からか。どうぞ」
身に着けている物がその人を現すならば、横並びに整列した集団から一歩前に進み出てきたその男が、この中で一番裕福であり美的センスにも優れていることだけは分かる。
メルクリオと呼ばれた背中に翼を生やした男は、上等な衣服を身に纏っている者が多いこの場にあって、はっきりと違いが分かるほどに上質な物によってその身を固めていた。
彼は笑顔を作ることによってずれてしまったメガネを、そっと元の位置に戻すと、再びカイに対して笑いかけていた。
「リンデンバウム様。大変申し訳ないのですが、私はここに残らさせてもらいます。理由としましては―――」
「あぁ、それは言わなくてもいい。君は元々、稼げそうだからと私の下に来たのだったな。それがあんな辺境にまでついて来る訳はない、当然の判断だよ」
鳥人の男、メルクリオを凄腕の商人であった。
元々、鳥人は亜人の一種として人類の圏内で生活しており、主にその翼を生かして空輸業を営んでいた。
彼らの生業はその速度と確実性から、政府間のやり取りなど重要な物品を多く扱っていたが、そこに目をつけたメルクリオは、その情報を一手に握ることで莫大な富を築く事に成功する。
しかしそんなことがいつまでもうまくいく筈もなく、彼らの情報を悪用していることがばれた鳥人達は、人類圏から排斥されてしまう。
メルクリオはそんな鳥人達を保護する立場の男だ、それがカイについて辺境にまで足を運ぶ訳にもいかない。
「ご理解いただき恐縮でございます。つきましては、魔王様への口添えも遠慮願えればと。私にも、それなりの伝手がございますので」
「そうか。分かったよ、メルクリオ。今まで良く仕えてくれた」
カイに付き従うことを拒んだ挙句、その最後の思いやりを拒んだメルクリオに周りの者達、特にヴェロニカが彼を睨みつける。
それも彼の言葉を快く受け入れた、カイの声が響くまでだ。
それによって多くの者が表情を和らげる中、ヴェロニカだけが厳しい表情を崩すことはなかった。
「こちらこそ。良い商売が出来ましたこと、お礼申し上げます。それでは、私はこれで失礼いたします」
「あぁ・・・いつかもう一度君と取引できるよう、向こうに行っても努力しなくてはな」
「ふふふ・・・その時を、楽しみにしております」
ダンジョンが順調に発展し、そこで取れたものを使って商売するという、ささやかな未来を思い描きカイは去り行くメルクリオに声を掛けていた。
その言葉に扉に手を掛けたまま振り向いたメルクリオは、妙に意味ありげな微笑を浮かべて退室していく。
その仕草に、カイはただただ首を捻るばかりであった。
「なんだったんだ・・・?えーっと、じゃあ次は」
「俺、というか俺達だな」
「アルバロ、それにディエゴとフェルナンか。君達は兄弟だから、一緒に行動するのは当然だな。それで?」
メルクリオの意味ありげな振る舞いに疑問の声を漏らしたカイは、次の発言者を求めて視線を巡らせる。
その仕草に前へと進み出てきたのは、精悍な顔つきをした若者であった。
彼の種族がオークであるという事は、そのピンク色の肌と若干上向いた鼻を見なければ分からないだろう。
それだけ、目の前のアルバロと呼ばれた若いオークは、屈強で精悍な面構えをしていた。
「大将には悪いが、俺達もここで抜けさせてもらう」
「・・・そうか。理由を聞いても?」
弟であるディエゴとフェルナンを引き連れて前に進み出てきたアルバロは、沈痛な表情を隠そうともしていない。
彼の表情を見れば、その口から出た発言には驚きはない。
それでも彼らがここに残りたがる理由が思いつかなかったカイは、その訳を控えめに窺っていた。
「・・・実は今朝、妹から手紙が届いた」
「兄貴!?それはっ!」
「お前は黙ってろディエゴ!!」
一瞬逡巡する仕草を見せたアルバロは、何かを決意すると懐から一通の手紙を取り出す。
それを目にした弟のディエゴは、慌てて彼の肩を掴んでそれを制止しようとしていたが、それは兄の一喝によって一瞬の内に蹴散らされてしまっていた。
「あーっと、その・・・プライベートな事なら、無理に見せなくてもいいんだぞ?」
「いや、いいんだ。大将の力を借りなければならなくなるかもしれない、だから知っていて欲しいんだ」
彼らの振る舞いに何か嫌な予感を感じたカイは、遠回りにそれを見たくはないと意見を表明する。
しかしそれはアルバロに伝わることはなく、彼は神妙な面持ちでその手紙をカイへと差し出していた。
「あ、うん。そう、そうね・・・分かった」
(えー・・・?俺の力を借りるかもしれないってどういう意味よ?これから辺境に行くんだよ、俺。それなのにここに残るアルバロを助けられるって、どんな超人だと思われてるんだ・・・いや、ほんとに)
アルバロの言葉にさらに気を重くしていくカイは、差し出された手紙を嫌々ながら受け取ると、その内容に目を落とす。
「あー・・・ん?これは読めないぞ、オークの言葉か?」
「大将、大将!」
「あぁ、そうだったな」
手元に広げた手紙の中には、意味不明な記号の羅列が並んでいる。
それを目にして眉を顰めたカイに、アルバロが慌てた様子で手を差し出していた。
その仕草に自らの力を思い出したカイは、彼の手を握ると能力を発動させる。
「さて、どれどれ・・・『前略、アルバロお兄様へ。山の緑も芽吹き始めるこの頃、いかがお過ごしでしょうか?』ね。中々、情緒溢れる書き出しじゃないか?」
「そこらへんは、飛ばしていい大将。最後の方・・・そう、その辺りを呼んでくれ」
能力を発動させたカイは、アルバロそっくりな姿へと変異している。
ドッペルゲンガーの力は、姿を盗んだ相手の技能をある程度模倣する。
そのため今の彼の目には、オークが使う文字がすんなりと読めるようになっていた。
「ん、ここか?どれどれ・・・『昨夜、立派な鶏冠を持った雄鶏が息を引き取りました。ですのでお兄様、ディエゴ兄とフェルナン兄も連れて至急お戻りください』って、これは・・・それほどの事か?」
「それは符丁だ。親父が死んだという、な」
アルバロの指定によって、手紙の最後の方の部分へと目線を動かしたカイは、その内容を読み上げる。
しかしそこに書かれていた内容は、日常のちょっとした出来事に過ぎなかった。
その出来事と、その後に続く帰郷を急がせる内容のギャップにカイが首を捻っていると、アルバロがポツリと言葉を呟いていた。
それは手紙の内容を補足する言葉だ、その内容に周りの者達もざわざわと騒ぎ始める。
「それは、大事だな。確かお父上は、多数のオークの一族を束ねる大族長だったのではなかったかな?」
「あぁ、親父がやっとの思いで島を統一したんだ。それが死ねば、また戦乱の時代に逆戻りしてしまうかもしれない。俺達が、それを止めねば」
彼らが故郷ホワイトホール島は、数百年間争いを続けていたオーク達の島だ。
それを彼らの父である、ヘラルド・ミラモンテスがようやく統一したばかりであった。
偉大なる彼が死ねば、統一して間もない島は再び戦乱の時代へと舞い戻るだろう。
彼の子であるアルバロ達には、それを止める義務があった。
「それは、止められないな。だが、約束してくれアルバロ。それにディエゴとフェルナンも。必ず生きて帰ると」
「あぁ、必ず。戻って来る時は、オークの一軍を引き連れていく。その時は凱旋式でもやってくれよ、大将」
「・・・その時を楽しみにしているよ」
役割の終えた手紙を折り畳んでアルバロへと返却したカイは、自らの姿を元のものへと戻す。
いつもの黒髪の男性の姿へと戻り、どこか安心したように息を吐いたカイは、足早に立ち去ろうとしていたアルバロに声を掛けていた。
それは彼の悲壮な覚悟を読み取ったものであろうか、カイの声にその表情を崩したアルバロは、冗談めかして唇を吊り上げる。
その言葉に、カイも薄く笑みを返していた。
「行くぞ、お前ら!」
「おぅ!」
「あぁ」
カイとのやり取りによってその表情から悲壮さの消えたアルバロは、強い決意を秘めて歩みを進めていく。
その後ろを、二人の弟達が付き従っていた。
(えぇ~・・・俺、そんな大事を手助け出来ると思われるの?いやいやいや、無理でしょそれは!確かにさぁ、親父さんの事は一回助けたことはあるかもしれないけど・・・それも偶々だし。もう一回やれって言われても無理だって!!良かったぁ、これから辺境に行くことになって。それなら遠くにいて手が出せなかったって、言い訳できるしな)
立ち去っていった彼らに軽く手を振っていたカイは、表情に出す事なく内心胸を撫で下ろしていた。
戦乱の終結など、彼の手に余るというどころの話ではない。
それに関わらずに済みそうな状況に、彼は今回の辞令へと密かに感謝していた。
「さて、他には・・・いないのか?」
とんでもない厄介ごとを運よく回避できそうな状況に、安堵の吐息を漏らしたカイは、他にもここに残る者は居ないかと視線を巡らせる。
しかしその目には前に進み出る者の姿は確認できず、彼の尋ねる声だけが空しく響いていた。
「・・・僭越ながら、カイ様。ウーヴェを連れて行くのは、難しいのではないでしょうか?」
カイが周りを見渡す動作だけが空しく繰り返される部屋に、妖艶な声が響く。
集団から一歩前に進み出てきたヴェロニカは、その視線を窓の外へと向けていた。
「あぁ・・・確かにウーヴェを連れて行く訳にはいかないな、パニックになってしまう。そういう訳だ、ウーヴェ。君はここに残ってもらえるか、魔王様にはよく言っておく」
ヴェロニカに視線につられて窓の外へと目をやったカイは、そこに巨大な顔面の姿を目にする。
それは圧倒的な体躯を誇る、巨人族のウーヴェのものであった。
巨人族は確かに巨大な体躯を誇るが、それは彼ほどのものではない。
彼のそれは明らかに異常であり、その体躯はただただそこにあるだけで周りを怯えさせるだろう。
魔王の支配下ですらそれなのだ、人類の支配する領域に彼を連れて行けばどうなるだろう、想像にするだけでも恐ろしい。
「う、うん。おらなら、平気だぁ」
「助かるよ、ウーヴェ」
カイの言葉にあっさりと頷いたウーヴェは、ゆっくり振り返るといつもの待機場所へと帰っていく。
その足取りはとても慎重で、ゆっくりとしたものであった。
それは彼が自らの重さによって、周りに被害を与えないように配慮しているからだ。
優しい彼の姿に笑みを作ったカイは、残った部下達に視線を巡らせる、それに反応する者は誰もいなかった。
「さて、他にはいないな?残った者は、ついて来るって事でいいんだな?よし!では私は魔王様に挨拶に行ってくる、アルバロ達やウーヴェの事もお願いしないといけないしな」
動きのない部下達に視線を巡らせて、その意思をしつこく確認したカイは、机を叩いて締め切りを告げると足早に出入り口へと向かっていく。
彼のその行動には、このプレッシャーから一刻も早く解放されたいという思いが如実に表れていた。
「っとと、そうだ。出発は明日の・・・そうだな、昼食後にしよう。それまでに、準備を終えているように」
手を掛けた扉に、これからの予定を決めていなかった事を思い出したカイは、つんのめった身体を傾かせて、明日からの出発を告げる。
その言葉に部下達はただただ頭を下げて、了承の意を示していた。
彼らのその姿を目にしたカイは、そのまま扉を開けて部屋の外へと足を運ぶ。
その足取りは軽く、表情も明るいものであった。
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