第三話 前途多難
「……チッ やっぱり厄介な事になってやがる」
翌日、再び大通りに向かった拳太は道行く人々の雑談を聞いて頭を抱えてうんざりとしていた。
曰く、勇者を断った不忠義者がいる
曰く、その者はヒルダ姫に大変な無礼を働いた。
曰く、その者は金髪に黒い服を着ている
「元々はあいつらの自業自得だろうが……つーか情報伝達速いな、オイ」
仮にも一国の王女が『勇者を召喚したけどダメでした』なんて飼い犬に噛まれるような失態を大々的に吹聴するのは如何なものか――と思いはしたが、そんなことは自分には関係ないと拳太は頭を振って思考を戻す。
この世界には幸い金髪は腐る程いたし、彼の特徴が大雑把にしか伝わっていない
だがもし道中で勇者に会ってトラブルを起こしてしまえばあっという間に拳太が犯人だと割れる、確実に割れる
そしてこれから向かう図書館はそんな確率がより跳ね上がる、こちらはそれなりの覚悟が必要だろう
これからそういったことを気を付けなければいけない事を考えるとため息が出る、この短期間で一気に悩み事が増えるとは、異世界とは難儀なものである、と現実から目を逸らすように呟いた。
「まぁ、まさかこんな場所で勇者には会わんだろ」
そう自分に言い聞かせるように高を括った拳太はさっさと目の前に見えるマンションのような高さの図書館に向かう
その後ろ姿を人ごみの中から見つめている事にも気付かずに……
「アイツが、まさかヒルダ様を……?」
◇
「ふーん……まっこんなもんか」
図書館の本を数冊選び、この世界の基礎知識と言えるものを大体詰め込んだ拳太は本の売買コーナーへ向かう
「しかし、魔法が普通にある世界ってのもなんかスゲェな……よし、これにしよう」
そう呟いて拳太が選んだのは二つの本『魔法の基礎』、『冒険の心得』というタイトルだ。
本は辞書の半分くらいの大きさで、値段もこの世界の市場の中ではなかなか良心的な値段だった。
おまけにメモ帳と魔法陣の描かれたペン――恐らくインクを出したりするための魔法陣――が付いてくる
「まだ余裕があるなぁ」
帰る時ついでに武器屋にも寄ろうと考え本を購入する
そこでふと、なんでもないようにとある疑問が出てきた。
「……? なんで異世界の本は日本語なんだ?」
そこまで考えた時、疑問は深くなる
ただの偶然とは思えない、一体――
それに、例え偶然だとして、そこにその言語を使う人間が召喚されるのも、偶然だと言うのだろうか?
そんな、得体の知れない何者かの意図を感じずにはいられない事柄にしばし固まっていた拳太だったが
「……今考えても仕方ないか」
それより大切な事に頭を使う方がよっぽど建設的だと、彼はこれからどう生きるかに脳の回転を割き始めた。
まず優先するべきは食料の確保、そして――
「あっ! こんな所に居た!」
とそこまで思考をしていた時、割り込んできたその女子特有の甲高い声を聞き拳太は猛烈に嫌な予感がした。
ここで本来取るべき最もいい行動は何も言わずここから黙って去ることだ。しかし、それは逃げているみたいで嫌だと考えた拳太は声のした方へ振り向く
「……これはこれはクラス委員長こんな場所までわざわざよく来やがりましたね」
拳太はため息を吐きながらわざと嫌味ったらしく言葉を放った先には拳太の学校の制服を着た一人の少女がいた。
「アンタ、私と一緒に来てもらうわよ 王女様に謝りなさい」
彼女の名前は『望月 巴』、拳太の転校初日から何かと突っかかってくるクラス委員長である
容姿は輝くような黒髪を腰まで伸ばし、肌も白く釣り目気味のその瞳は水色に輝いている、勿論カラーコンタクトの類は一切使っていない
制服越しでも分かるほどにスタイルが良く、胸も程よくあるので男の理想のボン、キュッ、ボンを満たしている
尤も、拳太にとってはそんなことはどうでも良くなる程目の前の女は相当鬱陶しいお節介な存在なのだが
「イ・ヤ・だ・ね、オレはただ間違いを指摘しただけで悪い事は何にもしてない」
拳太の主張事態は否定する気は無いのか、望月は一つため息をつくと拳太にその透き通るような瞳を向ける
「もしそうだったとしても叩くのはやりすぎだわ、それに世界を救うためにやむなくで、彼女達は私達を優遇してくれているのよ? 何にも悪くないとは言わないけど、そこまで責める事ないじゃない」
望月の言葉は至って正論だ。これがなんてこと無い日常のトラブルだったのなら拳太は素直に非を認めて適当に謝っていただろう
だがこれは命のかかった出来事なのだ。正論だけでは通用しない
拳太はヤレヤレと首を振ってため息を吐くと子供を諭すかのような口調で答える
「あー、やだやだ。綺麗事だよそんなん、テメェ等ただ舞い上がっているだけじゃねぇか、命懸けってのを知らないからそんな事言えるんだ。つーか世界のためっつっても所詮あいつらのエゴだろ? 平手打ちで済ましたのを感謝して欲しい位だぜ」
その呆れ、馬鹿にしたような拳太の口調に巴はついにカッとなって声を荒げる
「なによ! アンタはそう言っていつもいつもグチグチ言って! 第一そう言うアンタだって命懸けって言うの知ってるの!?」
「ああ、何回もな、それに今回ばっかりは正論だろ……じゃあお前極端な話、見知らぬ男に『一日一回誰か犯さないと死ぬから』っつって強姦、監禁されたとして納得できるか?」
拳太の極論は一見滅茶苦茶なモノだが、勇者召喚にしたって似たような話だ。
客観的に見るとどうしたって『有無を言わせず無理やり召喚して従属を求めている』事となる
巴もそこに気付いたのかうっと一言呻いた後言葉を詰める、そこが切り時と拳太はさっさと出口へ歩き出す。
「あっ! 待ちなさいよ! まだ話は終わってないわよ!」
「だったらさっきの極論に対する正論でも用意しておくんだな、少なくともオレはもう用は無い」
「……フン! あんたなんかそうやって他人を傷つけ続けて、一生一人でいればいいのよ!」
「……ッ」
彼女が本心からそんなことを言っていないのは理解していたが、ほんの少し、拳太は動揺したがそれを表には出さずすたすた歩いて行く
ちっとも堪えてない様に見える拳太に対し巴は更にヒートアップするが拳太は無視する、先程の問答のせいで答える気も起きなかった。
去り行く拳太の背中に「覚えてなさいよー!」と叫び声がしたが拳太は気にせず歩を進める
せいぜいテメー等は後悔するまでそうしていればいいと思いながら……
しかし、拳太はこの会話を交わした事を早々に後悔する事となる
◇
「……? 『魔獣屋』?」
あまり勇者と遭遇しなさそうな裏路地を歩きながら周りを見ていると一つの看板が目に入った。
卵の殻から魔物らしきものが飛び出す絵に魔獣屋と書いてある
「異世界の『お約束』ってか? ……随分と都合がいいな」
大方馬や家畜に準ずる物を売る場所だろうと考えて、将来的に購入価値があると踏んだ拳太は店の中へ入って行った。
◇
「ヘイ、いらっしゃい新しいダンナ、本日はどの用件で?」
店の木製のドアを軋ませながら店内へと入室すると、暗闇の先から声をかけられた。
もう日が沈みかけて、赤茶けた光しか入っていないため薄暗いのは当然と言えば当然だが、ここの店は闇をより一層身を隠すように深めていた。
「下見に来た。将来世話になるかもしれんからな」
「そうですかい、あっしはあそこに居ますんでなんかあったら呼んで下せえ」
腹の出たハゲ頭の下品な雰囲気の魔獣屋の店主は拳太に一通りゴマをすった後、カウンターの場所に戻っていった。
店主を見て拳太はただの家畜売り場ではない事を直感で悟る、そして拳太のその予感は正確であった。
「……。」
拳太がやや奥にある檻に人型のシルエットをしたモノを見つける
近づいて見てみると、それは手足を鎖に着けられ、ボロボロの布切れを着た十一歳程の女の子だった。
肌は若干土色になっており、髪は薄い栗色、やや赤い瞳、そして何よりも拳太が注目したのは彼女の頭についている大きなウサギの耳だった。
「おーい、店主のおやじぃ、なんだコイツ?」
「ああ、それですかい、えーっと……」
魔獣屋の店主は手元にあるメモ帳をめくると少女の説明を始める
「数ヶ月前に盗賊のダンナ方に売ってもらったラビィ族の雌でさぁ
最初はそこらの方に売っていたんですが何をやらせても駄目ですぐに返品が相次いで今じゃあ誰も買いやせん、もっぱらストレス発散用の道具としてレンタルしている所でさぁ」
「ストレス発散用? 役立たずならレンタルでも返って余計イライラするんじゃねえか?」
拳太が思った事をそのまま口にすると魔獣屋の店主は不気味に笑う
「なんだよ」
「いや、ダンナは格好からして外人の方でしょうから知らないでしょうけど獣人というのはこの国では家畜の一つ上程度の扱いなんでさぁ」
「ああ、なるほど……」
大方、虐待用の道具なんだなと拳太は推測した。
そしてその考えを裏付けるかのようにラビィ族の少女の体には打撲や擦り傷が付いている
そんな彼女を見て拳太はかわいそうだな、と無感動にそう思った。
交通事故に遭った猫にでも向けるような、よくある無関心に近い同情だった。
「まぁ、いい感じに下見もしたし帰るわ」
「そうですかい、ではまた今度」
拳太は檻に背を向け店から出ようと歩を進める、その時、ふと巴との会話が脳裏をよぎる
『――――あんたなんかそうやって他人を傷つけ続けて、一生一人でいればいいのよ!』
「……チッ」
拳太は店から出ようとした自らの足を再度、方向転換する
止めておけ、と自分の心が忠告する
今からすることは自己満足ですらない、脳裏に焼き付く言葉を抑えるだけの、誰のためにもならない行為だ。
重荷を抱えるストレスに、傷つけ合い、失うかもしれない恐怖を、二回も味わった忘れも出来ない苦味をまた繰り返すつもりか
厳かに、そしてとても重く拳太の心にのし掛かる、それに比例して足の歩みも遅くなる、だが、それでも彼は歩を進めるのを止めない
どれだけ取り繕っても、どれだけ思い返しても、たった一つの言葉でも、千を連ねた思い出でも、結局のところ、望むものは一つ――そう、たった一つしかないから
と、そこまで考えた時に、ついに店主に向き合った。
「おい、おやじ 持ち金はこん位だが、これでアイツは買えるか?」
「え? ええ、十分お釣りが来まさぁ」
突然尋ねてきた拳太に戸惑いつつも魔獣屋の店主はラビィ族の少女の金額を提示する、すると拳太は机に金貨を叩き付けた。
「ホラ、買うから早くしてくれ、気が変わっても知らんぞオレは」
「わ、わかりやしたからそんなに急かさないでくだせぇ」
そして拳太は、この世界で最初の同行人を手に入れたのだった。
◇
「――はぁ、ガラじゃねぇ……」
店を出る頃には辺りがすっかり暗くなり、街道の松明が唯一の光源となっており、宿屋に帰る途中、拳太は一人ため息を吐く、そんな彼の後ろには先程購入した少女が居る
少女は無表情で拳太に付いていっているが、その瞳に光は無く拳太は少女は無表情なのではなく絶望の表情をしているのだと見抜いた。
何故なら、自分も全く同じ顔をしていたから
「……テメー、名前は?」
拳太が少女に話しかけると少女はビクリと肩を上げこちらに振り向く、暫く経っても何も言わない所どうやら聞いてなかったみたいだ。
「名前だよ、テメーの名前、ねーのか?」
「あ、あります……わ、私はバニエット……バニエットです。」
おどおどと様子を伺いながら名乗る少女を横目に見ながら、拳太は特に気を遣うでもなしに先へと向かう
「じゃあバニィでいいや、宿屋に行くけど、飯は問答無用で緑スープだぜ、いいな?」
「え? あ……」
驚きの表情を浮かべるバニエット、その内心を察しながらも知らないフリをした方がいいと思った拳太はいかにも何にも疑問を抱いてそうな怪訝そうな顔を張り付けて尋ねる
「なんだバニィ、テメー兎なのに野菜は嫌いか?」
少々冗談めかして言い放つ拳太の様子を見て軽い人間と見たのか、それとも少しは安堵してくれたのか、バニエットは警戒心を残しつつも幾分か緊張を解して喋る
「いや、その、私が食べてもいいのかなぁ……じゃなくて、いいのですか?」
しかし、それでも恐怖心の残ったかのように慌てて敬語に直しながら彼女は話す。
拳太は何か安心させるような言葉をかけようとして――やめた。
張りぼての言葉はきっと優しかったとしても誠実ではない、そして真心の無い態度は人をどれだけ傷つけるのかを拳太は知っている
だから、彼が彼女にかける言葉は、優しくもなんともない、ただの本心だった。
「……バニィの今までのご主人サマがどんな奴か知らねぇし、何されたのも知らねぇけどよ」
そこで拳太は一度言葉を切ってバニエットに振り向き、しゃがんで目線を合わせる
「オレは一度買った以上、ちゃんと責任は持つ、それだけだ。」
拳太はそれだけ言い残して腰を上げると再び歩き出す。
「ホラ、さっさと行くぞ」
「は、はい!」
夜の街道を歩く拳太の後をバニィが付いていく、その姿は誰にも見られる事は無く、夜の闇へ消えて行った……。
ちなみに、突如増員として現れたバニエットの格好を見て宿屋の青年が拳太にいかがわしい視線を浴びせ、それに気づいた拳太が必死に弁解したのは別の話である