第六十一話 鋼鎧と肉鎧
『ケンタァァァァ!!』
「――!」
その巨体から想像もつかないほどに俊敏な動きで花崎のゴーレムは拳太に向かって巨大な鉄塊の拳を繰り出す。
拳がすぐ目の前に迫る中、即座に『電磁装甲』を脚部に展開させた拳太は間一髪のところで地を蹴って跳躍する、彼の足先を掠めた拳は地面へと陥没し、広範囲に皹を形成していた。
「マジかよ……! あんなもんまともに食らえばミンチじゃ済まねーぞ……!?」
その威力を物語る光景に顔を青ざめさせた拳太は次に己に迫り来る巨大な刃の反射する光を視界に入れる
未だ空中にいるため回避はできない、かといって刃を受け止めようとすれば例え『電磁装甲』が全力で展開できていたとしても真っ二つになるのは避けられないだろう
「だったら……!」
僅かな時間で判断を下した拳太は一瞬にして時間の流れがスローになっていく己の研ぎ澄まされた神経を頼りに、ギリギリのタイミングで分厚い剣に両手を組み合わせた拳を叩きつける
「オラァ!」
剣と拳が触れた瞬間に拳太は『電磁強打』を発動、『正々堂々』と併せて花崎ゴーレムの巨剣を砕いてぼろぼろの土に還し、拳太は距離を取りつつ地面へと弾丸のように突っ込んでいった。
「ぐ、う!」
背中からの荒々しい着地と地面との摩擦に引き摺られる痛みに顔をしかめたが、死の連撃をかわし切った安堵に無意識の内にほんの少し拳太の心が緩む
それがいけなかったのかも知れない
「オオオオオ!!」
「クソ、またか!」
ゴーレムは咆哮と共に足を振り上げて拳太を見据える、蹴りか突進が来るだろうと踏んだ拳太は身構えたが、ゴーレムが取った行動はもっとシンプルだった。
「!?」
振り上げた足は拳太へと踏み出すことはせずにその場で強く、力の限り足踏みした。
拳よりも更に強烈な衝撃は大地を地震のように揺らし、拳太の身体をいとも容易く揺さぶる
「しまっ――!?」
そして、砕かれた地面から飛び出した大小様々な石のつぶてが、防御する間もなく拳太へと殺到した。
◇
「何だこれは……どういうことだ!? 僕達が戦う間もなく……!」
煙幕を張り、いざ奇襲を仕掛けようとしたレネニア達が見たのは既に倒れ伏していた三人の姿であった。
それは彼女達に従う周りの女性達も同様の様で、あれだけ騒がしかった戦場は一転して風の音だけが通り過ぎる
その滝のように汗を流す尋常ではない様子に戦いのことなど頭から抜け落ちてアニエス、レネニア、望月のそれぞれが彼女達の元へと駆け寄って抱き起こす。
「ちょっと、どうしたの!? しっかりしなさい!」
望月が体を揺すっても全く反応がなく、彼女達の体はまるで鉛でも詰まったかのようにぐったりと全身を投げ出されている、誰の目から見ても、それが例え幼い子供だったとしても重症であることは明白であった。
「……治療魔法をかけます! 手伝ってください!」
数瞬の迷いを経て、アニエスは苦しむ香織達に杖を向けて小言で魔法の詠唱を始めた。
彼女の言葉に行動で答えた望月や幸助によって一ヶ所に山積みに集められた女性達を、霧のような優しい光が包み込んでいく
「ねぇレネニア……この症状は」
そんな中、彼女達の症状に心当たりのあるレベッカはレネニアに向けて確認するように視線を寄越す。
彼女も同等の答えを得ていたのか一つ頷いた後にベルグゥの肩から倒れ伏す三人の元へと飛び降りた。
「ああ、魔力切れだ」
そう、その症状はかつてレベッカがその身をもって経験した一種のスタミナ切れのようなものだ。
体内の魔力を殆ど使い切る時に起こり、魔族のように元の魔力所有量が多ければ多いほどその症状は深刻なものとなってくる
「しかし……私達が確認した限り彼女達が大規模な魔法を使用した形跡はありませぬが……」
「待っていろ、今魔力の流れを見てみる……!」
ベルグゥの疑問に答えるべくレネニアは再度己の人形の義眼に神経を集中させて視界の切り換えを行う、そして彼女の眼には通常の視界には映らない魔力、その流れがハッキリと映されていた。
その流れの奥には――
「これは……少年の方に――」
レネニアがその言葉を言い切る前に、煙幕の中から一つの黒い塊が突っ切って彼女達の中へと落ちてくる、思わずレベッカ達が身構える中、それは何度も地面をリバウンドし、煙幕に新たな土煙を生み出していった。
落下物はやがて勢いを失い、その正体をレベッカ達へ晒す。
「ぐっ……ふ……」
「ケンタ!?」
それは身体中に痛々しい打撃跡を残し、身体中を青黒い痣や血液に染め上げたボロ雑巾のように変わり果てた遠藤拳太の姿だった。
治療魔法をかけ終わり、彼女達の元へと戻ってきていた三人も度肝を抜かれて彼を見る
「な……また何か起こったの!?」
「ケンタさん!? い、今こっちにも治療魔法を……!」
慌てて意識も朦朧としている拳太に応急処置を施していく望月とアニエスを尻目に、幸助はいつでも戦えるようにと鎖を剣と共に引き抜きベルグゥとレネニアの元へと駆け寄っていく
「この様子を見るに……拳太は花崎に負けたのか?」
幸助はこの状況で今一番考えられる理由を口に出す。
しかしそれに対してベルグゥは即座に否定の言葉の代わりに首を振って答えた。
「いえ、ケンタ殿の怪我の症状を見るに、魔物の集団に殴打されたのだと見て良いでしょう、勇者との戦闘中に何らかの要因で魔物が乱入し、混乱の最中にやられてしまったのだと思われます。
この煙幕のお陰でもあるのでしょうが、今のところ追撃も来ていませんから現在は恐らく件の勇者と戦闘中でしょう」
拳太の状態を観察し、ベテランの冒険者としての経験の元にベルグゥは推察する、その答えを裏付けるかのように静まり返った煙幕の中、人では到底出せない重量感のある足音が見えない視界の奥から空気を震わせてきた。
「大型の魔物かっ?」
「いえ、それならばこの国が放っておく筈がございませぬ、秘境などに暮らす種ならば兎も角……」
しかしベルグゥの予想は外れ、土煙の中から出てきたのは石で出来た、とても自然の者とは思えぬ鎧が花崎達を見下ろしていた。
その存在に、三人は凍りつき、拳太の治療で離れていた残りの三人でさえその存在に畏怖させられた。
「ゴーレム、また造魔か!? 今度は誰が……!?」
「……恐らく、花崎だろう」
誰もがその存在に混乱し、疑問を呈していたが、その中で一人だけ確信を持って幸助は口にした。
「勇者が……? なぜそう言い切れる」
「彼は拳太を打倒することに尋常ではない執念を燃やしていましたし、ありとあらゆる手段を取ったとしても何ら不思議はない、それが自らの味方を犠牲にしてでも……」
それは、実際に彼が狂いゆく瞬間を目撃した幸助だからこそ言い切れるもの、かつての好青年の面影を一つも残さずに飛び出ていったあの顔を思い出した幸助は、一人歯を食い縛った。
「僕があの時、彼の気持ちも考慮せずにずけずけと物を言ったから…………!!」
「自分を責めるのはやめなさい、幸助……そう思うのなら、彼を止めて上げましょう」
鉄棍をゴーレムの方へと向け構え、決意を宿した瞳で望月は言い放つ
それは言外に万が一の場合は花崎の殺害も辞さないと言った意味を正しく理解した幸助はほんの少しの躊躇いを振り払うように腰の剣を勢いよく引き抜いて己の周りにチェーンを展開させる
「しかし……どうする? 僕らの火力ではあのゴーレムを削りきれるとは思えない、削れたとしてもすぐに土を補充されてしまえば意味はない」
「ならば……私に任せていただきますかな?」
武器を構える彼らの中から、ベルグゥが一歩前に踏み出て拳を合わせて音を鳴らす。
何一つ得物を持たないベルグゥをレネニアを除く面々は怪訝な表情を浮かべていた。
「ベルグゥさん……でも、武器もないのにどうやって?」
「フフフ……私もケンタ殿と同じく己が拳を武器としております故、心配は要りませぬ……」
疑問を投げ掛ける望月に不敵に笑い返してベルグゥは両の瞳を静かに閉じて、瞑想でもするかのように集中し、ゆっくりと息を吸い込んでいく、その動作だけで彼の周りの地面が震え、小さな石が浮いていく
「ハァァァァ!!」
そして息を吸い終わった直後に、ベルグゥは己の声帯を最大限に震わせて咆哮する
すると、彼の肉体が風船のように一気に膨れ上がる、膨れ上がったのは鋼のような筋肉である
「ムゥゥゥゥ……!」
そうして背丈を一回りも二回りも巨大化させ、変化が収まる頃にはゴーレムに迫らんほどに大きく、紫色の皮膚から今にも飛び出してきそうな程にはち切れんばかりの筋肉になっていた。
「ふぅ……この姿も久しぶりですな……」
「う、うわぁ……」
執事服が破け、上半身が裸になったベルグゥの姿に望月とアニエスは唖然とし、幸助とレベッカは顔を青ざめさせて身体を後ろに引く、レネニアは慣れているのか平然とした様子で彼の肩に飛び乗っている
「では、行きますぞ!」
「ベルグゥ、無理はするなよ!」
呆然としている彼らを置いて、ベルグゥは足腰をたわませるとバネのように全身を跳躍させて一秒にも満たない速さでゴーレムの目前へと迫る、ゴーレムが何か反応するよりも前にベルグゥはその肥大した拳を振り上げた。
「オオオオオオオ!!」
防ぐ暇もなくベルグゥの拳が次々とゴーレムの腕、脚、胴体、頭部へと叩き込まれていく、叩かれる度に腹の底に響く重低音が辺りに撒き散らかされ、あちこちに鋼の破片が飛んでいく
「す、凄い……あれなら押し切れる!」
レベッカが我を取り戻して眼前の圧倒的な光景に歓声を上げる、他の者達も武器を持つ手を握りしめて来るべき好機に備えていた。
「ムッ!」
やがて胸の中心部から土が剥がれていき花崎の顔が現れ、更に周りの土を削った後にベルグゥは再び跳躍し、花崎の姿を幸助達の前へと晒す。
「今です!」
ベルグゥが言いきる前に幸助は鎖を、望月はシャボン玉を、レベッカはレイピアと風の刃を飛ばして花崎をゴーレムから引きずり出そうと一斉に向かっていく
『――アアッ!』
だが、その攻撃が届く前に花崎はゴーレムの残っていた腕を動かして自らを引き抜いてそのまま空中へと放り出す。
残ったゴーレムの残骸は到達した攻撃の前に呆気なく砕け散ったが、花崎は再びゴーレムを作り出そうと右手首の腕輪を輝かせる
「マズイ! あれ以上魔力を吸われると死人が出るぞ!」
「花崎! よせ!」
幸助の呼び掛けにも答えずに花崎の腕輪は輝きを増していく、その様子からもう説得は不可能だと感じ取った望月とレベッカは手遅れになる前に武器を構える
「お待ちを……それは私が!」
「ベルグゥ、その手じゃもう無理だ!」
「……ムゥ!」
ベルグゥはこれから手を汚さんとする彼女達を止めようとするが、逆にレネニアから制止される、彼女の言う通りベルグゥはすっかり元の姿に戻っており、両方の拳から流れ出る血液を見て悔しげに呻いた。
「花崎……ごめん!」
望月が鉄棍を構えて花崎の頭部を粉砕しようとした時、彼女のすぐ横を何かが通り抜けた。
真っ黒なそれは何よりも速く花崎の元までたどり着くと、彼の腕輪を掴み、粉々に砕いた。
「――他人に迷惑かけてんじゃねーよ」
黒い塊――意識を取り戻した拳太が花崎の腕輪を破壊し、もう片方の拳が彼の顔面へと突き刺さり、花崎は地面へと叩きつけられた。
「テメーの大事な仲間だろうが、バカヤロウ」
荒い息を整えながら、拳太は溢すように呟いた。
こうして、アドルグアでの魔将襲撃からの戦いは幕を閉じた。