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平凡な男のアパート侵入ミッション

作者: 中島アキラ

 

「おっしゃー、勝ちましたね。お疲れ様でーす」


『KENさんの援護助かりましたー』


「いえいえ、久しぶりだったんでうまく動かせるか心配でしたよー」


『えー、めっちゃ動いてたじゃないですか。KENさんのFPSの才能が憎い!』


「アハハ、どうします? まだやりますか?」


『いえ、明日は仕事なんで、今日はここで失礼しまーす』


「あーそうっすか。お疲れ様でーす」


『はーい。お疲れ様でーす』


 俺はパソコンをスリープモードにし、ワークチェアの背もたれに寄りかかった。ふう、と一息つき、ヘッドホンを外す。

 そして込み上げてくる愉悦。

 

(フフフフフ、やっぱあいつらには俺がいないとだめだわー。サブ垢でみっちり練習しといてよかったー)


 ご覧の通りこの男、ただゲーム仲間に称賛されたいがためにサブアカウントを作り、寝る間も惜しんでやり込んでいたのである。

 それも、「大してやり込んでないよ」という雰囲気をゲーム仲間に匂わせるため、わざわざ追加課金してまでアカウントを作った正真正銘の暇人である。


 男は“Fランク大学”の二年生であり、サークルにも参加していない。バイトは週に二回の居酒屋バイト。趣味はゲームとアニメ鑑賞という俗に言う“オタク”や“陰キャラ”といった立場にあったが、当の本人は「いや、フィギュアとか持ってないから、そこまでオタクじゃないし?」と妙にプライドの高いやつだった。

 

「いやー気分いいわー。おっと、コーラがもうないな。買ってこよーっと」


 男はベッドに転がる財布を手に取り、鼻歌を歌いながら意気揚々と部屋を出た。

 この時、男はとんでもないミスを犯していたのだが、男がそれに気づくのは少し後になる。




 部屋を出た男は出来もしないステップでアパートの駐車場に備え付けられた自販機へと赴いた。

 自販機に集る羽虫に苦い顔をしながらも、コーラを購入。コーラが取り出し口に落ちた振動で、大きめの蛾が羽ばたき出し、男は「うひっ」と気持ち悪い声を上げた。


「きっもいなー」


 蛾が落ち着くのを待って、素早くコーラを取り出し、悪態をつきながら自販機を離れる。

 プシッ、と気持ちのいい音を鳴らして栓を開けると、ビリビリと口内を刺激するコーラを口に含んだ。


「ぷはー! うめえ!」


 男の気分は最高潮である。

 深夜の変なテンションと、ゲームで活躍したという功績、さらに冷えたコーラで喉を潤した男は、足取り軽くアパートへと戻った。



 そして気づくのは己の過ち。

 上がっていた気分はどん底へと陥り、思考がまとまらずに立ち尽くす男。

 男はジャージのポケットを(まさぐ)り、次にハーフパンツの後ろのポケットを弄った。しかし何もない。手元にあるのはコーラのペットボトルと財布だけ。

 

 そう、男は鍵を忘れていたのだ。


 男のアパートはオートロック式で、自分の部屋に鍵をかけていなくても、持って出歩かなければロビーの自動ドアを開けることができないのだ。

 よく田舎から都会へ出てきた若者が陥る“締め出し”というものである。


 この締め出しを解決するにはいくつか方法がある。もちろん、男も解決法を探って頭をフルスピードで回転させた結果、以下のような手段を思いついた。


 一つは“インターホンを鳴らして開けてもらう”ことである。

 しかし、これはいわば最終手段ともいえる諸刃の剣だった。

 時刻は深夜、いや朝方と言った方が正確かもしれない。そんな時間帯にインターホンを鳴らし「あのー、締め出されちゃって、エヘヘ、開けてくれませんか」などと言えるはずもない。

 まだ部屋の明かりが点いていれば、男もこの手段を取れたかもしれなかったが、あいにく全部屋が消灯。唯一光り輝いているのは三階の自分の部屋のみという状況である。見ず知らずの人の安眠を妨害して自動ドアを開けてもらうという手段は、小心者の男には難易度が高すぎた。

 故に、この手段は早々に否決された。



 二つ目に“誰かが出て来るのを待つ”方法。

 自動ドアは内側からならセンサーによって開く為、玄関付近で待ち続け、人が出てきたと同時に入れ替わるようにして中へと入ることができる。

 一見簡単そうな方法に見えるが、実はかなりの忍耐力を必要とされる。

 男のアパートは五、六階建ての小規模なアパートがひしめき合う中の一棟であり、誰が見ているかわからない場所で、何もせずぼーっと待ち続けるのは非常に辛いし、怪しさ満点であった。

 暇つぶしのマストアイテム、スマホも持っておらず、あるのは小銭が入った財布とコーラだけ。文明人にとって、これだけでは暇を持て余してしまう。

 さらに言えば、ここでも時間帯がネックだった。こんな時間帯に外に出るような輩はこの男以外にいない。早い時間にこの方法が成功する確率は非常に低く、絶望的だった。


 最悪、朝まで待てば、アパートの住人達が通勤や通学に赴く為、さながらフィーバーしたパチンコ台のように自動ドアが開くので、それまで待つという選択肢もある。



 三つ目は“ベランダから侵入”である。

 男のアパートはベランダ付きの1Kであったため、この方法がとれる。しかし、それは一階に住んでいたならばの話である。

 男の部屋は三階。ベランダをよじ登っていけば、行けなくはないし、自室のベランダへと出る窓にも鍵はかけていなかった。が、(はた)から見れば深夜の下着泥棒である。あまりにリスクが大きすぎる。この方法は優先されるべきではない。


 

「くっ、どうする……俺! 慌てるな……ここは二つ目の手段で朝まで待つのが一番リスクが少ないはずだ……! 待ってる間に誰か出てくるかもしれないしな」


 この時男はまだ現状を楽しんでいた。

「いい話のネタになるな〜」と楽観的に考えていたのだ。




 しかし、三十分後――――



「は、腹がいてえ」

 

 催したのである。

 しかも小ではなく大の方だった。

 不規則な生活で下し気味だった腹に、冷えたコーラでとどめを刺され、男の腹は今やウィーンのオーケストラのようにめくるめくハーモニーを奏でている。


 幸い、今は序曲なのでピアニッシモ(とても弱く)から始まる小さな波だったが、いつフォルテッシモ(とても強く)になるかわからないのが腹中オーケストラの怖いところだ。腹中オーケストラは気まぐれなのだ。

 


「拙い……とても朝までなんて待てんぞ……」


 この額の汗は最悪の未来を予想したための冷や汗か、はたまた我慢からくる脂汗か、男にすらわからない。



「仕方ない……緊急事態だ。インターホンを押そう」


 出来ればとりたくない手段だったが、(よわい)二十歳にもなって漏らすなんて所業に比べれば、見ず知らずの他人の安眠を妨害することなぞ造作もないことだ。男はしたたかだった。


「すり足すり足……」


 男は出来るだけ腸を刺激しないように極めて緩慢にインターホンの前まで歩いた。


 このアパートのインターホンは部屋番号を入力することで、対応した部屋に繋がるようになっている。

 ここで考えるのはどの部屋に繋ぐか、である。


 出来れば若くて優しい女の子の部屋に繋ぎたいところだ。男はあわよくば、そこから発展し、連絡先ゲット、彼女ゲット、ベッドイン!と妄想するが、絶賛“彼女いない歴=年齢”の日陰男子には、該当する部屋番号など知るはずがない。


 ならば諦めるか、いやこの男は諦めない。

 深夜で変なテンションな男はぶっ飛んだ期待感を持っていた。今この現状が、あたかも運命だと倒錯する程に。


「202号室……外から見たとき、あの部屋だけカーテンの色がピンクだった。恐らく、あの部屋の借り主は可愛い女の子だ! 俺の感がそう言っている!」


 ピンク=女の子というありきたりな発想が既に童貞臭さ満載である。

   

 男は震える手で部屋番号を押し、続いて呼び出しボタンを押した。


 ピンポーン、ピンポーン


 ありふれた呼び鈴が来訪者を告げる。

 来訪者は締め出しをくらった肛門括約筋を締める男である。


「……まだかな」


 この男、相手が呼び出しに応じないとは全く考えていない。

 そもそも、夜中に呼び出しが鳴ったとして、誰が応対するであろうか。気味悪さに居留守を決め込むのが普通である。

 通称、202号室の可愛い女の子も睡眠中で気づいていないか、居留守を決め込んだかで、応対しなかった。



「くっそ! 出ろよ!」


 口調が既にストーカー然としてきた男である。お巡りさんが見かければ、即職務質問直行である。



「あああ! 本格的にやべえ!」


 悪態をついたことで気がそれてしまい、男の括約筋が緩んだ。


 この機を逃さんとする腸内の大軍は、肛門という関所を破らんと、一気果敢に攻め立てた。

 しかし、関所は堅い。十数年は破られていない関所である。そう簡単に関所が崩壊することはない。

 

「ふぅ……危なかった。今のはメッゾフォルテ(少し強く)くらいはあったな。この際四の五の言ってられないな。とにかく適当に呼び鈴を鳴らしてみよう」


 101、102、103…と呼び鈴を鳴らすも、誰も応対しない。男は「ひょっとしてこの世界、俺一人だけになった?」などと意味不明なことを考えるようになっていた。

 不安な気持ちになりながらも一階の呼び鈴をすべて鳴らし、次に二階へと移った。

 そして―――


 ピンポーン、ピンポーン、ガチャリ


(うおおおお! きたあああ! 番号は…202! やっぱり優しい女の子の部屋だったんだ! 神は俺を見捨てなかった!)


 男は内心、狂喜乱舞しつつも、肛門の締め上げは忘れない。あまりに気が早まったせいか、男の息は荒くなっていた。


「あ、あのぉ〜ハァハァ、ど、ドアを開けてくれませんかねぇ? ハァハァ、もう限界近くってぇ、ハァハァ」


 …ガチャリ

 

 切れた。


 202号室の借り主は男を変質者だと確信した。

 オンラインゲームで鍛えたお陰でコミュニケーション能力には問題がない男だったが、対女性に関しては全くの素人だった。故に、知らない人が聞けば十中八九、変質者だと答えるような話し方をしてしまったのである。202号室の住人が女性であろうとなかろうと、可愛い女の子と思い込んでいる男は、不快な声色と息遣いを余儀なくされた。モテない男の悲しい(さが)である。通報されなかっただけでも感謝するべきだろう。


 

「神は俺を見放したのか……!」


 目の前まで来ていたチャンスが消え去った落胆から、男の関所は綻びを見せ始めた。


「ぐおおおお!」


 男は苦悶に満ちた表情を浮かべた。

 関所はなんとか腸内からの猛攻を耐えているものの、もはや限界である。腹の中ではオーケストラが盛り上がりをみせ、断続的な波を送ってきている。

 男は内股、中腰の姿勢で数分耐えた。次第にオーケストラは静寂な川の流れのようなハーモニーへと変化する。


「耐えた……た、耐えきった」


 今回はなんとか耐えたが、時間を於けば、また関所破りと死闘を演じることになるのは明白だ。

 少し冷静さを取り戻した男は、玄関を後にし、何とか中へ入れないかと、あたりを物色した。


 そして気づく。


「非常階段……だと!?」


 普段からエレベーターにしか乗ってこなかった男には盲点だった。

 このアパートには非常階段が設置されていたのである。

 非常階段の入り口は各階の廊下、つまり自動ドアの向こう側、玄関ロビーにも入り口が存在する。非常階段からならば各階へ赴くことができる。無論、自室のある三階にも。

 非常階段は外に剥き出しになっており、場所を選べば飛び移って中へと入れそうであった。


 男は足場を念入りに探した。

 既に肛門という名の関所は決壊寸前。次にまた大波が来れば、男の敗北は決定する。故に、男はこの方法に全てを懸けた。


「見つけた……ここから飛べば、非常階段の手すりに捕まることができるはず……」


 心情は無の境地、さながら熟練の怪盗であった。


「ぬおおおお! ふん、ふんぬー!」


 男は足場となる、2メートルほどの塀を決死の覚悟で昇り、幅十五センチ程の塀の上を慎重に歩いた。

 右手に見えるのは暗い排水溝。左手に見えるのは固いアスファルト。

 男は高鳴る心臓の音を聞きながら、一歩一歩着実に進み、非常階段に最も近くとなるベストポジションへとたどり着いた。


「い、意外と遠いな」


 遠目に見れば「は? 余裕だろ」と思われる場所だったが、いざその場に立ってみると、想像以上に遠かった。幅にして1メートルといったところだろうか。

 万全の状態であったら特に臆することもない距離だが、今の男は腹に爆弾を抱えた状態である。

 助走もつけられない狭い足場。そして爆発寸前の爆弾。これらは男の自信を大きく揺らがせた。


「やるっきゃないな……」


 気分はスタントマン。怪盗をもこなせる凄腕スタントマンだ。

 男は深呼吸し、膝を曲げて勢いをつけると、大きく飛び出した。


「ふっ! ふっ! ぬおおお!」


 男の手はなんとか非常階段へと届いたものの、ここからさらに腕の力だけで手すりの向こうへと乗り越えなければならない。

 男は括約筋と同時に腕の筋肉を力の限り引き絞った。

 腹部が圧迫され、腸運動が促進される。関所から頭を覗かせる軍勢を気合で押し戻し、男は叫んだ。

 

「ぬおおおああ!」


 果たして、男は非常階段へとたどり着いた。


 そこからの男の行動は機敏だった。非常階段を歴代一位となるであろう速さで昇り、重い鉄製のドアをこれまた最速で無駄なく開き、自分の部屋へと向かった。


 自室には鍵をかけていない。

 男の勝利は目前であった。


「ハハハ……勝った! 勝ったぞ!」


 男は高らかに笑いながら玄関へと入り、ドタバタと足音を鳴らしながら聖地(トイレ)へと駆けた。

 

 今こそ関所を解き放たん!

 開門!開門!

 腸からの軍勢がひしめき合いながら関所へと迫る。

 しかし、なんたることか、開き始めていた関所が急に閉じてしまったではないか。


 

「あれ? クッソ! ベルトが壊れちまってる!」

 

 男の決死のダイブで非常階段の手すりに捕まった時、運悪く男のベルトは壊れてしまった。なんという不運。

 力任せにベルトを外そうとする男。

 門を開けろー!と関所を叩きまくる軍勢。

 便器がすぐそこにあるというのに、用を足せないジレンマ。

 

 誰もが経験あるように、何時間も我慢した後、トイレに入ると一分一秒すら我慢できなくなる。あの現象がこの聖地(トイレ)でも起きていた。

 つまるところは――――


「神は……死んだ……」


 男は次の日、学校を休んだという。

 



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