メイドとお坊ちゃんと冒険者 2
「え、え!?な、何で!?ア、アビー?一体、どうして・・・ひぃぃぃぃぃぃっ!!?」
アビーとの最後の別れを惜しむように、そちらをチラチラと振り返っていたエヴァンは、自らの方へと飛び掛ってくる狼に対して戸惑った声を上げている。
それはどちらかというと、自らに向かってこようとする狼を、完璧にスルーしているアビーに対する戸惑いだろう。
しかし彼が彼女の真意に気づく間もなく狼はその背中へと迫っており、彼はもはや悲鳴を上げながら全速力で逃げる事しか出来る事はなくなっていた。
「さて・・・これで、後一匹ですね」
痛々しい悲鳴を上げながら逃げ去っていったエヴァンの姿を、涙一つ浮かんでいない冷めた瞳で見送ったアビーは、これで随分と楽になったと息を吐く。
彼女の視線の先には、その場に残ったもう一匹の狼が唸り声を上げていた。
二対一ですら決定打を与えられなかった戦力バランスに、それが一対一へと変わってしまった今の状況では、その狼も容易に攻勢を仕掛けられないだろう。
であれば、仕掛けるのはアビーからであろうか。
それは違う。
追い詰められた獣は牙を剥き、形振り構わず目の前の存在の命を奪おうと襲い掛かる。
その動きは突然で、鋭い。
それにアビーは反応する事が出来ず、僅かにナイフを構え直す事しか出来なかった。
「―――おいおい、あいつは放っておいてもいいのかよ?」
しかし彼女は、その狼の牙に掛かる事はない。
アビーへの躍り掛かっていた狼はその牙が彼女へと届く前に、横合いから飛び出てきた男によって組み敷かれてしまっている。
その若い冒険者風の男は、その手に持った剣によって狼を地面へと結い付けると、そのまま動けないように踏みつけにして、アビーへと声を掛けてきていた。
「おや?これはおかしな事を仰いますね。坊ちゃまの方ならば、貴方の相棒の方が既に手を回しているのでは?」
アビーの表情は狼が自らの方へと襲い掛かってきても尚、ピクリとも動く事はなかった。
それは始めから、彼らの存在に気づいていたからだろう。
それを声を掛けてきた冒険者風の男、エルトンへと告げたアビーはエヴァンが去って行った方へと視線を向ける。
気付けばそちらの方から、悲鳴が聞こえなくなっている。
彼女の言葉が正しいのであれば、それは彼が狼に仕留められたからではないのであろう。
「ははっ、お見通しか!そいつは結構!」
アビーの指摘にその通りだと笑ったエルトンは、狼を押さえつけている剣を左手へと持ち替えると、空いた右手で短剣を引き抜いている。
彼は死期を悟って暴れ始める狼に頭を足で押さえつけると、その手に持った短剣で狼の首を掻き切っていた。
「っとと、暴れんなって・・・っと、こんなもんか?こいつは・・・フォレストウルフか?こんな人里近くに出るなんて珍しいな」
首を掻き切られ、失った血液の量にゆっくりと力を失っていく狼の様子を確認していたエルトンは、それが動かなくなった事を確かめるとその身体から足を離していた。
彼はその死体を観察しては、その狼の種類を探っている。
彼が言い当てた森林に住む狼という名の種類は、大雑把な分類であり実際はもっと正確な名前があるのだろう。
しかし彼はそんな事よりも、こんな人里近くに魔物化した狼が出る事の方に懸念を抱いていた。
「しかし・・・俺達がいるって分かってんなら、何で始めから俺達に任せなかったんだ?」
「それを私に聞く必要があるのですか?あなた方が出るタイミングを窺っているようだったので、こちらでそれを用意させてもらっただけですが?」
アビーの振る舞いを見れば、彼女が始めからエルトン達が近くにいたことに気付いていたと分かる。
そうであるならば、何故始めから助けを呼ばなかったのかというエルトンの疑問に、アビーは僅かに首を傾げては冷めた視線を彼へと向けていた。
彼女は彼ら助けに入るタイミングを窺っていたから、それをこちらで作ってやったと話している。
その言葉をエルトンは否定する事なく、どこか気まずそうに苦笑いを浮かべていた。
「やれやれ、そんな所までお見通しかよ・・・どうやら俺達の小細工は、何の意味もなかったみたいだな」
「いえ、そうでもありませんよ?」
「ん、それは一体どういう事だ・・・?」
肩を竦めて苦笑いを浮かべているエルトンは、自分達の狙いが尽く見抜かれていた事に嘆息を漏らしている。
彼らはアビーとエヴァンの会話から、彼らが貴族に連なる人間だと気づき、それに何とか取り入ろうと効果的なタイミングを窺っていたようだった。
その試みが失敗してしまったと嘆くエルトンに対して、アビーはそんな事はないと小首を傾げている。
その言葉の意味が分からずに疑問を顔に浮かべているエルトンに、アビーは先ほど向いていた方向へと再び視線をやっていた。
「アビー、アビー!!この人が、この人が私を助けてくれたんだ!!こう・・・横からばっと出てきてだな、あの狼の首をざくーって掻き切って・・・!!」
「お帰りなさいませ、坊ちゃま。ご無事で何よりでございます」
アビーが視線を向けた先からは、何やら逃げる過程ですっ転んでしまったのか、やけにボロボロで土やら葉っぱやらに塗れたエヴァンが帰ってきていた。
彼は後ろに引き連れた明るい茶髪の男、ケネスを指し示すと興奮したように言葉を喚き散らしている。
その瞳は喜びと尊敬で溢れており、それはエルトン達がまさに狙っていた通りのリアクションであった。
「なるほどね。確かに、あながち失敗でもなかったって事か・・・」
「何、一人でぶつぶつ言ってるんだ?そんな事より手伝ってくれ、エルトン!この子がさっきから放してくれないんだ!」
エヴェンの態度に自分達の狙いがあながち失敗でもなかったと悟ったエルトンは、それを一人でぶつぶつと呟いていた。
エルトンが何故そんな事を呟いているのか、その場いなかったケネスには見当もつかない。
彼は自らの服を掴んでは一向に離そうとしないエヴァンに心底困り果てており、相棒にその救援を頼もうと必死に呼び掛けていたのだった。
「さて、これで冒険者を態々を探す手間が省けましたね。後はこのお二人に、こちらの事情を説明するだけですが・・・丁度昼頃ですし、やはり一度村に寄るべきでしょうか?」
自らに向かって心底嬉しそうに、ケネスが如何に凄いかを語っているエヴァンの言葉を聞き流しながらアビーは一人、手間が省けたと呟きを漏らしていた。
彼女は先ほどのやり取りや行動から、信頼を置いてもいいと判断した冒険者二人を眺めながら、今後の予定について考えている。
それは元々の予定通り、一旦アトハース村に寄るべきかどうかというものであったが、彼女は空腹に小さく鳴ったお腹を押さえると、迷わず決断を下していた。
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