焦り
「どうしよう、どうしよう・・・一体、どうしたらいいんだ!?」
辞令の書類を持って自室へと戻ったカイは、頭を抱えてしまっていた。
人事担当からの呼び出しに、ワクワクとした気分で歩みを進めていた彼には追放という事実は受け入れがたく、混乱する頭は真っ白になってしまっていた。
「追放って、嘘だろ・・・!?そりゃ確かにちょっと密告しすぎで、恨み買ってるかなぁ・・・ってのはあったけど、いきなりそれはないだろぉ・・・!」
部屋の中を忙しなく動きながら嘆きの声を上げる彼は、今だに追放のショックを受け入れきれてはいない。
そんな彼には当然今後のプランなど浮かぶ筈も無く、荷物を整理する手も一向に動くことはなかった。
「やっぱり適当に話し作ってた事がばれたのか・・・?でも、今までそれを指摘された事ないんだよなぁ・・・」
ドッペルゲンガーという内偵に適した種族に転生したといっても、彼は元々しがないサラリーマンに過ぎない。
そんな彼がその能力を生かして密偵など出来ようもなく、噂を耳にしてはそれに適当な尾ひれはひれをつけて密告していたというのが、実際の所だった。
しかし彼が適当に話した作り話は、不思議と的を得たものとなる事が多く、それにより次々と有力な魔物を失脚させるに至っていた。
「どうしよう・・・追放されたなんて言ったら、あいつら俺に失望するよな絶対。いやいやいや!それで済めばまだいい、下手すりゃ愛想を尽かしたあいつらに殺されるなんてことも・・・」
専用の椅子にどかっと腰掛けたカイは、外へと繋がる扉へと目を向ける。
仲間を集めてくるように言付けたため、今はその先に部下の姿はないが、彼はそこに彼らがいるかのように怯えた目を向けていた。
強大な力を誇る彼の部下と違い、彼本人の戦闘能力などたかが知れている。
ドッペルゲンガーは元々魔法の扱いに長けた種族だが、前にいた世界の感覚を引き摺る彼には、その扱いを身につけることは難しく、まともに扱うことも出来ずにいた。
「そもそもさぁ・・・あいつらが俺なんかに忠誠誓ってんのがおかしいんだよ。確かに俺の密告が、結果的にあいつらを窮地から救ったことはあるよ?でもそれは偶然で、狙ってやった訳じゃないってのに・・・うぅ、あいつらの期待の眼差しが重い。大体なんだよ『顔の無い男』って!ドッペルゲンガーなんだから、顔が無いのは当たり前だっての!!」
彼へと忠誠を誓う部下達は、その全てが彼に窮地を救われていた。
しかしそれは偶然であり、偶々失脚させた魔物が彼らを苦しめていたというのに過ぎない。
だが彼らはそれらのタイミングがあまりに劇的であったためか、カイが彼らを救うために行動したと疑わず、彼らのその期待の眼差しに、彼もついついそれを否定できずにいた。
「せっかくここまで来たってのに・・・ようやく俺にも、人類に何か手助けが出来る所まで」
カイが有力な魔物に密告を繰り返し、彼らを失脚させていたのは、それによって魔王軍が弱体化するだろうと思っていたからだ。
彼はそうすることで、間接的に人類を助けようとしていた。
しかしそれは、それほどうまくいくことはない。
有力な魔物を失脚させても、また別の魔物が台頭するだけ。
寧ろ悪辣な振る舞いをする魔物を追放させることによって、魔王軍の軍質を向上させてすらいた。
そうしているうちに、彼がこの世界へとやってきた数年で魔王軍の版図は倍にまで拡大し、人類を危機へと陥れようとしていたのだった。
「どうする・・・?もういっその事、このまま逃げ出すか?よし!それがいい!!また一からやり直しになるけど、ここで死ぬよりは・・・!!」
何の打開策も浮かばないまま、容赦なく過ぎ去っていく時間に、部下が戻ってくることが恐ろしくなってきたカイは、逃げ出すことを考え始める。
彼の能力を考えれば、この部屋を出る所さえ目撃されなければ何とかやり過ごすことは出来るだろう。
逃げ出すことを決断した彼は、慌てて軽く詰め込んでいた荷物へと手を伸ばす。
その時、扉からノックの音が響いてきていた。
「カイ様。ヴェロニカ以下、配下一同集合いたしました。入室してもよろしいでしょうか?あぁ・・・勿論、ウーヴェは外で待機しておりますが」
「もう来たのか・・・す、すまない!少し待ってくれないか!!その、そうだ!少し散らかっていてな」
外から響いてきたノックの主は、それを誰かと証明するように妖艶な声色を後に続かせる。
その声の主は自ら名乗ったように、ヴェロニカのものだろう。
予想よりも早い彼らの到着は、彼らの忠誠心の厚さを示しているのかもしれない。
しかしそれを信用しきれないカイにとっては、死の宣告のようにも聞こえてしまう。
恐怖に駆られた彼は、もはや無駄な時間稼ぎだと分かっていても、適当な言葉を捜して僅かな暇を獲得しようとしていた。
「あら、それでしたら私が―――」
「主様、主様ー!フィアナが手伝うよー!!」
部屋の片づけを申し出ようとしたヴェロニカの声を遮ったのは、また別の華やかな声だった。
声の響きから、まだ年若い少女のものと思われるその声は、自分こそがカイを手伝うのだと主張していた。
「フィアナ、あなたが手伝っても余計に散らかしてしまうのではないかしら?それにあなたがやるとどうしても、体毛が抜けて汚れてしまうでしょう?」
「えぇー、そうかなぁ?でもでも、フィアナ頑張るよ?」
「うっ!そうね、その通りだわ」
自らの発言を遮られた不満を、それを遮ったフィアナへとぶつけるヴェロニカは、皮肉を込めた言葉を彼女へと漏らす。
獣人である彼女を馬鹿にするような言葉は差別的ですらあったが、その表現はフィアナには遠回り過ぎたようで、彼女は何も分からないというような純粋な疑問を浮かべて首を捻るばかりであった。
その仕草にヴェロニカの方が何かダメージを食らったかのように言葉を詰まらせてしまい、敗北を悟っては彼女の言葉を肯定してしまう。
「それじゃあ、二人で行きましょうかフィアナ?」
「うん、分かったー!」
些細な言い争いはフィアナの勝利で終り、ヴェロニカは彼女と一緒にカイの部屋へと立ち入ることを提案する。
その言葉を嬉しそうに肯定したフィアナは、その勢いで軽く扉へと衝突してしまっていた。
「フィアナ!?ほら、下がりなさい・・・入ってもよろしいでしょうか、カイ様?」
「あ、あー・・・ちょーっと待ってくれるか?」
「はぁ・・・畏まりました」
彼女達の言い争いによって図らずも時間を稼げたカイであったが、一向に打開策は思いつくことはなかった。
唯一の逃げ場であった出入り口も、そこに部下達が集まってしまえば、もう使うことも出来ない。
「あぁ、どうしようどうしよう!?もう逃げ場が・・・こうなったら、ここから飛び降りるか?いや、流石にそれは・・・ん、これは?」
彼は最後の手段としてここから飛び降りることも検討するが、この高さから飛び降りて命があるとも思えない。
打つ手なく頭を抱えようとしていた彼の手に、何かの感触が触れる。
それは碌に内容も確かめていなかった、辞令の書類だった。
「あれ、これならもしかすると・・・」
追放という事実を告げられた時点で頭が真っ白になり、細かい内容を確認することはなかった辞令の文書をまじまじと読み込んだカイは、その内容に生存の可能性を見出していた。
「あー・・・すまない。もう入ってきていいぞ」
「なんだ、もういいのか?ははぁ・・・さては旦那、マス掻いてたな」
「これ!セッキお前、自らの主人になんて口をきいておる!たとえ事実じゃったとしても、言っていい事と悪い事が・・・」
「へぇへぇ、悪ぅございましたね」
辞令の書面に生き残る可能性を見出したカイは、先ほどの言葉を覆して部下達に入室を促していた。
彼の突然の心変わりに、同じ男性として心当たりがあったセッキは、何かを納得したような声を上げる。
彼の言葉に、これもまた男性の声が注意を促していたが、その声は随分と下の方から響いていたようだった。
「・・・ねぇねぇ、マスを掻くって何のこと?」
「それは・・・うふふ。あなたようなお子ちゃまにはまだ早いわ、フィアナ。あなたは大人しく、鼠でも追いかけてなさい」
「なんだよー、フィアナにも教えてよー!」
開け放たれた扉に、続々とカイの部屋へと入室していく部下達の中で、ヴェロニカとフィアナだけが取り残されていた。
先ほどセッキが口にした言葉の意味が分からないフィアナは、隣のヴェロニカへとそれを尋ねる。
口にし辛いその内容に、ヴェロニカは始めこそ言葉を濁していたが、やがて勝ち誇ったかのように笑顔を作ると、フィアナの頭を優しく撫でていた。
最後にその頭を軽く押し退けて先に進み始めたヴェロニカに、遅れをとったフィアナは質問の答えをねだりながら、その背中を追いかけていた。
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