dead colors -Ⅰ-
「は?嫁に逃げられて嫌気が指して料理人のくせして仕事中にタバコに手を出してすぐバレてクビになって社宅寮追い出されて放浪していた?美味しんぼ4巻にて陰で喫煙してから調理していたことがバレて海原雄山はおろか山岡士朗にまで料理を酷評されて泣く泣く兄に悩みを打ち明けるハメになった岡星良三みたいなことしてたんですか?」
メモカ・スクルージは呆れていた。
黒地に紅色の十字模様が入ったバンダナのような布でかき上げられた黒髪。
泣きボクロつきの二重のややタレ気味の、それでいて生意気げな黒瞳。
支給された白シャツ(やや大きめでだぶついている)に黒エプロン、タイト目の黒パンツ。
20代の成人男性のはずが、まるで中学生ほどの小柄な背丈。
平然としているようで、人によってはムスッとしているようにも見える攻撃的かつ端整な顔立ちは平素なら美少年の部類に入るのであろうが、今は誰の目から見ても歪んでいた。
その原因は腕を組み、仁王立ちとなったメモカに面と向かって座っている、今しがた妙な例え話で怒られた大男にある。
勇者役の人間にあてがわれた二階の小部屋。
そこの備え付けの椅子は明らかに彼の体のサイズとは合っていない。ここで暮らすエルフたちの身長は人間と大差は無く、おおよそ男であれば170cm前後である。それくらいの体格の人物が座るのにちょうど良いはずの椅子は、今や190cmはある謎の大男のせいで子供用の椅子と見間違えるほどの物になっていた。
その上、大男は何か申し訳なさそうに身をすくめているものだから傍目から見ると、160cm程度の小柄な男が、やたらと背のでかい男を椅子に座らせて叱り付けているようでもあり、なにやら滑稽な絵面となっていた。実際にはメモカが目線を合わせようとするとそうする他なかったからではあったが。
巨漢の髪は濃いというか、黒ずんだような緑色であり、何より多かった。
額がよく見えるオールバックであり、有り余る髪の大半がヒモで括られ、ちょこんと団子が飛び出ているような、さながら野武士のようなヘアスタイルになっている。
つと本体の顔を見ると眉間から外に向かって勇ましく駆け上がるようで6分目まで行ったところで力尽きたと言わんばかりに崩れ折れる、少し太めに整えられた眉。流し目がビシリと決まりそうな切れ長の瞳は、今は戸惑いの色が多く含まれていてどこか煮え切らない。
褐色色の肌を含め、ぱっと見は仕事の出来そうなダンディストといった面持ちの彼だが、今はどう贔屓目に見ても自信の無さそうな困った大人であった。
何故このような状況になったのか。
先日のことだ。
メモカは二つのことを髭面エルフに交渉した。
一つは酒場の店員として決戦の日まで働かせてもらうこと。
こちらは髭にとっても働き手が増えることは歓迎だったらしく、遊ぶ金が欲しい等、適当な言い訳を伝えると、割とあっさり承諾を得た。賃金も貰えることにはなったが、こちらとしては相場がわからない。適正な報酬をもらえるかどうかは髭の気分次第と言ったところであろうが、まずは首尾よく潜り込めたことを感謝するべきなのだろう。
問い詰めたところ、ドラゴンと戦う時はちゃんと装備は持たせてやるとは言っていたが、使い捨ての人間に上等な物を渡すわけがない。実際には安物の粗悪品くらいしか渡されないはずだ。少しでも生き残れるようにしっかりした装備を手に入れる為にも、資金が必ず必要になる。賃金がどれほどの物になるのか、そもそも生贄の餌程度にしか見られていない人間相手にまともな商売をしてくれる住民が存在するのかなど疑問はいくらでもあるが、まずは少しでも蓄えを作っておきたかった。
資金の問題はひとまず解決したが、もう一つ大きな心配事があった。
それは勇者役の人間がどのようなタイミングで現れるのかということだ。
召還の儀式みたいなものがあるとしても、自分が食べられてしまう前に最低でもあと一人は連れてきてもらわないと資金と知識の蓄積が行えない。自分か、誰かが必ず生きて帰り、引き継ぎを行い続けなくては人間側の勝利は無いのだから。
それに呼び出してもらえるなら多ければ多いほど良い。あまり多すぎると反乱の疑いを持たれてしまうだろうが、そうならない程度には呼び出してもらう必要がある。
そこであくまで反乱の意図は無く、ドラゴン退治を目的とすること、その為の成功率を少しでも上げたいということを伝えた上で髭面に交渉した結果、拍子抜けするくらいあっさりと承諾を得た。
髭が言うには昔、種族長達の寄り合いにて検討の上、複数人の人間で向かわせたことが何度かあったらしい。結果は毎回変わらず、餌となった一人を除き、全員惨殺されたそうだ。だから無駄だとは思うが、行くなら勝手にしろ。勇者役の世話代は本来一人分しか出ない。つまり人数を増やすなら飯代が余分にかかるからその分くらいはそいつらに働かせるがなと髭は言った。その際に人数が多いと管理がめんどくさいこと、それと酒場の部屋の問題で呼んでよいのは後3人までとされた。
召還の儀式を行うと早くて半日、遅くて数日程度で村のどこかに呼び出された人間が忽然と現れる。
村の住民はエルフとは全く異なる服を着た人間を見つけ次第、合図の鐘を鳴らし、それを聞いた誰かがまた鐘を鳴らし、ドミノのように鐘が連鎖し、引率係は音が聞こえ次第、魔術で発生源を遡り、近くで戸惑う人間を勇者役管理者の髭の元に連れてくるという仕組みだった。金髪の少女エルフであるアマネはまさしくその引率係であった。少女の容姿に人間はひとまず安心し、付いていく。またその時に暴れるような奴は警備の怪物に拘束されるという。
さておき、交渉の末、目論見通り資金と人数の確保が出来そうなことにメモカは少し安堵していた。どのような形であっても人間が来るならありがたい。ドラゴンだけではなく、村の住民、化け物共も何時気まぐれに襲いかかってくるかはわからないのだ。身の安全が完全に保障されていない以上、油断は出来ない。見張り役としても、客観的な意見をもらうにしても早急に人間、仲間が必要だ。
そう思いここ数日、一日千秋のような思いで給仕を務めていたのだがまさかやたらデカい図体に反比例するように極端に気弱そうな大男が来るとは…とメモカは内心頭を抱えていた。
新しい人間が来たと聞いて階下に降りると、もう見てられないくらいに巨体を縮めてぶるぶると震えている大男が居た。髭もどうしたもんかともてあましていたようなので、自分が全部説明してやると言い、あてがわれていた自室まで引っ張ってきたのだ。パッと見はでかいし、しゃんとすれば勇ましい面構えをしているように見えなくもないので、いかにも戦力になりそうなのだが、話していると心許無さがボロボロと出てくる。
「それで、なあ、ここはどこなんだ?というか下の連中は着ぐるみか何かを着ているだけとか、特殊なメイクでもしているんだろ?俺は完全に一般人だし、大掛かりなドッキリを仕掛けてくれるような友達もいない。でも何かの企画には間違いないよな?あの女の子もいいから連いてきて下さいと繰り返すだけで事情も何も教えてくれない。下の連中はまるで本物みたいにリアルな毛並みの牛人間とか、映画の世界から抜け出てきたみたいなエルフがいるし、スライムに居たってはどうやってあれが動いているのか皆目わからない。ドッキリであるなら早く教えて欲しい。い、いくら俺でもあまり長いと怒るぞ。訴えたりするぞ!」
呼び出される直前の状況を話した後、男は身振り手振りを交えながら懸命に問いかけていた。今にも泣きそうな、心細げな顔をしながら必死になっていた。化け物の巣に放り込まれた衝撃で完全にパニックを起こしていた
「訴えるって、確か貴方、向こうの世界では住所不定なんですよね?あとここは残念ながらドッキリでも何でもなくて、本当の意味での異世界です。下の連中もマジモノの牛人間とかです。当然僕らに人権は無いので法にも訴えられませんよ。まあそもそも法ってやつがあるのかも知らないですけど。」
メモカがそげなく伝えると目に見えて男は落胆した。
少し目が潤んでいる。いい大人なのに。
「…え?本当に」
「本当に。というか異世界に来てみませんかとか何かお誘いがありませんでしたか?」
「いやそりゃ聞こえたけど。聞こえたどころかハァイとか言ったけど!酔いつぶれてたし、それは適当に返しちゃうだろ!常識で言っても!」
「常識というか、良識ある大人はそもそも住所くらいありますでしょう。」
「う…。で、でも本当に、本当にここは異世界とかなのか?下の化け物も本当に本物?だって顔をつねったら痛かったぞ?」
「ええ。ですから夢ではないですよね」
この人はひょっとしなくてもアホなのだろうかとメモカは内心、さらに深く頭を抱えた。
「はっ、そうだった。じゃあ下の連中も本当に本物ってことか?俺達はあの牛人間に喰われるのか?マジで?そんなミノ皿みたいな目に俺が?い、嫌だ…うう」
男は頭を抱えている。身長がでかいと頭を抱えてもでかい。
「いや彼らは僕らを食べませんよ」
男は顔を上げた。わずかばかり安堵したのか、赤みがさしている。
「僕らを食べるのはドラゴンだそうです」
一瞬で再び顔を曇らせ、青くなる大男。
消えかけの電球みたいにぱちぱちと顔色を変える男だった。
「ついでに言うと逃げ出そうにも動く甲冑とか牛人間、もといオーク達が見張りをしていて村は出れないし、村の外の詳細はわかりませんが、まあドラクエみたいな世界が広がっていると思われますので装備も何もない僕らじゃスライムもどきに窒息死させられるのがオチです。」
「でも、でもそれなら何でアンタはそんなに落ち着いていられるんだ…?よく分からんが漫画の世界に出てくるようなドラゴンに俺達は、俺達はこれから喰われるんだろ?オーク達に食われず、ドラゴンにってことは俺達は、たぶん、いやきっと生贄にされるんだぞ!二人揃って殺されるんだぞ!」
男はますます取り乱す。顔は青く、汗びっしょりになり、涙目になりながら訴えている。
「そうです。まさに僕らは生贄です。でもエルフ達は一応倒せるものなら倒してみろということで僕らを呼んでいる。それであればドラゴンを殺すしか他に道は無いんですよ。」
それでもメモカは落ち着いて対応した。事実は酷であるが、目は逸らせない。
「倒すって言っても、多分下の連中よりずっと強いんだろ?困って俺たち人間を呼んで食わせてやり過ごそうとしてるってことなんだから。」
「そう、ほぼその通りです。どうやら人間は以前から生贄代わりに呼び出されている。いや、ドラゴンを倒させようとして結果的に生贄代わりに変化したという方が正しいみたいですけどね。どちらにせよマトモな手段では勝てないと思います。」
「だろうな。やっぱりなぁ。そうだよな。ふ、ふふ。アイツに捨てられ、職を失ったところで人生が終わったと思っていたが、まさかさらにその上を行く不幸があるなんてな。異世界でドラゴンに喰われて死ぬ?全く持って有り得ない、世にも珍しいファンタジックな死に方だよな。あ、あはははあは」
空を仰ぎ、手で顔を覆って完全に泣き出した。
弱気というか情緒不安定というか、いい大人であるだけに余計不味い雰囲気を醸し出している。だが突然常識の通じない世界に拉致されて、喰われてこいと死刑宣告を受けた身ならば、ある意味当然の反応ではあった。
同じ状況に居るメモカには彼の気持ちが痛いほど分かった。
そしてそれ故に彼に寄り添える存在が自分しかいないことも理解していた。
「ですからなんとしても生き延びる為に、どんな手段を使ってでもドラゴンを殺さなくては行けないんです。僕らは」
語りかける。
「お終いだ。お終い。そんなの無理だ。もうどうしたって…」
絶望しきった大男は俯き、ただ言葉を零している。
それは誰にも向けられることなく、地面へと吸い込まれていく。
「いい大人の癖に話聞いただけで、自分の目で見たことも無いのに諦めないで下さい」
それでもメモカは語りかける他ない。挑発的であろうとなんだろうと。
男のぴくりと肩が動く。
「もう化物達なら下で見たよ。俺はあの牛人間一匹だって絶対に倒せないのに、ドラゴンはもっと強いと言うなら勝てるはずが無いだろう。二人揃って食べられるのがオチだ。」
それでも顔を上げることはない。先ほどのパニック状態はやや収まったようだが、今や完全に絶望に支配されてしまっている。元の世界では料理人として有名料理店でそこそこ名を馳せていたという。それによって成り立っていた自尊心もこの異世界では、生贄の身では何の意味もなさず、生来の弱気な気性に呑まれた男がそこにいた。
絶望は当然だ。
自分も同じような思いは経験している。
本物の化け物共に嘲笑された時の心細さは生まれて初めてと思えるほどの衝撃だった。
だが今は違う。
なんとしてでもこの大男と協力して戦い抜かなくてはいけないとメモカは自分を鼓舞する。
伝えなくてはいけない。
「いいから聞いて。僕の名前はメモカ。メモカ・スクルージ。貴方を必ず向こうに帰す、とは言えませんが、少なくとも絶対に貴方の味方であり、貴方の友人であり続ける男です。」
自分がこの世界で唯一、大男の力になれる者であることを。
そして何としてでも生き残る意志を持っていることを。
「…味方?友人?」
そこで男はようようこちらを向いてくれた。
顔にはまだ絶望の色が濃い。
だが少し興味が惹かれたのか、視線をメモカへとうっすらと向け始めている。
「そうです。だからまずは、とりあえずで構いませんから僕の話を聞いてもらえませんか。二人揃って、必ず生きて元の世界に、帰る為に。」
そしてようやく、男の目がまっすぐにこちらを向いた。
まだ涙は止まっていない。
顔は赤い。
鼻水も止まっていない。
しかし、正気と、ほんのわずかばかりの希望がその男、冬乃銀雪の目に、混じり始めていた。
「…だからってこれは無いだろう!メモカッ!」
一転して冬乃は叫んでいた。
あれからメモカは状況を説明し直していた。
自分も来たばかりでこの世界の勝手が掴めていないこと。
ドラゴンの巣へ行かされるにあたり、少なくとも十分な資金が必要だと考えていること。
その為、しばらくはこの酒場で働き、稼ぎまくる必要があるということを。
冬乃はそれであるなら自分の料理人としての腕をまず活かせないかとメモカに申し出ていた。メモカは喜んでそれを承諾し、酒場のオーナーたる髭に許可をもらい、メモカは給仕として、冬乃はメイン料理人として働くことになったのである。
メモカも想定外だったことは、働き始めてすぐに酒場の料理は大評判になったことだ。
それというのもこの世界の食事はかなり原始的な味付けの物が多かった。
何かの肉を焼いて塩コショウ。
何かの魚のようなものを香辛料代わりの草と煮付けるだけ。
酒場とはいえ余りにも粗末なものだと初めは思っていたのだが、もとよりこの村では料理という文化があまり発展していないようだった。オークは生肉でも済むし、鎧武者とスライムは料理そのものをほぼ必要としない。エルフも住民比的に多くはないらしく、適当な料理で済ますことが多いようだった。料理の文化というのは不思議なものであり、どこの世界でも一様にそれなりに美味しい料理が発展するという訳ではない。人間の世界でも国ごとに料理は大いに異なり、中には不味い料理ばかり出す国だと言われてしまうところもある。
そういったところに一流の腕を持つ料理人が来れば繁盛するのもむべなるかなというところであった。住民達の味覚が人間と近いものであるらしいのも僥倖だったと言えよう。
「そうは言ってもまずはお金が要るんです!諸々の為に!オーナーも稼ぎの3割は渡してやるといってくれたじゃないですか!」
厨房に料理を取りに来たメモカが叫び返した。
冬乃の料理が評判になってすぐ、メモカは髭に稼ぎをある程度渡してもらうように交渉していた。初めは気まぐれの賃金以上の金を渡すことを渋っていた髭だったが、断るようなら冬乃には料理をさせない、それで自分達を暴力で脅すようなら自殺する、どうせドラゴンに殺されるなら自分達で舌噛んで死んでやると切り出したら一発であった。3割という数字も相当渋られた末にようやく引き出せた数字であり、本当はもう少し欲しいところではあったが、普通に働くよりは明確に多く稼げることもまた確かだった。
「それにしたってかれこれもう4日連続で20時間労働だぞ!死んでしまう!ドラゴンに喰われる前に過労死で死ぬ!」
かようにして儲け始めた途端にメモカは勝手に営業時間を伸ばし、稼げるだけ稼ぐシフトで二人は働いていた。
叫びながら謎のばら肉とピーマン等に似た野菜を甘辛く味付けして炒めたもの―チンジャオロースもどきを皿に盛り付ける。客が多すぎるので、メニューは固定で大皿の料理をドンドン出すのがもっとも効率が良い。
「なんなら給仕もやりませんかね!流行のワンオペですよワンオペ!レペゼンジャパン、レペゼンSU・KI・YA!」
メモカは両手で料理を回収しながら、酒瓶とコップも持っていった。メモカもまた毎日20時間労働をこなしていた。冬乃もあの小さい体でよくもまあと感心するほどに。
「対応できる労働量を超えているんだよ!異世界にブラック労働を持ち込むなッ!」
軽口というか、悲鳴を上げながらも着々と料理は作られていった。
オークはあっという間に大皿を一人(一匹?)で片付けるし、エルフは少しずつではあるが、休むことなく食べ続ける。鎧武者達は何も食べなかったが、スライム達は液体なら摂取出来るらしい。酒に塩と柑橘類の様な物を混ぜた飲み物を与えるとグラスごと体内に取り入れ、味わっているようだった(お金もくれた)。
薄汚れた酒場は今や村中の生き物が一度は食べてみようと押しかける人気料理店へと変貌するまでになっていたのである。
激動の営業が続く、五日目の朝。
「働いて金を稼いで資金を貯めるのは分かったが、とりあえず人…じゃないエルフというか…まあ人を雇わないか」
死んだ目で歯を磨きながら(持ち込んでいた歯ブラシを使っていた)冬乃が呟いた。
「ダメです」
唯一の洗面台のようなところで、横並びになって歯を磨き、口をゆすいだメモカが返す。
「何でだよ!どう考えてもこんな長時間労働がこれ以上続いたら死ぬぞ!ドラゴンより先にお前に殺される!」
「汚いなあ、歯を磨きながら怒鳴らないでくださいよ。泡が飛ぶ。」
「だって…がらがら…お前…がらがら」
「うがいをしながらよく喋れますね…いいですか。もしエルフを雇って代りに料理をさせたとしたら、恐らくあっという間にレシピを盗まれますよ。」
メモカが顔を洗う。
「ぺっ…と、そりゃまあそうかも知れないが、腕はそうはいかないだろ?こう見えて俺も俺なりにキャリアは積んでいるんだぜ?」
冬乃が口をゆすぐ。
「それでも多少は客足が途絶えるでしょう。普通の状況ならこちらも休息が必要ですからそれでも良いのですが、僕達にはとにかく時間がありません。どれだけキツくても今は我慢の一途です。このフィーバーを留めてはいけないんです。」
「そりゃお前の言う通りかもしれないが、冗談ではなくこのままだと俺は倒れるぞ。そうしたら元も子もないんじゃないのか?」
「いえいえ。あと2、3日だけ踏ん張って下さい。村中に旨い料理が食べられることがもう少し知れ回ったところで、人数と時間制限を設けて高単価収益方式に切り替えます。そうすれば楽になりますから」
二人して洗面を終え、部屋に戻る。
「…それまでは?」
「いいですか。たかだか一週間くらいまともに寝ずに働いたとしても人は死にはしません。例えご飯も食べれないほどだとしても、ね。何故ならお客様の笑顔を見ることで、その感動を食べることで人は生きていけるんです。希望を持ち、不可能を可能にしましょう!」
「おお…!そう、そうだよな!分かった俺頑張るぜ…ってやめろ!渡辺美樹のポエムで人を洗脳しようとするな!…本当に、後2,3日だけ20時間労働ならなんとかならんこともないが、そのあとはちゃんと寝かせてもらうぞ」
「構いませんよ。ああそれから。僕は暫く出かけますから。」
ふと見やるとメモカはいつもの給仕服ではなく、エルフ達が着るような素朴な作りのシャツとパンツを着込んでいた。
「え、お前まさかサボるつもりかなのか…こ、こんだけ人をこき使っておいて…」
「まあ、ほら情報収集と色々ネタを仕込みにね。給仕くらいならエルフを雇っても良いでしょ。」
「くー、うー…ああ、でもよー」
一人だけ働かされるのが嫌だというよりも、一人にされること自体が正直恐ろしかった。もし難癖でもつけられてみろ。口の回らない自分では太刀打ちできず、最悪喰われでもしかねない。だがそれを正直に言うわけにも行かないので難儀していた。
「全く、いい大人なんですからそんな駄々をこねないで下さい。“バッツ”さん」
そこに妙な言葉が混じってきた。
「…“バッツ”さん?」
「この世界での名前ですよ。せっかく異世界に来てるんですから、そういうのもいいじゃないですか。僕の名前ももちろん偽名ですし。」
「まあ確かに、その、理屈は分かるぜ。俺も子供の頃遊んでたRPGとか自分の名前じゃなくてカッコいい名前にしてたもんな。ヒュンケルとか、飛影とか。」
「そういうの聞いている方が恥ずかしいのでやめて頂いていいですか?」
「ひ、ひどい。話を振ってきたのはお前だろうが!いやそこじゃなくてバッツってなんだ。明らかにバツイチからとってるだろうがそれは!バカにしているのか!」
「違いますよ。ほらもみ上げのあたりが何処と無くFF5のバッツに似ているから。」
「嘘だ!」
全くふざけた奴だと冬乃は思ったが、同時に元気付けの意味も込めてからかわれたということも理解していた。まだ会ったばかりの関係ではあるが、どちらにせよ協力しないと生き残れない。それには情報が必要だということもわかる。受け入れなければならないことも。
「…但し夜には帰って来てくれよ」
「まあ確かに夜は襲われかねませんから早めに戻るつもりではいますが。何でそんな…ってまさかそんな図体でトイレが怖いとか言わないでくださいね。そっちの方がホラーだ…」
「違う!お前だっていきなりこんなところに連れて来られたんだろ?だったらせめて現実世界の飯っぽいものくらいちゃんと食わせてやるから帰って来いってことだ。朝は簡単なものしか作れないしな」
「…意外と優しいんですねぇ。何で逃げられたのか不思議なくらい。」
「だからそれは言うなっつってんだろうが!傷口を抉るなっ!」
「まあいいじゃないですか、褒めたんだから。」
そんなことをしているうちに更に3日が過ぎた。
バッツはひたすらに料理を作っては出し、作っては出しを繰り返す。
あまりにも客が多いのでバイキング形式で金を取り、とにかく量をこなす。
メモカは話していた通り外出していたが、夜だけでなく、昼頃にもふらっと帰ってきては適当に作っておいた飯を食べ、“バッツさんりんごパイって作れますか?僕あれ好きなんですけど。いや他意はないんですが、ちょっとりんごっぽいもの手に入ったので置いときますね。客に出したら殺しますよ。あくまで他意は無いんですが、夜には用意しておいて下さいね”だの“バッツイチさん、あ、間違えたバッツさん。エルフの女の人って本当に綺麗なんですねぇ。それもみんなですよ。現実世界と違って目の保養には困りませんね。ああずっと厨房だと分からないかもですね。すいません!”だの“バッツパイセンガチ繁盛パナいッス!ガチアゲガチアゲリスペクトゥー”だの好き放題言ってはまた出て行く。最初は気遣ってわざわざ憎まれ口を叩くという体で来てくれてるのかと思っていたが、だんだんと本当に外でサボって暇つぶしに立ち寄っているのではないかとバッツは思っていた。
また暴言を吐くようなものなら激辛マスタード風の香辛料を仕込んだホットドックを食わせてやろうと考えていた次の日の朝。メモカは一つの提案をした。
「やーお疲れ様でした。バッツさん。村でこっそり聞き込んでたんですが、もうこの酒場のことを知らないものはいないレベルになってますよ。もう馬車馬タイムは終了です。今日から適当に時間と人数を区切って料理の単価をガンガン上げて行きましょう!」
「そ、そりゃ良かった。しかし楽になるのはいいけど、少しばかり儲けは減りそうだな…」
バッツはもはや息も絶え絶えであった。この一週間、寝るか作るかの日々であったのだ。
心なしか頬もこけ、幾分か巨体が縮んだようにも見える。
「それなんですが。バッツさん。僕がりんごパイを作って欲しいといったこと覚えていますか?」
「ああ、あれなあ」
結局りんごパイは出来なかったのである。この村には小麦粉がなく、パイ生地が作れなかった為、仕方なくたっぷりの蜂蜜でリンゴを煮詰めたものを用意してやったのだ。
「りんご煮になってしまった奴だろ?お前が旨い旨いとか言って俺の分まで喰ってしまった奴」
「ええそれです。大変美味しかったですよ。僕は大の甘党なんです。覚えておいて下さいね」
臆面もなく満面の笑みをたたえている。一度勇気を出して殴ってやろうか。
「それにパイよりも…むしろリンゴ煮の方が、二つ、いや三つかな。まあそんな意味で美味しかったです。」
「…何?」
満面の笑み、ではない。これは同じ笑みでも企みの笑み。悪巧みの笑み、だ。
「こちらへ来て下さい」
メモカはバッツを二人が泊まっている部屋から連れ出し、隣の部屋の扉を開けた。
「こ…これは!」
そこにはリンゴ風果実が詰まった木箱が大量に積まれていた。
ちょっとしたワンルームを埋め尽くすように、だ。
「いやあ一人でこれを運び込むのは大変でしたよ。でもバッツさんが一人で頑張ってくれてるかと思うと…なんだか力が湧いてきて…」
何故か頬を赤らめるメモカ。
「そうか…いやすまん!俺は…俺はお前がもしかしてサボってるんじゃないかと少し疑ってしまっていた。こんなに大量の木箱を運ぶのは骨が折れたろうに…すまん!」
「いえ、いいんですよ…因みに何かふざけたことを企んでましたか?」
「い、いやその、まあちょっと辛めのホットドックを用意していたくらいで…」
うう、嘘がつけないのが自分の性分だとわかってはいるのだが、ここでまた馬鹿正直なことを言わなくてもな。でも、こんなに真摯に頑張ってくれた奴に嘘はつけまい。
すっとメモカは顔色を戻す。
「なるほどわかりました。これだけ華奢で絶対可憐な僕がこんな重いものを運べるわけないでしょ。適当にオークを金で雇ったんですが、なるほどロシアンホットドック。躾が足りなかったようですね」
「し、しまったまた騙された!」
やはりこいつは信用ならん!あと躾ってなんだ!俺の方が一回りは上なのに!
「まあ冗談はさておき。これはこの村にあったほとんどのリンゴ風果実です。もうめんどくさいので今後はリンゴと言い切りますが…これを使ってリンゴの蜂蜜煮を明日から出して下さい」
「おおスペシャルメニューって訳か。確かにリンゴ煮は原価も安く、一度に大量に作れるから利益率も高そうだな。」
「いえこれはサービスでいいです。」
バッツは眉をひそめた。
「…サービス?タダで、か?それじゃこのリンゴを仕入れた分赤字にならないか?」
「ええ。少しの間ではありますが、これはタダで出していいです。そう、”誰でも出来そうな”蜂蜜のりんご煮としてね」
「誰でも出来る?…あっ!まさかお前!」
そこでメモカはニヤリと笑った。
「そうです。店で出す料理は簡単には誰も真似できません。レシピも技術もすぐにはトレース出来ない。ただ、このリンゴを切って蜂蜜で煮込むだけなら誰でも出来る。一気に皆真似したがるはずです。もしかしたらこんな簡単な料理は知られているかもしれませんが、何、適当な名前をつけて、蜂蜜に一匙分の塩が肝ですとか言ってブランディングしてやれば皆飛びついて作りたがる。」
「しかし、この村のリンゴはこれだけ…大量に買い占めてある」
「そう、僕の予想が正しければまず間違いなく爆発的な勢いで売れる。リンゴは確か常温で一週間は持ちますから、似たような果実のこれもそれくらいは持つでしょう。僕がリンゴを仕入れた商人が慌てて高値で買い戻しに来るまでには十分間に合うはず。」
まるで株の仕手戦である。インサイダーもへったくれも無い。
「もちろん脅してこかして吊り上げますがね。これでまたドカンと儲けられます。この取引は僕らの管轄でやっているから文句も言わせません。驚きの純利になりますよ。まともにやっても3割の稼ぎじゃとてもではないですけど大金は稼げませんからねぇ」
全く呆れたことを考える奴だ。
バッツはあまりにあこぎなやり方に呆れつつも感心していた。
なるほど、エルフしか頭をまともに使うような奴がいない社会では経済観念というのもそれほど発展していないことも十分想像できる。しかし、このようなやり口で儲けようとするとは。こいつは元の世界で何をしていたのだろうか。
「しかし、よくそんな種銭があったな。…俺がいくら働いたからと言ってもこれだけ仕入れられるほど稼けちゃいないだろう」
「ああそれはバッツさんを売った…いや、バッツさんの働きと僕の交渉術です」
「おいまた聞き捨てならないこと言っただろ!なんだ売ったって!おい!」
「や、ほら料理が凄い勢いで評判になったじゃないですか。商人てのはみんな耳が早いものですから一般の村人より儲かりそうな事情に詳しくてですね。そこで今後の売上を担保にして金を借りまくったんですよ。だからもしリンゴが売れなかったら、もうバッツさんの腕で返してもらう、というか、馬車馬タイム再びというか、ですね」
「ふ、ふざけるな!そうなったらお前も働けよ!いやそれだけじゃない!お前の食事は全て激辛ホットドッグにしてやるからな!」
「何ですって!僕は大の甘党なんですよ!そんなもの食べたら口からギャグ漫画みたいな火を吐いて死んでしまう!この薄幸の美少年フェイスにたらこくちびるが生じたらまるでキュビズムだ!美の崩壊!」
「うるさい!自分で美少年ってお前はナルシストか!何かと言えば俺が割りを食ってる気がしてならん!もうこれ以上は我慢ならんぞ!」
「だから人には適材適所ってものがあって…!」
そうして夜が更けていく。
メモカは宣言どおり、酒場の業務内容に営業時間と人数にきっちりと制限をかけた。相変わらず忙しくはあったが、バッツはひとまずしっかり眠り、食事も取れる仕事に落ち着きを感じていた。もっともメモカがしょっちゅう消えてはいたが、ちょくちょく装備品のようなものや、なにがしかを仕入れたりと暗躍していることは夜に聞いていた。もっとも昼時にはバッツの元に現れ、デザートつきの食事をせびるのは変わって居なかったが。
そしてまたりんごの蜂蜜煮も大好評を博すことが出来た。
バッツの休息と収益レベルの維持を同時に行う為の人数制限、高単価化ではあったが、それは同時にこの村の資本家、有力者が優先して来るようになるということだった。そしてそうした影響力がある連中に率先して蜂蜜煮を提供することで、拡散力は爆発的に増していく。ピラミッドの土台となる一般住民から上層部へと評判を登らせていくよりも、普段から注目されている有力者、つまりピラミッドの頂点から評判が降るように仕向けた方が拡散速度は圧倒的に速い。そしてりんごの賞味期限の都合上少しでも早く売り切らなくてはならないことを考えると口コミを待っている暇はないので元より有力者から評判を広めてもらう他なかったのだが、うまくハマり、オーナーエルフに気付かれることなく、メモカは大きく資金を稼ぐことに成功したのである。
そのようにしてひとまず当面の資金問題は何とかなりそうだと考えていた矢先。
訪問者が現れたと連絡が入った。
だが、まさかいきなり二人もまとめて来るとは、予想外だった。
まして紫の看護服にムチ、ドロンジョ様のようなメガネをつけた銀髪の若い女と海パンツ一枚とやたらデカい水鉄砲、シュノーケルを持った金髪碧眼の小学生が来るなど、本当に予想外だった。