大魔王
「あの子が、目覚めるよ」
「くすくすくす。えぇ、そうね。ねぼすけなあの子が、ようやく目覚めるの」
その暗い部屋には、明かりが全く差し込まず、何も見通すことが出来ない。
しかしその響き渡る声に、そこが相当な広さを持った空間であることが分かる。
そこから聞こえてくる声は、無邪気な少女のようにも疲れきった老婆のようにも聞こえた。
「・・・それは、いつの話しだ?」
そして今、響いた声は殊更に重い。
その重々しい声は、この広い空間を余す事なく押し潰すように響いている。
それはそのボリュームが囁くような小ささにもかかわらず、まるでそんな物理法則など無視するかのように、この空間を塗りつぶしていた。
「もうすぐよ、もうすぐ」
「でも、どうかしら?この前目覚めたあの子は、貴方達の時間では百年前?千年前だったかしら?」
「お姉様。そんな話、私には分からないわ」
「えぇ、そうね。私達には、そんなこと関係ないわね。もうすぐよ、もうすぐ。私達の可愛い末妹が目を覚ますわ」
囁かれた重々しい声は、それを向けられた者の頭を自然と垂れさせてしまうような威厳に満ちていた。
しかしそれに答える少女のような声は、まるで気にした風もなくコロコロとマイペースに言葉を転がしている。
それは結局、彼の質問にはまるで答えようとはせずに、適当にはぐらかしてばかりいた。
「・・・そうか。場所は分かるか?」
しかしその重々しい声の主も、それを気にしようとはしない。
彼は短く嘆息を漏らすと、彼女達から何とか情報を聞き出そうと、今度はその場所について再び尋ねていた。
「遠い、遠い場所よ。ね、お姉様」
「そうね。この世の果ての場所よ、我が主。全てが始まったあの場所で、妹は目覚めるの。こんなに嬉しい事はないわ」
彼の言葉に、少女達は歌うように答えている。
その言葉はやはり、彼の望んだ内容ではなかった。
しかし恍惚に濡れるその言葉の響きに、彼はどこか聞き覚えがあると感じていたようだった。
「・・・その言葉、聞き覚えがあるな」
この世の果ての場所という言葉を、最近どこかで耳にしたような。
そんな感覚を覚え、暗闇の中で一人、彼は顎に手をやっては思考を巡らせている。
そんな彼の耳に、どこかから慌てて駆け寄ってくる騒がしい足音が届いていた。
「閣下!!大魔王閣下、大変でございます!!!」
「・・・何だ、騒々しい」
もうそこまで手が届きそうだった思考は、その騒がしい声によって掻き消されてしまった。
巨大な扉を押し開いてやってきたリザードマンによって、この部屋にもようやく光が差し込んでくる。
そうしてようやくここが、謁見の間など呼ばれる部屋である事が分かっていた。
そしてその玉座に鎮座し、入ってきたリザードマンを見下ろしている彼こそがここの主、大魔王その人なのだろう。
「し、失礼しました!!お話の最中だとは露知らず、お邪魔してしてしまい・・・はて、お相手の方は何処に?」
「それを知る必要がお前にあるのか?いいから、話せ」
「は、ははぁ!!その通りでございます!!」
押し入る瞬間に聞こえてきた声は、紛れもなく誰かと会話しているものであった。
主の会話を、しかもかなり個人的な込み入った話を邪魔してしまったと考えるそのリザードマンは、必死に頭を下げてはそれを謝罪している。
しかし平伏した視線でチラリと覗く部屋の中には、玉座に腰を下ろす主人の姿しか見当たらない。
その事実に疑問を感じ、それを率直に言葉にしてしまった彼の言葉に、玉座の主は不機嫌そうに喉を鳴らしていた。
「魔王ダンメンハインが配下、カイ・リンデンバウムなる男が勇者を打倒し、聖剣アストライアを奪取したとの事です!!」
「・・・なるほど。そういう事か」
その驚くような事実を耳にしても、玉座に座る男は動揺を見せることはない。
それどころか、彼は全て納得したとばかりに僅かに頷くと、玉座の後ろへと目を向ける。
そこには彼の表情を窺うように顔を覗かせている、二人の少女の姿があった。
「ダミアン・ヘンゲ・・・お前は向こうにつくという事か。ふっ、おもしろい。どこまで出来るものか、やってみるがいい」
彼が一人呟いたその言葉は、誰に対して向けたものでもない。
しかしその言葉を耳にした少女達は、どこか楽しそうにお互いの耳に耳打ちを繰り返していた。
「その・・・何か為されないのでしょうか?このような成果を上げた、件のカイとか言う男に恩賞を与えるなどは・・・?」
彼が呟いた言葉は小さく、緊張し感覚が鈍くなっているそのリザードマンには届かない。
彼はそんな大事件の報告を受けても、一向に動こうとしない玉座の主の姿に、不思議そうな表情を見せると、恐る恐る窺うような口調で何かしてみてはどうでしょうかと問い掛けていた。
「ふっ・・・恩賞だと?何を馬鹿な・・・しかし、そうだな」
恩賞を与えてみてはどうかと尋ねてきた目の前のリザードマンの言葉を、玉座の主は鼻で笑っている。
勇者を倒したというその男が、恩賞などで喜ぶような器である筈がない。
それどころか彼の考えが正しいのなら、それは敵に塩を送るような行いだ。
そんな事を、わざわざ喜んでする訳などない。
しかしそんなリザードマンの言葉にも何かを思い立った玉座の主は、そこから腰を上げ、身体纏わりついた外套を翻し歩き始める。
「では、動くとしよう」
「は、ははぁ!!では何を恩賞として与えましょう?彼の者は失態によって僻地へと押しやられと聞きます、であればこのインペリアルダウンに呼び寄せてみては?」
玉座から離れ、この部屋の出口へと進む主の姿に、リザードマンはすぐさまその進路から身体を退けると、その脇へと跪いている。
彼は主がそこを通り過ぎたのを確認すると、すぐにその後ろへと付き従っていた。
動くと宣言した主の言葉に、彼はまだそれが恩賞の話しだと考えているようだったが、それはすぐに訂正されることになる。
「―――勢だ」
「は?申し訳ありません、閣下。聞き逃してしまい・・・もう一度言って頂けますか?」
ドンドンと歩みを進める、主の足は速い。
その後ろにつき従い、彼の邪魔をしてしまわないように静かに歩くリザードマンは、そちらにばかり注意が向いてしまい、彼の言葉を聞き逃してしまっていた。
「大攻勢だ、大攻勢を掛ける。お前の働きも期待しているぞ、バルタザール」
そうしてこの玉座の主、大魔王ゲルハルト・ベルクヴァインはもう一度繰り返す。
大攻勢を掛けると。
それは、人類の終焉を意味していた。
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