第二十九話 らしくないシスター
「『吹き飛びなさい』」
セルビアがそう口にした瞬間、まるで竜巻が直撃したかのような暴風が巻き起こって拳太達に襲いかかる
「ぐっ!?」
「うわあぁぁ!?」
「きゃぁぁ!!」
拳太は多少学ランをはためかせるだけに留まったが、レベッカとアニエスは川辺に、ベルグゥとバニエットは岩場へと飛ばされてしまった。
「あら? 私の『言霊魔法 』まで効かないなんて……あなた中々面白そうねぇ」
常人なら踏ん張る事さえ不可能な暴風の中、足の一歩も動かさなかった拳太をセルビアは興味深げに見つめる、その目はとても戦う者のする目には見えなかった。
「貴女達は他の子の相手してちょうだい、彼は私が遊ぶわぁ」
「「御意に」」
セルビアの言葉に頷き返した彼女達はそれぞれ吹き飛ばされた方へと向かっていく
女司祭はレベッカ達、女剣士はバニエット達の方へと
「舐めた真似しやがって……」
「あらぁ? 別にいいじゃない、どうせ貴方は私に指一つ触れられない、勝負にすらならないんだから」
そう、彼女の場違いなまで気楽な理由はそこだった。
言霊魔法が発現して以来セルビアは全く敗北を経験していなかった。
そんな彼女が今回の勝負に敗北が予想出来るだろうか?
結局は、そういう事である
「ケッ、さっきその自慢の魔法を無効化したのを見てまだ余裕たっぷりだなんて、流石は温室育ちの甘ったれだな、ヘドが出るぜ」
「うふふ……いつまでそんな口が聞けるか見物ねぇ?」
互いに相手を見据え、見下し、彼らの闘いが始まった。
「うう……アニエス、大丈夫?」
「はい、レベッカさんが受け止めてくれたから大丈夫なのです」
川辺にはレベッカとアニエスが横たわっていた。
レベッカは吹き飛ばされている最中、咄嗟にアニエスを抱えて地面に向かってとにかく強力な風魔法を放って二人とも何とか事なきを得たのだ。
「大分飛ばされちゃったね、早く合流しないと……ところでアニエス、そろそろ降りてくれない?」
「あっ! すみません! 今退くのです!」
アニエスが慌てた様子でレベッカから降りて、レベッカがよたつきながら起き上がった時に一つの足音が聞こえた。
「ケンタ……じゃないよね」
「わ、私はレベッカさんの後ろに下がっておくのです!」
振り返った彼女達の瞳に映ったのは、鈍器の様な金属製の杖をもった一人の司祭の姿だった。
「ふふふ……神の敵は浄化しないと、ね」
そんな事を口にしながら彼女は魔法を発動させ、青白い光の球体を発生させ、それをレベッカへ向けて高速で飛ばした。
「なっ!? は、速い!」
その光弾の速度にレベッカは反応仕切れず、攻撃を食らうかというあわやという時に一つの小さな影がその間に割り込んで来た。
「うぅう!!」
「アニエスッ!」
そう、その影はアニエスだった。光弾に背中を焼かれて苦悶の表情を浮かべている、レベッカはその表情に最悪の光景を浮かべながら彼女へと駆け寄った。
「大丈夫かい、アニエス!」
「へ、平気なのです……同じ修道女の攻撃にはある程度耐性を持っているのです。」
アニエスのその言葉を裏付けるかのように、彼女の背は服が多少焦げ付いただけで彼女の皮膚には至っていない、とりあえずは大事はない様でレベッカはホッと一安心した。
「ふぅん、あまりにみすぼらしい格好をしてたから気付かなかったけど、その子もシスターだったのね、だから私の浄化も不完全とは言えダメージを受けなかったのか」
「お前! 同じ仲間だろ! 何とも思わないのか!」
「知らないわよ、その子が勝手に飛び込んできただけじゃない、それにそんな貧民が幾ら死んだって変わらないわ、だってその子教会に登録すれば持っているはずの十字架を着けていないもの、仲間ですらないわ」
「…………!?」
アニエスを汚い物でも見るような眼で悪びれも無く言い切った彼女にレベッカは思わず絶句する、レベッカはアニエスを見てシスターとはは種族の違う自分を受け入れてくれる人達だと思っていたが、それがとんだ勘違いである事に気付いた。
「キサマ、どこまで……ッ!!」
「レ、レベッカさん……頭に血を上らせちゃいけないのです……」
アニエスの制止の声に一端は飛びかかるのを押さえたが、それでもレベッカは柄を握る手は緩めない、機会さえあれば何時でも首を撥ね飛ばすつもりのようだ。
「その子に助けられたわね、寿命がちょっと延びたわよ?」
「黙れッ!」
挑発を弾き飛ばす様に吼えるレベッカに、司祭はにやにやと侮辱の笑みを向けている
その顔を見てレベッカはますます獣の様な眼光を増し、ギリギリと歯軋りした。
「貴女は神の敵だから絶対逃がさないけど……そうね、そこのシスター、貴女が本当に忠実なる神の僕だと言うのならそこの魔族を貴女の手で浄化しなさい
そうすれば貴女は見逃さない事も無いわよ?」
「ふ、ふざけないで下さい! 誰が貴女の言うことなんか!」
「別にそれでもいいけど、そうすれば死体の数が増えるだけよ?」
「……!」
その言葉にアニエスは顔を凍りつかせる、レベッカは無理もないと思った。
アニエスは戦闘要員ではないし、あの司祭の力はきっと二人がかりでは到底敵いはしないだろう
それに人間の教会というのはレベッカ達魔族を絶対悪としている、アニエスは確かにレベッカとは仲が良かったが自分の命を惜しまない程の関係ではないだろう
レベッカはアニエスにせめて死ぬ前に一つ聞いてみる事にした。
「ねぇ、アニエス………………一つ、聞いていいかい?」
「な、なんなのです?」
「アニエスはさ……何でボクと仲良くしてくれたんだい?
いや、そもそも善人かどうかも分からなかった魔族のボクをどうして助けたの?」
レベッカはそれだけが頭に引っ掛かっていた。
拳太はまだわかる、彼は聖職者ではないしそもそもこの世界の人間ですらない、バニエットも人間よりかは魔族への偏見の少ない獣人であった上、拳太と出会う前は奴隷生活を送っていたため世間の常識を知らなかったのだろう
だがアニエスはシスターという職についている以上、自分達魔族の事は敵対する者としてよく知っているだろう
そしてそれを知っているからこそ、それでも自分に手を伸ばした彼女の事が気になったのだ。
「そんなの……簡単なのです」
アニエスは、そんな疑問をクスリと笑い流して告げた。
「本当の聖職者が何なのか、私は良く知っています。
それはどんな人でも救いを求める人がいるなら手を差し伸べ、共に罪も愛も分かち合う
それが神の望んだ事だと、私は思うのです」
そう、アニエスは知っていたのだ。真の聖者が何なのかを
彼女は見ていたのだ。優しき彼の姿を
彼女の脳裏には、かつての思い出が蘇っていた――――。
「こぉのクソガキが! ようやく取っ捕まえたぜ!」
「クソッ! 離せよハゲ!」
それはまだ住んでいた町が魔物に襲撃される前、その頃のアニエスはまだ文字を覚えたばかりの今より小さい子供で、教会から出た事が殆ど無かった。
その教会にある日、パン屋の親父と一人の汚れた少年が騒ぎながら入ってきた。
アニエスは読書の邪魔をされて少々不快な思いをしつつも、パン屋の親父へと訪ねた。
「おじさん、今日はなんのご用件なのです?」
「お? おう、こいつがウチに盗みを働きやがったもんだから、罰を決めてもらおうと思ってな」
その歳にしてはかなり大人びた対応をしたアニエスに驚きながらも、パン屋の親父は手短に内容を述べた。
この世界では、罪人に罰を与える際に教会で必要な罰を決めてから町に駐屯している騎士団に罰を執行するという流れを取っていた。
これは騎士達が罰を与える際に必要以上に罪人を痛め付けてしまわないように取った措置であり、これを破った騎士は例え騎士団総合団長だったとしても厳罰が課せられていた。
もっとも、高位の騎士となると賄賂を渡したりして無かったことにするのだが
「わかりました。今ナーリンしゃまを呼んで来るのです」
アニエスは子供の修道女に与えられる純白の修道服を揺らしながら神父の書斎へとトコトコ走っていった。
「ナーリンしゃま、お客様が来ているのです」
「ん、そうかい、今行くよ」
書斎に着き、アニエスの呼び掛けに反応して奥から一人の男性の声を聞いたアニエスは扉の横でちょこんと立って待っていた。
しばらくすると中から一人の男が出てくる、ナーリンだ。
彼はアニエスがこの町に来る前からいる神父で、町の人からの信頼も厚い人物だった。
その町の住民に、アニエス共々後々追い出されてしまうのだが
「アニエス、お客様はどこだい?」
「こっちなのです」
またトコトコと走る彼女を微笑ましく見つめながら、ナーリンも早歩きで彼女の後を付いていった。
「じゃあ頼みますよナーリンさん、この子をキッッチリと! 罰して下さいね!」
仮にも神父の目の前なのか、パン屋の親父は口汚い言葉は使わなかったが、彼の顔は相変わらず怒りに満ちていた。
パン屋の親父が出たのを見計らってナーリンはその少年へと語りかけた。
「君、どうして盗みなんかしたんだい?」
「……別に、腹が減ったからやっただけだぜ
お前らとちがってこうでもしねぇと食えねぇからな」
不信の目を向けながら少年は最大限の皮肉を込めてナーリンを睨み付けた。
アニエスはそんな少年の様子を見ながらどんな罰が与えられるのかを思考する
たしかどんな事情であれ、盗みを働いた者は最低でも鞭打ち50回はあったはずだ。
ならば大体その辺りだろうと結論を出したアニエスはナーリンの顔を見る、しかしナーリンの開いた口からは予想と違った言葉を発した。
「そうか、ならば仕方ない……君には罰として毎日この教会へ来てもらう
そこで座学を学ばせるから、将来働いてそれで罪を償いなさい」
ナーリンの言葉にアニエスと少年は驚愕する、それはそうだろう、ナーリンの言葉は実質無罪判決に等しい、それどころか少年に教養を教えると言うのだ。
アニエスは当然そのナーリンの余りの突拍子な物言いに食ってかかった。
「ナーリンしゃま! 何でそんな罰なんですか? ご本にはそんな事書いて無かったのです!」
「アニエス、本に書いてある事が全てではない
本を書く者だって私達と同じ人間だ。知らない事は書けないし、間違った事を書く事だってあるかもしれない」
「だからって、これはおかしいと思うのです!」
「いいかい? アニエス」
ナーリンは我が儘を言うようにごねるアニエスを叱るでもなく、適当に流すでもなく、視線を合わせて優しく語りかけた。
「私達聖職者は、厳しい戒律を守って大きな力を持つから人々に尊敬され、正しい道を生きるのではない
どんなになっても見捨てないで、救いの手を差し伸べるから私達は正しいんだ。」
その混じりけない少年の様な純粋な瞳の輝きにアニエスは何も言えなくなった。
ナーリンのその言葉はどんな聖書よりも尊い一文に感じ、アニエスは彼をより一層敬愛の念を抱くようになる
そして、その少年が後々ナーリン達を助ける事となるのだが、それはまた別の話である
「私は、貴女を絶対見捨てないのです、友達を守るためでもありますし
――何より、追い付きたい背中があるのです!」
強大な敵を前にしてもアニエスは勇敢に告げ、凛として立ち上がった。
その様子を見たレベッカは、バカな事を聞いたと自嘲しながら彼女の隣に立つ
「教会って言うのはよく知らないけど……多分今のアニエス、最もシスターらしくないシスターだと思うよ?」
「構いません! それが私、『アニエス』の行く道なのです!」
レベッカの軽口にも堂々と普段の大人しい様子からは想像できない程の勇ましさでアニエスは答える、レベッカも勝てるかどうかもわからない強敵だと言うのに、不思議と不安感は消え去り、落ち着きを取り戻していた。
「三文芝居は終わったかしら?」
その様子を退屈そうに見ている司祭に、彼女達は一歩踏み出す。
まずはあの顔をぶっ飛ばすために、他の友の元へと馳せ参じるために
「行くよアニエス!」
「はい!」
レベッカは『見えざる騎士 』を発動させ、アニエスは杖に魔力を込めて固く握り締める
「反撃開始だッ!!」
今ここに、種族の垣根を越えたモノで結ばれた二人の進撃が開始された。