第二話 旅立ち
「……ん? これは……」
ふと足元に違和感を感じた拳太は視線を床に移す。
するとそこには一つの白い袋――靴袋があった。
「ぶっ飛ばされた時に足に引っ掛けたのか? ……まぁいいか、特に破れては…………いねーみてぇだな」
とりあえず、当分はこの袋を使う事を決めた拳太は軽く靴袋の埃を落とす。
だが、それ位で数ヵ月に渡って汚れた教室の床をあっちこっちに這いずり回り、何度も触られ手垢まみれの靴袋の汚れが落ちるわけが無く、元々白い布地は黄ばみきってしまっている
「……きったねぇな、オレのだとわからねぇ分尚更気持ち悪ぃ」
流石にこの状態では使いたくはない、せめて中は綺麗にしなければ今後、衛生面でも精神面でも弊害が出る
うっかり食料品などを入れて、カビでも生えれば大惨事だ。
「水場探すか……出来れば洗剤みたいな物も」
取り敢えずは水洗いをして、例え少しでも汚れを落とそうと当面の目的を決めた拳太はこの居心地の悪い城から一刻も早く出るため歩幅を広げた。
◇
人々が都会のように闊歩する街道の中、ずっと靴袋をなんとなしに眺めていた拳太は、不意に顔を上げた。
「……あ、やっべ」
街に出て、目ぼしい物が見当たらなかった雑貨店を出た時、拳太はある重大な事に気付いた。
そう、それはこの世界で生き抜こうとする上で、絶対に欠かせないものである
「そういやこの世界の金ってどうなってんだ? 流石に日本円は使えねーよなぁ……」
そう、拳太はこの世界の通貨を何一つ持っていなかったのだ。
いくら『桜田丘学園唯一の不良』と悪名名高い拳太でも盗みの様な犯罪を起こしてまで金を手に入れる気は無い
しかし働いて稼ごうにも、どこの馬の骨ともしれない拳太を雇う物好きは居ないだろう
このご時世――異世界なので実際は分からないが、身元の分からない輩を引き入れて貯金を全て盗まれて逃走、なんてされたらたまったものではない
いや、そもそもただのそこら辺の馬の骨、凡骨で済むならまだいいだろう、何しろ拳太は勇者になるのを断った上、この国の王女であるヒルダを平手打ちにしたのだ。
すぐにでも拳太の名前と顔はこの国中に知れ渡る、勿論悪い意味で
「あー……くっそ、後先考えずにやり過ぎたな」
言葉責めで済ませたのなら恐らくは世間から冷めた目で見られる程度で済んだだろう、最悪でも不敬罪とかで牢にぶち込まれるとかだ。
しかしやったのは平手打ちとは言え力を振るったのである、最悪指名手配にされるだろう
と言うより、思い返せばその場で捕縛されて処刑されないだけでも今の時点でかなりの幸運だ。
「ちっくしょーどうすっかなー……うおっ」
考え事で前への注意が逸れていたせいで誰かとぶつかってしまう
振り返ると大柄で柄の悪い、一言で言えば山賊のような男だった。
「ああん? どこ見て歩いてんだションベンガキ」
「わりーな、考え事しててよく見えなかったぜ」
男の言動に思わず額に青筋が浮かび上がったが流石にこの場は自分が悪いと思い、軽く頭を下げる拳太だが
「ゴメンで済んだら憲兵はいらねェよなァ~~~~?
服の洗濯代払ってもらおうかァ~~?」
最初こそ、ぶつかったのは自分の方なため穏やかに済まそうと考えていた拳太だったが男の高圧的で粘着質な態度に次第にイライラしていき
「おい聞いてんのかクソガキ! さっさと金――」
ついに堪忍袋の緒が切れた。
男の顔面はそこで拳太の拳が深々と突き刺さりそれ以上声を発することが出来なかった。
続いて、男の鼻から小気味いい骨の折れる音が鳴り彼の上半身が仰け反り、地面へと道端の埃を舞い上げながら倒れる
「テメー……人が悪いなと思って下手に出てれば……ちっと、いい加減にしろよ……?」
もともと腹が立ったら口より先ず手が出るタイプの拳太にはストレスを耐えるという選択は無く、口元に引きつったような笑みを浮かべながら拳太の拳が怒りで固く握り込まれる。
「こ、このガ――」
「寝てろッ!」
起き上がろうとした男の顔面に拳太の一切の慈悲の無い蹴りが飛ぶ
拳太の蹴りをまともに食らった男は前歯が全て折れ再び倒れこむ、男は今度こそ再起不能となり指先をピクピクと痙攣させていた。
「……んー」
一通りリンチを終え、冷静になった拳太は誰か目撃者が居ないかと周りを見渡す。
しかしいつの間にか裏路地に来ていたためか周りには誰も居ない
「どうすっかなー……ぶち殺すつもりはサラサラねぇし、かと言ってほっとくと面倒そうだぜ……あ、そうだ」
そこで拳太にとってはナイスなアイデアが浮かぶ
この男を適度に懲らしめ、なおかつ自分の問題も解決できる一石二鳥のアイデアが
「んじゃ、ちょいと失敬……あったあった」
男の懐から財布と一通り使えそうな道具や武器を剥ぎ取り、男本人は道の端に放置する
「ま、うかつに人を怒らせてはいけませんよって教訓でも身に着けるんだな」
衣服があれば最悪すぐに死ぬわけは無いだろうと拳太は判断し何処か適当な宿屋に向かう
遠藤拳太は一般人から盗みを働くつもりはない
しかしムカつく奴、襲ってきた奴には何の躊躇いも無く物を奪える
遠藤拳太はそういう人間であった。
「どこに入れようか、靴袋……は汚ねーしなぁ」
取り敢えず、しばらくは手持ちで街を歩くことにした拳太だった。
勿論、スリに会ったらボコボコにする準備もして
◇
「……ここもダメ、と」
その後、水場を求めて暫くさ迷ったのだが、見つけた水溜まりは雨が貯まった濁ったものであったり、例え綺麗な物であっても有料だったりして、かなり難航しており、現在は八連敗中である。
先程まで無一文であることも相まって、拳太はしみじみと日本の恵まれた水環境に思いを馳せていた。
「あの……どうかしましたか?」
「ん?」
誰かに背後から声をかけられ、それに反応して振り向くとそこにはいかにも善人そうな温和な青年が立っていた。
明るいカーキ色のシャツの上に紺色のベストを羽織っており、髪は短く揃えていた。
眉毛も気弱そうにハの字を描いており、どこか遠慮気味に見える
「あー……これ、洗いたいんだけどよ、どこも有料でさ」
「あ、それでしたら――」
男はその言葉を聞いた途端に、どこかイキイキとした様子で拳太にある提案を持ちかけた。
話を聞いた彼は、二つ返事で了承した。
◇
「んー……そこそこいけるな、この緑スープ」
その後、適当に水場を見つけ、靴袋が真っ白になるほど手洗いしそれに荷物を纏めた拳太は、あまり目立たない様にひっそりとやっている宿屋へとやって来た。
その条件に合った『小鳥と森』というちょっぴり安いという――青年の営む宿屋、その店で一番安い緑スープという文字通り緑色のスープを啜っていた。
提案と言うのも、要は客引きである、街の隅の方に立っているから中央部に比べて多少治安が悪いものの、近場にある綺麗な滝を無料で使わせてもらえるとの事だった。
それは普段水浴びに使う物だから洗濯は許可していないが、最近客が少ないため拳太の靴袋だけならOKを貰ったのである
それでいて今まで聞いてきた宿屋の値段よりも断然に安い
そんな魅力的な提案を受けて上機嫌で啜るスープの味は多少野菜のような独特苦味があるものの普通のスープと変わりなく、特に不味い訳ではない、むしろこの苦味がスープのよさを引き出していると思う
しかし食感はスープがドロッとしすぎていて少々口と喉にしつこく残る点が残念だ。
「ま、パンとの組み合わせは最高だけどな」
そんなことを呟きつつ、拳太はとりあえずの方針を決めていた。
①元の世界に帰る方法を探す
②この世界の知識を得る
③必要な技術の体得
④目的地を決める
⑤仲間を探す
優先順位で上から順に頭の中で考えてみたが、冷静に考えてみればどれもこれも無茶な気がする
まず①、これは言わなくても明らかだ。
あるならさっさと拳太は王様から聞き出しているし、王様もそんな方法があったら拳太を帰しているだろう、王様の思考次第で話は幾らでも変わるが
次に②、これは国立の図書館に行けばいいと青年が教えてくれたがこれも主に拳太の精神的に無理
国立の図書館は一つしか無く、そして国立であるため様々な本がそこにあるだろう、そしてそこには必ず勇者――拳太のクラスメイトがいることは間違いない
会えば必ず諍いが起こる、例えこちらに争う意思は無くともだ。
拳太はそんな面倒をかぶる気は無い
学校があり、そこでも授業を通して必要な知識は手に入るらしいが場所は知らない、授業料が分からない、そもそもこの世界でちゃんとした戸籍も無い拳太が行けるか分からない、よってこれも無茶
そして③、これは言わずもがな技術がないとこの世界では生き残れない
しかし師匠となる人物が見つかるのか、そいつは問題ないか見極める必要がある
しかしこの街にはあまり居られない、よってこれも延期
少なくともこの国の影響の薄い場所に行くまでは無理だろう
で④、これは先ず決めようが無い、②が突破出来たなら話は別だろうが……
魔王を倒しに行くという選択肢もあるが拳太は行く気が無い
それは勝手に大樹の辺りがなんとかするだろう
魔王を倒すのは勇者の仕事であり、不良少年のすることではない
そして最後に⑤、これは簡単だ。これは単に今必要性を感じないのである
増えたところで続くか分からないし、経費だって増える
思ったよりさっきの男が金を持っていたらしいが、それも長く持たないだろう
「……チッ あーっ! やめだやめ!!」
これ以上考えても仕方ないと判断した拳太は自室へ戻ると軽く口を濯いでからベッドに入る
とりあえず明日適当にブラブラしながら図書館に行こうと考えをまとめた拳太は今はこの平穏を満喫しようと目を瞑る
しかし、彼の波乱万丈体質が引き起こしたのかは知らないが
さっそく戦いに巻き込まれるなどと、この時の拳太は考えもしなかった。