第五十九話 圧倒的な力
遠藤拳太は倒れていた。
『電磁装甲』も魔力切れによって強制的に解除されており、酷い出血に意識を朦朧とさせていた。
「――ん! し――――ケンタさ――!!」
灰色と茶色だけが認識される視界の中、ほぼモヤがかかりきっていた拳太の脳が、人間の声と言う刺激を聴覚からもたらされる、それによって彼の瞳には段々と光が戻り始めていた。
「う……アニエス?」
「良かった。目覚めたのですね!」
嬉しそうに顔を綻ばせるシスターを見つめながら、拳太は鈍痛の走る頭で無意識的にこれまでの事を振り返って状況を把握しようとして、自分が誰と戦っていたのかを思い出した。
「そうだ……あの蜥蜴野郎は?」
と、その時、アニエスが何かを告げる前に激しい金属音を打ち鳴らしながら彼らの横に銀色に光る何かが飛来してくる、一際大きな音と共に瓦礫へと突き刺さったのはレベッカのレイピアだった。
「……まだ終わってねーみたいだな」
現状を何となく理解した拳太は自らもその拳をもって加勢しようと血液不足でふらつく体を無理矢理起こして騒動の元へと向かおうとする
しかし足元の些細な石ころにさえつまづき、再び地面へと吸い込まれるように倒れかける
その崩れ落ちる拳太の体を、アニエスが支えた。
「ま、待って下さい! まだ傷を塞いだだけでとても戦うなんて無理なのです!」
アニエスが彼に向かってそんな制止の叫び声を上げたが、そんなことは本人が一番よく分かっていた。
拳太の意識は依然としてハッキリとはしておらず、体の末端部分には感覚が残っているのかも疑わしく、思った通りに力が入らない
「そうだな……」
だが、それでも遠藤拳太は動く
「けどよ、あいつらだけで本当に勝てんのか?」
何故なら、もう知ってしまったから、このままではどのような運命を辿るのか、分かってしまったから
「だ、大丈夫、きっと……大丈夫なのです!」
「……テメーはホントに嘘が下手だな」
拳太は瓦礫からレイピアを引き抜いて未だ続く戦場へと足を運ぶ、そこでは果敢に立ち向かう四人に向かって圧倒的な力を振るう一人の魔族が彼の瞳に写り込んでいた。
「それに、もうアイツの技は見切った。絶対勝てるさ」
「そ、そうなのですか……?」
突如放たれた拳太の台詞にアニエスは驚愕に顔を染めながらも疑わしい目線を拳太へと向ける、それに彼は一つ苦笑を浮かべるとアニエスに口を開いた。
「ああ、あれがあればいい、持ってきてくれるか?」
拳太は首を横に倒してそれが何であるのかを示す、アニエスはその視線を追ったが、写るのは戦いによって出来上がった瓦礫に、オディルークや幸助、そしてレベッカが大地に刻んだ剣の軌道に、巴の魔法で撒き散らかされた水だけだった。
「……ああ、すまねぇ、分かりづらいな、オレが欲しいのは――」
◇
「くぁっ!?」
魔将の力は圧倒的過ぎた。
レベッカのレイピアも、幸助のチェーンも、巴の泡も効かない
全て、何でもないかのように無造作に振るわれたカトラスの一撃によって悉く無力化されてしまう
「オイオイ、アんだけ勇ましく突っ込んでこのザマかよ、呆れるなァ」
「く……くそッ!」
幸助が悔しげに地面を殴る、その衝撃で手に走っていた赤い亀裂からはその怒りの噴火を示すように熱い血液が吹き出た。
彼らもまた、拳太と同じようにオディルークから放たれる正体不明の斬撃によって殆ど成す術もなく地に伏していた。
驚愕すべきなのは武器にもその攻撃が作用した事だろうか
「一体何を……!」
「さァな、自分で考エろ」
幸助達をなぶり、愉悦に歪むオディルークは無慈悲に、一切の容赦もなくカトラスを振り上げた。
勇者であった。二人に向かって
「まァ……その前にオマエは死ぬんだけどなァ」
「……くそ!」
せめてもの抵抗の意思表示として幸助は囮の刀身を、巴は鉄の棒を盾代わりに構えるも、オディルークの前では無意味、そのまま不可視の斬撃の餌食になる寸前――
「ああああああああ!!」
遠藤拳太の拳が、弾丸のように一直線にオディルークへ飛んだ拳が、彼を打ち抜いた。
「拳太!?」
「ご、がッ――――!?」
その予想外の乱入者に幸助と巴は上ずった声を捻り出し、顔を驚愕に染める間もなくオディルークの体は地に着いた足を中点とした弧を描き、地面へと横倒しになる寸前に体を捻って体勢を立て直そうとする
「――!?」
「オオオオオオ」
その直後に彼の視界を埋め尽くしたのは拳を思いきり振りきったにも関わらずに爆発的な推進力で再度こちらへと突撃していく拳太の姿だった。
「チィィィ!!」
オディルークは咄嗟にカトラスをメチャクチャに振り回す。
タイミングもずれてれば方向も見当違いの斬撃、しかしこれまでのように拳太の体に見えない攻撃が――起こらなかった。
「な、何っ!?」
「ラァ!」
動揺の隙を逃さずに拳太はオディルークの顔面に一発、鋭い一撃を加える、鼻を潰して顔の造形を変えながらオディルークはたたらを踏んで尻餅をつく
「な、な、何を……何をしやがったア!?」
「――タネは単純だ、その剣は形状を変えることで繰り出す風の流れを変えることができる、それを使ってオレの体に付着した小さな粒を動かした……それでオレに傷をつけた」
図星だったのか、拳太の喋った内容にオディルークは顔色を変え、歪んだ顔を驚愕に染め上げて拳太を見上げた。
「ば、バカな……イつ、イつ気づいた!?」
思わずといった様子で声を上げるオディルークに待ってましたとばかりに拳太は口角を上げてある場所を指差す。
指差された先にあったのは、望月の姿だった。
「望月のおかげだぜ」
「わ、私?」
キョトンとした顔で返す望月に拳太は「ああそうだぜ」と返答した後に続けた。
「テメーの撃ったシャボン玉をこいつが消した際に、なにかキラキラした物が落ちていくのが見えた。恐らくシャボン液が重くて操り切れなくなったんだろう、なら後は簡単だ。全身にそこらに撒かれてある望月のシャボン液を浴びれば、テメーの粒子攻撃はもう通用しねぇ」
「グゥ、ク、ク………」
ただただ呻き声しか上げられないオディルークを見下げ、拳太は己の拳を強く握り締めた。
「そして、今までやられた分……纏めて返すぜ!」
「グ……クソオォォーーー!」
最早やけになったオディルークがカトラスを振り上げて拳太の拳を叩き斬ろうと腕を下ろす。
「オラァ!」
だがそれよりも速く、止まらない拳太の拳が再びオディルークの胴体を打ち据える、その衝撃で肺から空気を押し出された彼は唾液と共に外へと吐き出す
「ぐげァ!?」
人間の出せないような悲鳴を上げながらオディルークは堪らずに今度こそ地面へと倒れ込む、拳太がその隙を逃すはずはなく、獣のように手早くオディルークに馬乗りになると両の手で何度も何度も顔面を中心としてタコ殴りにし始めた。
「ご、ぎっ、がッ!?」
「おおああああ!!」
ただただがむしゃらに、必死に叫びながら拳太はひたすらに、駄々をこねるように拳を振るう、その度にオディルークの体には拳太の拳の型を残して血を吐き続ける
「ぢ、調子に――乗るなァァ!!」
その中でも、一瞬にも満たない猶予の内にオディルークの手には再びカトラスが固く握られ、それを直接拳太の体に突き刺さんと突き出そうとしていた。
「ケンタァーー!」
だが、結果としてその凶刃が彼に及ぶことはなかった。
レイピアを拾い直し、『見えざる騎士』を正確に発動したレベッカによって、見事に拳太の体を避けてカトラスのみを弾いたのだ。
「ぐぅ!?」
「僕の存在を忘れてもらっては困るな! 魔将!」
続けて幸助が地中に忍ばせておいた鎖を展開してオディルークの四肢を縛る、彼が万全の状態であったならば何の問題もなくその鎖を引きちぎることは容易かったのであるのだろうが、生憎と今は拳太との交戦によってかなり体力を削られており、鎖から解き放たれることはできなかった。
「拳太! そこを退いて!」
「――! ああ!」
巴の声に反応して振り替えると彼女の背後には大小様々なシャボン玉が浮かんでおり、一つ一つが虹色の光を乱反射していた。
拳太はすぐさまオディルークの上から飛び退き、残った僅かな魔力を推進力に変換して距離をとる、その直後にオディルークの元へと無数のシャボンが打ち出され、殺到する
直後、耳を覆いたくなるような爆撃音が響き渡り、拳太の体はその爆風によって呆気なく吹き飛ばされた。
「うおおおお――!?」
悲鳴を上げながら落下していた拳太だったが、思ったよりも早い着地によって怪我をせずに済んだ。
疑問に思って下を見ると、それは鎖で編まれた円型の床のようで、下ではレベッカと幸助が風を送っていた。
「ケンター! 大丈夫ー!?」
「おう! 何とかな!」
大声で呼び掛けてくるレベッカに対して拳太は片手を振って答える、そのままゆっくりと下ろされて拳太は今度こそ地面へと着地した。
「助かったぜ」
「いいや、拳太は僕たちの大切な仲間だ。 怪我でもされると困る」
気障ったらしく口元に笑みを浮かべる幸助に拳太は呆れたように肩をすくめる
「それを女子に言ってやれれば、モテモテだろうによ……」
「お生憎、僕の好みの子はその方面では鈍感でね……」
そう答えた幸助に、拳太は苦笑を、しかしレベッカは冷ややかな視線を向けている
「……つまり、やっぱりホモ?」
「違うって言ってるじゃないかぁ!! どうしてそう飛躍するんだい!?」
引き気味に尋ねるレベッカに理解されない怒りと悲しみを混ぜこぜにしたような声音と顔で幸助は抗議する
だがその事について大した反応が無いまま二人の関心は別の方へと向かった。
「にしても、あんだけ派手に爆撃したら生きてるどころか、肉の一つも残ってねぇんじゃねーのか? いや、殺すなって意味じゃねーけどよ……」
ほんの少しだけ躊躇いながら拳太は聞いた。
しかし二人はその言葉に顔をしかめながら拳太を叱責する
「拳太、この状況になってまで相手の安否を気遣うのは優しさなんかじゃない……『甘え』だよ」
「殺らなきゃボクたちが殺られてた……仕方のないことなんだよ、ケンタ」
「分かってる、つもりだけどなぁ……」
この時ばかりは拳太は弱々しく、いつもの威嚇的な態度は消失していた。
実のところ、拳太は未だに誰一人として殺しを行っていない、いや行えていない
狩りで動物や魔物を葬ったことはあれど、同じ五感や言語を操る者を殺めた経験は、この世界において拳太は一度も行っていない
それは一重に、彼自身が『人殺しをしたくない』といった至極単純で、ワガママな理由だった。
今まで戦ってきた勇者に対しても、殺意をもって拳を振るったのは後にも先にも一度だけ、それもほぼ暴走に近かったセルビアとの戦いだけだ。
生かす事による逆襲を考えるなら、拳太は己の手を明確に汚すべきなのだ。確実に仲間を守りたいのなら
だから、それが中々できない拳太はどれだけ強くても、どれだけ強気で、口や行いが悪くとも結局のところただの『不良少年』で、決意と覚悟に満ちた勇者や英雄にはなれなかった。
「その問いに一応答えるなら、手加減はしたから生きてるとは思うわよ……多分」
「五体満足とは保証しかねるがな」
レネニアやアニエス、ベルグゥを連れてきた巴が拳太の疑問に返答を出す。
拳太は彼らにふりかえる事もせずに、ただ煙の舞う爆心地を眺めていた。
「ほォー、思ったよりやるじゃねェか」
だから、そこから離れた頭上からオディルークの声を聞いた時、本当に拳太達は驚愕した。そして、凍りついた。
「まだまだ未熟モンとは言エ、人間と魔族のグズが『オルオ』をやるたァ、オレが横槍入れてなきゃホントにイっちまってたかもなァ」
その声の方へと、油の切れたオモチャのように首を向けると、ある一軒家の上に、オディルークがもう一人――いや、『本物』のオディルークがいた。
針金のような蜥蜴の魔族であることには変わり無いが、日本刀のような刀に和服と、蛮族のような偽者と違って、鋭い雰囲気を醸し出して、いっそ上品とすら捉えられるものだった。
そして何より、強者特有の持つ覇気から違う
比べることすら、立ち向かうことすらおこがましいと思うほどの圧倒的な力、まるで全身を串刺しにされるようなそれに、先程の死闘が子供同士の遊戯に等しいと感じざるを得ないそれに、拳太達は己の命は今、彼が自由にできるのだと悟る
「にしてもまァ……」
オディルークは周囲を見渡し、あちこち破壊された建造物や、倒れ伏す兵士達を見る、するとため息を一つ吐くと、片手に支えるオルオと言う名の偽者を睨み付ける、それだけでオルオは顔を青ざめさせて脂汗を流し始めた。
「随分と、余計なこともしでかしてくれたじゃねェか、エエ? オマエ、不必要な戦闘はするなって命令聞イてなかったのか?」
「そ、それは――」
「アア、イイ、何も喋るな」
言い訳をしようとするオルオにオディルークは殺気を彼に向ける、拳太達は直接向けられたわけではないそれに、痛みすら感じるほどに圧倒された。あれこれ考えることすら許されなかった。
そして、ズルリと――何の前触れもなくオルオの首と胴体が離れた。
「「――――!?」」
「もウ何言ってもオマエがしでかした事にはかわりねェんだ」
断末魔の悲鳴どころか、表情筋の変化も、瞬きする間もなく絶命したオルオを前にして拳太達は今度こそ思考が真っ白になる
そんな彼らを気に留めず、認識すらしてないようにオディルークは続けた。
「とっとと死ね、そして詫びろ、魔族の面汚しがァ」
思い出したかのように赤い噴水を噴き上げる胴体を見ながらオディルークはオルオの頭部を白い布に包んだ。
「オオ、そウだ」
オディルークは拳太達に関心を向け、こちらへと歩み寄ってくる
その一歩一歩が踏まれる度に彼らは悲鳴を上げた。だが声は出せなかった。
指先一つの動作すら、視線の行方すら、彼に完全に支配されてるのだ。
「色々な詫びと餞別だァ」
オディルークは懐から一枚の紙を取り出す。それは様々な読めない文字を刻まれた魔方陣のようだ。
それが淡く優しい黄緑色の光を発したかと思うと、瞬く間に拳太達の傷を塞ぎ、疲労すら取り除いた。
「! へェ……オマエにも効くんだなァ、説明されちゃアイたが驚きだな」
オディルークは傷の治った拳太をジロジロと観察すると感嘆の息を漏らす。
そして彼はふと何かを察したように空を見上げた。
「さて、と……もウ一品くれてやるつもりだったが、時間がねェよウだな」
彼は一っ飛びで再び屋根の上へと登ると期待するかのように声を残していく
「お次は英雄だ。まだまだ卵だがなァ……死ぬなよ?」
その言葉を最後に、オディルークは炎と灰に彩られた空へと完全に姿を消した。
「……ぷはぁ!」
しばらくしてようやく拳太達は動き始めた。汗が止めどなく溢れ、生きた心地が返ってくる
「何なんだありゃあ……人の手に負えんのか?」
吐き捨てるように呟く拳太、しかし一同にそれに何かを言える余裕のあるものは居ない、それだけ強大な存在だった。
「ボクも初めて見たけど……同じ魔族から言わせてもらっても化け物だ」
「そしてその化け物を統べる魔王がいると……ぞっとしないわね」
身震いするように己の体を抱きしめる巴、しかしすぐさまレネニアの厳しい声が飛んでくる
「まだ油断するな! 奴は何かの来訪を告げていたぞ!」
「確か英雄の卵……でしたかな?」
確認するように呟くベルグゥと共に、再度立ち位置を調整してそれぞれ臨戦態勢に入る拳太達、そんな時、中央にいるアニエスがふと呟いた。
「こんな時、バニエットちゃんが居てくれれば……」
「……居ねぇモンの事言ったって仕方ねーだろ」
その呟きを拾って返答した拳太は、アニエスの言葉も聞かずに意識を前方へと向ける
そして、丁度拳太の前方から何かが急激に迫ってきていた。
「……来るぜ!」
拳太は来たところをカウンターで反撃しようと身構える、だがそんな余裕は直後に削がれてしまった。
やってきたそれが、とても尋常ではない速度で拳太の元へと一直線に突っ込んできて、その大きな刃を剃らすだけで精一杯になってしまったからだ。
「拳太ァァァァァ!!」
拳太の名を怨を籠めて叫ぶ彼の名は、その大剣を持った白き姿は――
「花崎……大樹! テメーいい加減しつこいぜ!」
「今度こそ貴様を……倒す!」
狂気に呑まれ、現実から目を背けた勇者、花崎大樹であった。