勇者リタ・エインズリーの最後 1
今、弾かれた刃は、一体何度目の事だろうか。
自らの目ですらもはや捉える事の難しい速度の一撃も、目の前の相手は簡単げに捌いてしまう。
その衝撃にこの腕は痺れてしまっていて、それでも動かすことを止める事は出来はしない。
ほら、もう目の前にこの視界を覆いつくさんばかりの拳が迫ってきているのだ。
それをどうにかしなければ、自分が死んでしまうことだけは分かっている。
しかし、それを避ける術はあるのだろうか。
弾かれ、高く伸び上がってしまった剣に、この足は地面を爪先で触っているだけ。
そんな状況のボクに、一体何が出来るというのか。
この喉は、短く息を吸い込んでいる。
「ああぁあぁぁぁぁあっぁぁっ!!!」
そして、生きたいと強く叫んでいた。
指先だけで弾いた地面は、その衝撃にこの足の爪を剥がして捲る。
そんな痛みなど、この身体はもはや感じている余裕などない。
伸び上がり力を込める事の出来なかった身体は、飛び上がった僅かにコントロールを取り戻す。
叫んだ願いに力は迸り、この腕はさらに速度を増していく。
それはこの身体に迫ろうとしていた拳を、打ち払おうと加速していた。
『はっはぁ!!悪くねぇ動きだ!!だが、それだけだなぁ!!!』
しかしその刃も、皮を一枚削いだだけで終わる。
僅かな手応えを感じたその瞬間に、襲い掛かった衝撃にこの目はそれで舞い散る血潮すら見ることはない。
右と左のどちらから殴られたかも分からないほどの衝撃に貫かれた身体は、一瞬の意識の寸断を挟んでゴロゴロと転がっていく。
剥き出しの地面はこの肌をゴリゴリと削っていったが、それはこの意識を取り戻すための刺激でしかない。
今はそんな事よりもただ、早く息がしたかった。
「はっ・・・くぁ、ぁ・・・ぁぁ・・・」
その呼吸困難が殴りつけられた衝撃の結果なのか、それとも地面を激しく転がった故なのかは分からない。
確かなのはこの喉がまともに息をしてくれない事と、それでもそれを求めて開いた口からダラダラと唾液が流れ続けている事だけ。
その唾液が赤みを帯びて見えるのは、そこに血が混じっているからか、それともこのチラチラと点滅しているような視界が見せている幻なのか。
「っ!はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
蹲るようにして身体を折り曲げ、必死に酸素を求めた時間に、ようやく取り戻した呼吸をボクは貪るように啜っていく。
今もだらだらと垂れ続けている汗は冷たく、ぬめり気を帯びて地面を汚している。
そのぽたりぽたりと響く小さな音よりも大きく、そして近づいてくる足音にボクはびくりと背中を震わせていた。
『もう、十分休めただろう?そろそろ、再開といこうじゃねぇか!!』
聞こえてきた声と近づいてくる足音にも、ボクはそちらを向くのを嫌がって顔を背けていた。
だって、見れば分かってしまう。
決して、それには勝てないと。
「ひっ・・・来るな、来るなぁぁ!!」
しかし背けた視線も、やがて見えない存在の恐怖を助長して、それから逃れるためにはその存在へと目を向けるしかなくなってしまう。
もはや間合いへと踏み込み、戦いの気配にその力を解放している鬼の姿は、一際大きく真っ赤に輝いているようだった。
その胸に残されていた傷跡も、いつしか姿が見えなくなり、その身体にはもはや碌な傷跡すら見当たらない。
それはつまり、その鬼とボクとでは戦いにすらなっていないということを示していた。
その事実に竦んだ身体は、必死に足を動かしている。
それは戦いに赴く勇者のそれではなく、ただただその鬼から、恐怖から少しでも遠ざかろうと急ぐ、弱者の足掻きであった。
『あぁ?なんだよそりゃ・・・折角、楽しくなってきた所だってのに』
ボクの情けない姿に、鬼が拍子抜けしたようにその足を止めていた。
その振る舞いに歓喜した心臓が、この心にささくれを作るのを感じる。
チクリと痛んだその痛みも、今は置いておこう。
生きれば、生き残れば、それを慰む事も出来るから。
『ちっ、どうすりゃいいんだこれ?ん~・・・そうだなぁ。おっ、そうだ!お前らぁ、なに勝手に始めてんだ!!俺にも寄越しやがれ!!』
まともに立つ事すら出来ずに、ズルズルと地面を這いずっていくボクの事を見下ろすその鬼は、何か頭を悩ませるように腕を組み、その場に佇んでいた。
それをまたとないチャンスだと出口に急ぐ身体も、何か思いついたように声を上げた、その鬼の姿は目にすることは出来る。
彼はどこか、この部屋の隅の方へと向かって声をかけていたが、そんな事はきっとどうだっていい事。
今は少しでも早く、ここから逃げだそう。
全てを忘れて。
『お、おでだぢ、まだ手をつけてないど!!』
『そうだでそうだで!!』
『いいから寄越せっつてんだろ!!どうせ後で食っちまうんだ、今食っちまっても変わんねぇだろ!!』
それでも、どうしたって理解してしまう。
その鬼が進んでいく方向に、一体何があるのかを。
彼らが喚いている言葉の意味は分からない、しかしそこに何が、誰がいるかは見ないでたって分かっていた。
そこにいるのは、ボクの相棒で、友達で、そしてきっと大切な人だったマーカス君だ。
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