アトハース村へ
昼下がりの酒場には、その名よりも食堂という呼び名の方が相応しい。
村の住人からのよそよそしい視線を受けながらそこへと立ち入ったカイは、予想以上の寂れ具合に思わず二の足を踏んでしまっていた。
食事時が過ぎてある程度人がはけた酒場にも、今だそれなりの人がその席を占拠している。
彼らはそこで、僅かな食事の残りや飲み物をいじっており、そこから一向に動こうとはしない。
その振る舞いは午後からの仕事に行きたくないと、全身で主張しているようだった。
「っとと、すみません」
「・・・気をつけろ」
店内へと足を踏み入れたカイは、出入り口から一番近い席に座っていた男とぶつかりそうになってしまう。
カイはその男に短く謝罪を告げると、彼もぶっきらぼうに言葉を返していた。
彼は気づいただろうか、その一瞬の内にその姿が盗まれた事に。
カイは元の世界の近所に住んでいたおっさんの顔の下に、彼から盗んだ姿を潜ませる。
そうして始めて、彼はこの村で通じる言葉を話せるようになっていた。
(なんかこればっかりうまくなってくな、俺。割と最初から、これだけはうまく出来たんだよな。何でだろう、自分が薄かったから?いや、深く考えるのはよそう。なんか悲しくなってくるから)
ドッペルゲンガーとしての変身能力は、魔法と同じく彼が元いた世界ではなかった筈のものだ。
しかしこの変身能力については、彼は始めからうまく扱うことが出来ていた。
それがドッペルゲンガーとしての生態だからなのか、それとも彼の性格との相性なのかは分からない。
しかし深く追求すると悲しい気持ちになりそうなそれに、カイは途中で考えるのを止めていた。
「あーっと、何か飲み物を頼む。後はそうだな・・・すぐに食べれる物を」
ちょっとしたトラブルに、店内の客達の視線がカイへと集まっていた。
しかしその瞳は無関心で、それ以上のトラブルへと発展しないと分かると、すぐにそれぞれの食事へと戻ってしまう。
そんな客達の振る舞いに僅かな息苦しさを感じさせられたカイは、その歩みを進め空いているカウンターへと滑り込むと、店主に向かって簡単な注文を投げ掛けていた。
「お客さん、見ない顔だけど・・・旅人かい?荷物もないようだけど、ちゃんと金はあるんだろうね?」
こんな辺境では、外からやってくる者など滅多にいないのだろう、木の杯を丁寧に磨いている店主の男は、カイにじろじろと無遠慮な視線を向けてくる。
彼が食器を磨く手を止めようとしないのは、カイの事をまだ客だとは認めていないからだろうか。
確かに荷物もなく手ぶらで訪れた旅人など不自然で、金を持っているようには見えないだろう、しかしその言葉に、カイは待ってましたと心の中でガッツポーズを決めていた。
(よしきた!これを待ってたんだよ!!魔王軍内での通貨ならそれなりに貯蓄しているが、こっちのお金がどんなものか知らないからな、調べたかったんだ。そして、ふふふ・・・ちゃんと用意しているぞ?)
店主からの疑いの言葉に、腰に括り付けた袋を弄り始めたカイは、そこに金属の感触を感じていた。
「あぁ、勿論だとも。これで足りるかな?」
感触だけで中身の違いが判別できるほどそれを熟知していないカイは、取り出した硬貨の幾つかから銀色の輝きを持つもの選び取ると、それを店主へと差し出す。
それを目にした店主は食器を磨く手を止めるとそれを摘み上げ、しげしげと観察し始めていた。
(問題、なさそうか?いやぁ、たとえ一人だけでもダンジョンに人が来てて良かったな。そのお陰でこうして、お金が手に入ったんだから)
カイが取り出した硬貨は、以前ダンジョンに訪れた男が取り落としていった荷物から回収したものだ。
それがなければ、無一文で情報収集しなければならない所だった。
こうした場所で話を聞くのも、注文した後と前ではその口の軽さも違ってくるだろう。
事実、店主がこちらに向ける視線も、先ほどまでのものとは変わっているように見える。
「エスパニオ銀貨か、珍しいな」
「ん?何か不味いのか?もしかして、使えない?」
銀貨をひっくり返して、そこに描かれている肖像を確認した店主は、ぼそりと何事かを呟いていた。
その独り言のような言葉を何とか聞き取ったカイは、その響きに含まれる不吉な予感を感じ取り焦りを浮かべている。
(何だ、何が不味かった?それにエスパニオだと?それって最近魔王軍が進攻し始めた、あの?でもそれって、海の向こうの国だった筈じゃ・・・何でそんな国の硬貨を、あの商人が?)
店主の反応にあたふたと慌て始めるカイはその実、外面上は身じろぎ一つしていない。
ドッペルゲンガーとしての能力で表情を固定した彼は、少しでも情報を集めようと視線だけを必死に動かしていた。
「いや、ここでこんなもんを使うのはアダムスさんだけだと思ってな。あんたも商人なのかい?」
「・・・あぁ、そうだ」
店主はここではあまり目にすることのない硬貨に驚いていただけだと軽く笑うと、カイに職業を尋ねる。
それに軽く答えたカイは、和やかな雰囲気にも内心かなりの焦りを感じてしまっていた。
(アダムス?アダムスって誰の事だ?あの商人の事か?この男の口ぶりからして、多分そうなんだろうな。これは・・・不味いか?そこから俺の正体がばれたりは・・・いやいや、ないない。同じ商人なら、同じ硬貨を持っていても不思議じゃない筈・・・うん、大丈夫!だよな?)
異なる人物が同じ物を持っていたことで、関係を疑われるなどよくある話だ。
それが珍しい物であるならば、尚更。
しかしまさか硬貨がそれに当たるとは思っていなかったカイは、動揺に震えてしまいそうな身体を何とか抑えてみせる。
同じ商人ならば大丈夫だという考えも、ここいらの事情を知らないカイからすれば、おまじないに等しい言い訳だ。
それでも彼は、その設定が通用すると信じる事しか出来なかった。
「それで、使えるのか?」
「勿論だとも。しかしこの額を使いきろうと思うと、大量に料理を作る羽目になっちまうな。あんた、食い切れるのかい?」
「いや、軽めで頼む」
「ははは、分かったよ」
さっさと会話を済ませて、一人になりたいカイの言葉はそっけない。
それに対して店主の男は、愛想よく答えていた。
その振る舞いから店主と、そのアダムスとかいう商人は親しい間柄だったのではないかと感じる。
カイとその商人の共通点が、彼に親しみを錯覚させているようだった。
それがカイにとって喜ばしい事なのか、気がかりな事なのか、それはまだ分からない。
「・・・しかし、寂れた村だな」
注文の料理を作るために厨房へと歩いていった店主に、カイは後ろを振り返り店内を見回す。
その行動に彼へと好奇の視線を向けていた客達は、慌てて視線を別の方向へと戻していた。
しかしその数も多くはなく、ほとんどの者は彼がここに来たときと同じく、陰気な表情で食事の残りを穿るばかり。
それはまさしく、寂れたという表現にぴったりの光景であった。
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