幾千の死を超えて 1
前へと向かう足の音は激しく、その速度の凄まじさを伝えている。
その音に混じった僅かな雑音が、剣を振り抜いた音だということに、一体誰が気付くだろうか。
少なくとも今、切り伏せられ二つに分かれて倒れていくその魔物は、それに気付く事はなかっただろう。
その剣を振るった勇者、リタ・エインズリーは切り伏せられた魔物に一瞥をくれることもなく前へと急ぐ。
それはまるで、何かに追われているかのような振る舞いであった。
「リ、リタ・・・!少し、待ってくださいっ・・・息が、息がもうっ」
「・・・分かった、ちょっと休もっか」
無尽蔵ともいえる体力を誇るリタとは違い、マーカスはその速度をいつまでも維持する事など出来ない。
息も絶え絶えといった様子でリタへと少し休むように要請する彼の姿に、彼女は尚も一歩二歩と進んでようやく、その場へと足を止めていた。
リタとさほど変わらない身体能力を持っている筈のマーカスと彼女の、その体力の差は一体どこからやってくるのであろうか。
それは彼女が今担いだ、光り輝く刃がその訳を知っていそうに輝きを放っていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁ・・・な、何をそんなに急いでいるのです、リタ?別に急ぐ事など、ないでしょうに・・・」
勇者としての実力を養うための修行の一環としてこのダンジョンを訪れたリタ達に、このダンジョンを攻略しなければならない理由などない。
ましてや噂と違い、あまり込み合っている様子のみられない今のダンジョンに、先を急がなければならない理由などないだろう。
自らの膝に手をついては、必死に呼吸整えているマーカスにそう問い掛けられ、リタはキョトンとした表情をその顔に浮かべていた。
「・・・そういえば、そうだね。ボク、何で急いでたんだろ?何か、急がなきゃいけない気がしたんだけどなー」
さしたる理由もなく急いでいた事を指摘されたリタは、自分自身でもその理由が分からないと不思議そうな表情を浮かべながら、しかしどこかまだ先を急ぎたそうに足踏みを繰り返していた。
彼女がそうまでして先を急ぐのは、一体いかなる理由からであろうか。
それは彼女の鋭敏な生存本能が、もしくはその手に持った聖なる剣が感じ取っているからだろう。
彼女では決して、敵う事のない者の存在を。
「何ですか、それは。それならそうと、もっと早く・・・はぁ、もういいです。それよりも良かったんですか?あの方達を置いてきて、知り合いだったのでしょう?」
特に理由もなく急いでいたと語るリタに、マーカスは呆れたように長々溜め息を吐くと、苦言を呈するのも疲れたとそれを諦めている。
ある程度息も整ってきたのか、今度は疲れた足を休めようとその場に腰を下ろしたマーカスは、それよりも気になる事があったのだとリタに問いかけていた。
落石の罠という窮地を脱したものの、先ほどまで彼らが他の冒険者一行といた部屋には、まだ多くの魔物が残っていた。
確かにリタがその中の一部の魔物には深手を負わせていたが、その数も決して多いといえないものだ。
そんな状況にもかかわらず、何故リタは知り合いの冒険者である彼らを置いて、先を急いだのだろうか、マーカスにはそれが疑問だった。
「えっ?うーん・・・だって必要ないし」
「・・・?それは、どういう事ですか?確かに彼らは中々腕の立つ冒険者のようでしたが、あの数相手では流石に苦しいのでは・・・?」
あの場には自分よりもよっぽど腕の立つ人物がいる、だから助ける必要がないのだと語るリタに、マーカスはなにを言っているのか分からないといった表情を見せている。
あの落石を破壊したのはカイだと認識しているリタと違い、マーカスはそうとは捉えていない。
彼からすればあの出来事は奇跡か、もしくは始めからああした罠であったという認識であった。
そんなマーカスからすれば、彼らにあの数の魔物を対処するのが難しいと思うのは、当然の事といえるだろう。
「えー、そうかなー?だってあそこには、あの人が・・・うぅ!?や、止め止め!!この話は、もうお終い!!先に進むよ、マーカス君!」
あの場を離れた理由を話そうとすれば、どうしてもその者の姿を思い浮かべずにはいられない。
無害そうな表情でのほほんと佇む商人風の男の姿を思い浮かべたリタはしかし、その姿から得体の知れない恐怖を感じて背筋を震わせる。
その男の姿をもはや思い浮かべたくもないと、頭を振ってそのイメージを振り払ったリタは、マーカスの背中を叩いては先を急ごうと急かしている。
彼女は果たして気付いているだろうか、その得体の知れない背筋の震えが、今彼女を急がせているものと同質の存在である事を。
「ちょ、ちょっと待ってくださいって、リタ!!まだ全然休めては・・・ほ、ほらリタ!見てください、猫ですよ、猫!少し見ていきませんか、ねぇ!」
もはや待ちきれないとその手を引き出したリタに、マーカスはまだガクガクと震える足を示しては、もう少し休ませてくれと訴えかけている。
リタはそんな彼の訴えなど聞く耳持たぬと、ドンドン先に進んでいってしまうが、ふと気がつくとその足元を一匹の猫が通り過ぎていた。
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