第五十三話 到着、そして決意
前章のあらすじ
アドルグアへと入国した拳太達、そこで遭遇した造魔に苦戦しつつも一度はトドメへと持っていくことに成功する
だが造魔に埋め込まれた少女、『リヒテン』の救出を望むアドルグアの王女により中断、再度戦う事となる
その過程で拳太が重傷を負うも、救出には成功、急ぎ拳太の治療をするべく首都へ
そして首都でも造魔による襲撃が発生したが、バニエットの活躍によって撃退された。
その後、グラウと拳太の密会を経て、バニエットは別れが近いことを知らされた。
「…………よし」
グリーン・ネプチューンを発ってから数日、拳太は馬車の外にて新たな学ランに袖を通していた。
と言っても造魔との戦闘で布地がダメになってしまったらしく、新しく作り直す必要があったのだ。
今度は拳太自身の強い希望もあって、ズボンの十字架や鎖の装飾を取り払って前と比べてかなり落ち着いた見た目になっている
それでもほんの少し雷のマークが残ったりしたのだが、それは十分に拳太の許容範囲だ。
「相変わらずいい仕事だな、バニィ」
「……ありがとうございます」
バニエットは顔を俯かせたまま、感情の籠ってない声で相槌を打つ、明らかにいつものバニエットではなかった。
「…………」
拳太の心は晴れない、別に学ランが気に入らなかったとか、そんな理由ではない
バニエットが数日前から――正確にはグラウとの酒盛りの日以来、すっかり元気を失ってしまったのだ。
「……聞いたんだな」
「……はい」
その原因に心当たりがある拳太は、その事に触れるかどうか迷い続けていたが、もうじきバニエットの故郷の村へとたどり着く、今の内に話しておくべきだと判断した。
「別れが寂しいか?」
「当たり前じゃないですか! ずっと、ずっと一緒にがんばって来たのに!」
拳太の一言を引き金にバニエットの口から次々と言葉が漏れでる、押さえた思いを解放させるバニエットを拳太は静かに見つめるだけだ。
「テメーの目的は故郷に帰る事だろ、そこを履き違えるんじゃねーぜ、何のために今まで苦しい思いをしてまで旅してきたと思ってんだ」
「でも、でもぉ……! いくらなんでも突然じゃないですか! せっかく……せっかく皆と、ケンタ様と会えたのに……!」
拳太にしがみつき、目に一杯の涙を貯めて、それでも涙の洪水を起こしながら嗚咽混じりに話していく
「私、離れたくない……! ずっと一緒にいたいよぉ……!」
「……そりゃ無理だぜ、オレは指名手配犯だ。そんなオレといたらテメーはいつか死ぬ、そんなの嫌だろ?」
赤ん坊をあやすような拳太にも、バニエットは譲らない、譲ってしまっては、会えなくなってしまうから
「死んだっていいです! それでみんなと居られるなら……!」
「そんな事言うなよ、故郷の奴等はどうすんだ」
バニエットは拳太の言葉にも耳を貸さず、駄々をこねる子供のように頭を振って否定する
「イヤです! イヤです! 私は――」
そこから先は言葉が出なかった。
歯が砕けそうな程に食い縛った拳太によって放たれたグーの拳が、バニエットの頬を捉えたからだ。
「あっ……!?」
「オイ……聞けよクソガキ」
拳太は呻くバニエットを無視して彼女の髪を乱暴に掴み上げて視線を合わせる、その瞳には憎しみにも近い感情が含まれており、バニエットを黙らせるにはあまりにもその目は生々し過ぎた。
「いいか、オレとお前の付き合いの期間思い出してみろ……精々二ヶ月と少しだ。たった二ヶ月しか接点のねー奴だ、バニィ……テメーの故郷の父親、母親、友達との付き合いはそんなチャチなもんじゃねーだろ! 一時の感情に身を任せて易々と捨てていいもんじゃねーんだよ!!」
「でも! この気持ちは――!」
バニエットが続けようとした想いは、ますます声を大きくした拳太に塗りつぶされる
「そりゃたまたま偶然、オレがテメーを助けたから抱いた幻に過ぎねーんだぜ! テメーのその思いなんざ、状況が変わればあの変態ロリコン野郎の『翠鳥幸助』やクソエゴイストの『花崎大樹』にだって……誰にだって向けられるような安いもんなんだよ!」
拳太の、悪意のような言葉に、バニエットの世界は音が消えて、色が無くなる
「――!」
バニエットは拳太の言葉に足元が崩れるような感覚と共に、大事な物が抜け落ちていく気がした。
それを受け止めることも出来ずに、下へ下へと落ちていく
「そん、な」
彼女はその心に穴を開けて、そこにあったものに引き寄せられていくように膝をつく、その隙間を埋めようと、心がぐちゃぐちゃに掻き乱される
そして、その空白を埋めるように湧いてきたのは驚くことに目の前の少年に対する怒りだった。
「ひどい……見損ないました! あなたが、人の思いを踏みにじる……そんな人だったなんてッ!!」
「あっそう、よかったな、これでまた一つ現実を見れたぜ?」
自分の放った全力の想いも、目の前の少年は受けらとらない、見ようとしない、ヘラヘラ笑って、泥をつけてくるだけだ。
「……! 馬車に戻ります!」
「おう、帰れ帰れ」
口元を軽薄に歪め、飄々と笑う拳太に吐き捨てるように言い残すとバニエットは怒りの心頭の様子で歩き去ってしまった。
「ハハッ、ざまぁねーの…………」
嘲笑う拳太、しかし表情はどんどんと無に戻っていき、彼もまた人形のように何かが抜けいた。
「……それでいいのか少年」
一人になってしばらく、木陰からひょっこりとレネニアが枝の上へと姿を表す、きっとベルグゥもどこかで隠れているのだろう
「……覗き見なんていい趣味だな、魔女さんよ」
「おや、君ほどではないよ」
嫌味に皮肉を返された拳太は舌打ち一つ鳴らすと振り替えることもせずに拳を握りしめ、それを己の頭へと打ち付けた。
その様子をみた人形の魔女は人らしく首を振る
「……そんなに辛いのなら、もっと他の方法を取ればよかっただろうに」
「他の方法? ハッ……! 何言ってんだ、これがベストなんだよ」
拳太は自嘲気味に鼻を鳴らすと拳をそのまま額へとずらしていく
「オレは勇者様やヒーローじゃねー……ただのひねくれ野郎の『不良在庫』なんだよ、自分の心すら守れやしない、ただの弱虫だぜ」
あいつにはそんなひねくれになって欲しくねーんだよ、と拳太は静かに空を仰ぐ
その頬に流れる一筋の光を見てレネニアはため息をついてこれだけ言った。
「……本当に、最低だな君は」
「ぐすっ……う、うう……」
バニエットは泣いていた。川へと繋がる崖の側で、ただ泣いていた。
「…………」
彼女は懐から一つの箱を取り出す、それはいつの日か渡そうとしたある少年へと感謝の証だった。
出会ったときからこっそりと作り続け、昨日完成したそれは、今となってはただのお荷物だ。
「……こんなもの!」
いっそのこと捨ててしまおうかとバニエットの手が勢いよく上がる
「…………」
だが、捨てれない、どれだけ自分に言い聞かせ、嘘を重ねてもできなかった。
「…………ッ!」
ただの荷物ではない、この旅で得た。本当に大事な物だから
「…………………ううぅぅぁぁあああ!!」
諦める事も憎む事もできない少女はその場で泣き崩れた。
人目も気にせず、魔物を呼ぶ危険性など、頭の片隅にも残ってはいなかった。
「あぁああ!! うああああぁぁあ!!」
言い様のない悲しみに身を任せて泣き続ける、喉が渇き、体が水をほっしても彼女は涙を流すことを止めなかった。
苦しんで苦しくて仕方がない、呼吸さえまともにできているか分からなかった。
「……バニエットちゃん? ど、どうしたのですか?」
そこへ、一人のシスターが通りかかった。
さながら、救われずに苦しむ民のために手を伸ばす聖者のように
「なるほど……ケンタさんがそんな事を……」
困ったように眉を曲げて唸るアニエス、どの言葉をかけようかしばらく迷ったが、口から出だ言葉は先ず確認だった。
「ええと、ケンタさんはきっと本心からそんな事言ってるんじゃないってことは――」
「知ってますよ! だから……苦しいんじゃないですか!!」
アニエスの言葉を遮ってバニエットは膝を強く抱えて叫ぶ、びっくりしたように身を震わせるアニエスを見て、バニエットは我に返った。
「……ごめんなさい、怒鳴っちゃって」
「いえ、私も……こんなの、確認する間でも無かったのです」
気まずそうに頬を掻くアニエス、きっと上部だけの言葉は意味がない、真摯に向き合う事こそが最善だと判断した彼女は自らの感想を素直にぶつける事にした。
「きっとケンタさんは、バニエットちゃんがとっても大切なのですね、多分……自分を傷つけてでも」
アニエスは短い間ながらも共に過ごした少年の事を思い出す。
出会った時は粗暴な人間だと思った。
ナーリンとの一件を通して、優しい人だと感じた。
悪魔のようになっていても、たった一人の少女に狼狽える、繊細な人だと知った。
そして、何時だって自分を悪者にして、それでも笑う彼を見て、嘘つきだと悲しくなった。
彼は優しい、それはきっと自分だけでなく、彼と過ごした皆が感じている事だろう
けど、彼は嘘で固めた殻を被っている、何かが怖くて、何かに怯えているようで、本当はさみしがり屋のなのに、人をずっと拒絶している
なんとかしたい、けれど今の自分にはそれができない
少なくとも、彼を殻から解き放てるのは、あの時一歩を踏み出す事のできた。目の前の少女だけだろう
アニエスはそこまで考えるとバニエットに顔を向けると子供らしからぬ笑顔で微笑んだ。
母性と、ほんの少しの悔しさを交えた明るく、儚い笑みを
「ちょっと……羨ましいのです」
バニエットはその笑顔を見て、何故か深い劣等感を覚えた。自分と違い、拳太の行動を喜んで受け入れる事のできた彼女は眩しく見えた。
そして、その劣等感とそれを感じている自分から目を逸らすように視線を地面へと向けてしまう
「でも……苦しいんですよ? 否定されて、無かったことにされて、それでも……捨てる事も、壊すこともできないんですよ!?」
その輝きを、してはいけない事とは知りつつも曇らせてしまおうとバニエットは口を開く、曇る事を願いながら返答を待つが、答えはすぐに帰ってきた。
「だったら、捨てなきゃいいじゃないのですか?」
「……え?」
アニエスから放たれた予想外の返答にバニエットは眩しさも気にせずに顔を上げた。自分の言葉を否定されたからではない、むしろ、『捨てなければいい』と言った事に対してだ。
一体何を思ってそんな事を言ったのだろう、そう思って彼女を見ても、そこには困り顔で続けるシスターがいただけで、その真意は分からなかった。
「その想いを育てて、慈しんで、愛したらいいのですよ! そしたらきっと、あの国の大きな木のようにどんな事があっても絶対に負けない物になるはずなのです!」
アニエスはバニエットの肩を組むと、力強く言い切った。
そこまで聞いて、バニエットは理解した。
――ああ、きっと、アニエスちゃんも、同じなんだ。
そこに抱える想いは同じだったからこそ、アニエスはバニエットに胸を張って答えを言えるし、バニエットもアニエスの考えを共感できる
「そしたらケンタさんを見返してやりましょうよ! 想いの丈を全部ぶつけて、『まいった』と言わせてやればいいのです!」
歯を見せて笑うアニエスの笑顔に、バニエットもその顔を穏やかなものにする
答えは決まった。いや、最初から出ていたと言った方が正しかった。
結局、多少過程がどうあれ、抱いたもの、今あるものには代わりなんて無いのだから
「そうですよね……」
バニエットは立ち上がると、青空に向かってその拳を強く握った。
強く、強く、祈るように、届きますように
「うん! そうですよ! 例えケンタ様にだって何て言われても、この想いは嘘じゃないですから! 私決めました!」
バニエットは振り向くと、力強い意思を持ってアニエスを見つめる、そこに先程の悲壮感は全く感じられなかった。
彼女の心の穴は、とっくに元通りに、前より明るく、強いものへと成長していた。
「ありがとうございます! アニエスちゃん!」
「こちらこそ、なのです! バニエットちゃん!」
二人の少女は、互いに認め、笑い合った。
「……あ! あそこです! あそこの村です!」
「いよいよ到着……だな」
ついにバニエットの故郷の村が肉眼で確認できるほどに近づいていた。
レネニアが範囲を絞ってくれた事に加え、グラウがその範囲内にあるラビィ族の村を特定してくれたため思いの外早く見つかった。
さらに付け加えるなら、グラウによるどの村も全員無事との保証付きだ。
「止めてくれ、ここから先はオレとバニィと……レベッカだけでいい」
「……ケンタ、本当にやるの?」
レベッカが否定してそうに恐る恐る拳太に訪ねる、しかし現実は上手くいかず拳太は首を縦に振った。
「後悔、は…………ボクがしちゃいそうだよ、はぁ……」
「なら精々抑える努力をしてくれ、じゃ行くぞ」
拳太はレベッカを半ば引きずるように連れていく、レネニアとベルグゥはそれを止めるでもなく、ただただ見守っていた。
少年少女の未来を祈りながら
「ん? あれは……」
その日、村の住民たちはうち震えた。
「バニエット!」
一つは、探し続けても見つからなかった最後の仲間の姿を見た喜びに
「いや待て! あれは……人間に、魔族!?」
二つは迫り来る天敵への恐怖に
「止まれ!」
村にいた若者たちは有事の際に使う剣や盾、狩りに使う槍や弓を持って少年達を取り囲む
「貴様! 何しにここに来た!」
「あぁん? 何しに、だぁ?」
金髪の少年は口元を歪な笑みに変えると、バニエットの背中を押し出した。
「こいつを見りゃ……あとは分かるよなぁ?」
「クッ……その子から手を離せ!」
一人の青年が勇ましく少年へと槍を突きつける、だが少年に一切の同様は生まれず、むしろますます楽しそうに笑みを深めた。
「ハ・ナ・セ? おいおい……テメー誰に口利いてんのか知らねーのかぁ?」
少年の嘲る口調に青年は思わず飛びかかろうとした、だがそれを別のラビィ族の男が止める
「聞いたことがある……! ヒルブ王国に出た魔族と共に世界の転覆を狙う史上最悪の逆賊……!」
少年はその問に満足げに頷くと、舌を大きく出し、そのグローブをより引き締め直した。
「そう、遠藤拳太様だよォ!」
少年と少女が、兎狩りを楽しむ狩人のように飛びかかった。
そこから先は一方的な戦いだった。いや、戦いと呼べるものですら無かったのかもしれない
ある者は不可視の刃に武器を切られ
ある者は持ち手の居ない剣に翻弄され
ある者は立ち上がれなくなるような電撃を浴びせられ
ある者は構えた盾を木の板のように割られた
圧倒的だった。誰の目にも明らかだった。
村の者たちに絶望が広がる中、今まで機械のように戦っていた魔族の少女が口を開いた。
「……ケンタ、そろそろ時間」
「ああ? んだよもうかよ……」
拳太は苛ただしげに頭を掻くと、倒れ伏す若者と怯える村人に向けて残酷な笑いを見せる
「運が良かったなぁ! 生憎と予定が一杯なもんで勘弁してやるよ! そして生き残ったご褒美だ……このラビィ族はくれてやる!」
拳太が強く飛ばす手によってバニエットはよろけながら村へと入っていく、そこへ彼女の母と思わしき人物が飛び出し、彼女を抱き締めた。
「つっても? これからの戦争でテメーら纏めてみーんな死ぬかもなぁ? ま、それがイヤならセコセコマゾの様に自分を鍛えたらどうだ? オススメはしねーがな!」
完全に見下し、ふざけて話す拳太に村人たちの自尊心は引き裂かれていた。
目の前のたった二人さえ倒せないのならば尚更だ。
「じゃあなバニエット! バカな兎! テメーと過ごした時間は! ………………」
最悪だったぜ、拳太はそこにその言葉を入れようとした。
「……フン!」
だが、できなかった。
それほどまでに、彼女と過ごした時間は拳太にとって輝いて、眩しくて、何にも変えがたい物だったのだ。
「ケンタ様!」
母に抱き止められつつも、こちらに言葉を投げ掛ける少女に、一瞬だけ振り向く、彼女はそれに嬉しそうな笑顔を見せると、拳太に言った。
「また、会いましょうね!」
「…………」
拳太はそれに何も言わずに立ち去っていく、それに僅かな寂しさを感じたバニエットの耳に、確かな声が聞こえた。
最後に聞きたかった。少年の本心の、穏やかで、暖かい声が
「ありがとう」
その声が聞こえた時には、もう少年の姿は見えなかった。