part1 バニエット
※今回の話は見る人によっては強い拒否反応を示すものとなっております、ご了承ください
「ふぅ……ふぅ……」
「大丈夫ですかバニエットさん」
修行期間も気が付けば八年を過ぎて、あと一年ほどで時流れの山を下るという時、残り一年だからと訓練を頑張りすぎたせいなのか、私は急な体調不良に襲われて倒れてしまい、今は簡易的なベッドの上に寝そべっている
「ただの風邪だから、少し休めば治るよ……ごめんね、心配かけちゃって」
「いえ、それよりも今は少しでも休んでください」
私が倒れた時、ソリッグくんはすぐさま血相を変えて私をベッドまで運んでくれた、今も毛布を調達したり、熱を冷まさせるための薬を調合させてしまっている、そのことに申し訳なく思いつつ、私は彼の言う通り体を休めようと何か楽しい、別のことを考えようと思考を巡らせていると、もう久しく見ていないあの人の顔が頭をよぎった。
「ケンタ様……」
「――えっ?」
「あ、ううん! 何でもないよ!」
私の呟きに反応してドルーグ族特有の犬耳をこちらに向けながらソリッグくんは聞き返す、私はそれに慌てて首を振ってごまかす。
危なかった……彼はどういうわけかあまりケンタ様にいい印象を持っていないため、ここ二年ほどは名前すら出さなかった、ケンタ様の思い出を語れないのはほんの少し寂しいかったが、私一人の勝手な都合で彼を不愉快にさせてしまうのは本意ではない
しかし、誤魔化しきれなかったのかソリッグくんの顔に若干の影が差し、私は心の中で頭を抱えながら何とか弁明をしようと口を開く
「あ、あの、今のはちょっと思い出を振り返ろうとしてつい呟いちゃっただけで、別にソリッグくんを――」
「――また、その男ですか」
私の咄嗟の言い訳を遮ってその言葉を言ったソリッグくんの声は、口を噤ませるほどに底冷えしていて、背筋を風邪によるもの以外の悪寒を走り抜けさせた。
今まで見たこともないような彼の姿に、大きな困惑と本能的な恐怖が湧き上がってくる
「……すみません、少し落ち着きが無かったようです、僕もまだまだ未熟らしい」
「え、あ……そ、そんな事ないよっ、私こそごめんね?」
だけど、その様子も数秒と経たないうちに消え去って、いつもの親しみやすさを持った穏やかな顔つきで困ったように笑う、気のせいかと胸を撫で下ろした私は緊張から解放された影響か、途端に疲れが襲い掛かって来た。
「今日はもう疲れたでしょう? 雑用はやっておきますから、後は寝ていてください」
「うん、ありがとう、ソリッグくん……」
彼の心遣いに感謝しながら、私は深い眠りへと落ちて行った――。
◇
「バニエットさん、バニエットさん、お薬が出来ましたよ、ちょっと起きてください」
「ん、んん……?」
そうして眠り続けてどれぐらい経っただろうか、優しく揺すられる肩の感触にぼんやりと意識を浮上させる
「今水を汲んできます、その間に少し起き上がって下さい」
「うん、わかった……」
まだ意識ははっきりとはしていないが、ソリッグくんの言う通りに上体を起こし、眩暈のような感覚に慣れた後、ソリッグくんの後ろ姿を見る、八年間見続けた変わりない背中に安堵して思わず私の顔に笑みが広がる
「ところで、その、ケンタさんの事なんですけど……」
「っ、え、何?」
と、そこに、また不意にソリッグくんがケンタ様の事を口走るものだから笑みは一瞬にして消え失せ、あの冷え切った姿を見ることになるかと思うと再び重い緊張感が私の全身に纏わりつく
「やっぱり、その、今更なのですがバニエットさんはケンタさんの事を、お慕いしているのでしょうか?」
しかし、そんな緊張はまたもや意外な一言の前にあっけなく散ってしまう
「そ、それって……」
「恐らく、あなたが考えている事と同じ意味だと思います」
その言葉を受けて、私はまざまざとケンタ様との思い出を振り返る
厳しい事もあれば、楽しい事もあった。
かっこいい姿は勿論、ちょっとかっこ悪いところも見てきた。
強いかと思えば、意外なほどに繊細で
そんな本当は寂しがりな彼の姿を、色あせる事無く思い出せた。
二か月だけの短い間だったけど、ケンタ様と冒険した時間は、これまでの人生で一番輝く思い出だった。
もし叶うのなら、また彼の傍に寄り添って――
「……好きだよ、今まで出会った人たちの中で、いっちばん」
「………………そうですか」
私の心からの答えに、ソリッグくんもまた何かを決意したような顔を見せる、その様子に胸騒ぎに似たものを感じた私はその真意を確かめずにはいられなかった。
「どうしたの? 急に、ソリッグくんの方から」
「いえ、気になっただけです、すみません……さあ、どうぞ薬を飲んでください」
……なんだか今度は私が誤魔化された気分だが、別段悪意は感じなかったから問題はない、それにソリッグくんがそんなことするとは思えないしね
「本当にありがとうね、じゃあ、いただきます」
薬を口に含み、それを流すように水を口内に満たしていく、そして薬が喉を通り、胃の中へと辿り着く
――瞬間、私の中で何かが弾けた。
「あ、う、ああ……?」
なに、これ? 私の中から…………何かが消えていく?
いや……いやっ! ダメッ! 消えちゃダメ! 頭の中から大事なものが無くなっちゃう!
助けて、助けて! ―――! …………!?
「あ、れ――――?」
何を呼ぼうとしていたのか、そもそも何が起こったのか、それすらも分からないまま私の意識はそこで遮断された。