第十一話 通り魔事件
先ず最初に出てきたのは男、つまりは神父の方だった。
思ったより若く、見た目ではおよそ四十代半ばだろうか、顎髭がしっかりと整っており、拳太の感覚では神父と言うより営業マンと言われた方がしっくり来る
「アニエス、降りて来なさい」
「はーい! 分かりましたナーリン様!」
アニエスと言うのは十中八九件のシスターの名前だろう、可愛らしい声の元気な返事を聞く限りシスターの方は少なくとも拳太の予想通りではない事は明らかだ。
ことごとく予想が外れて少しがっかりしていた拳太だが、どうでもいいことを考えている内に馬車から一人の少女が降りてきた。
「わぁー! お出迎えがあるなんて、これもきっと神のお導きなのですよ!」
その少女はバニエットよりやや年上程のまだ十三か十四位の感じで、輝く金髪のショートカットに、翡翠色の綺麗な瞳をしており、まるで世間の汚れを知らないような印象を与えた。
そして紺色の修道服でよく体のラインが分からなかったが、胸だけは彼女の修道服を押し上げており、大きさが強調されているような錯覚さえ受ける、胸の前で組んでいる手の内側には銀の十字架のネックレスがかけられており、拳太のゴテゴテに付けられた十字架と違ってきちんと清楚なイメージを見る者に与える。
「ケッ、おじさんの言う通りかよ、ちっ」
「何かいきなり舌打ちされたのですよ!?」
聞こえていたのかシスターが驚いて拳太の方へと顔を向けるが、当の本人は意中に無いのか、少し不機嫌そうに何かを呟いて農夫へと視線を向けていた。
向けられた人物は少し得意気に拳太を見返している
「ん? よく見たら貴方……」
「あ? なんだぁ?」
シスターは暫く此方――いや、正確には拳太の足下辺りをまじまじと見ていた。
拳太は何故足下を見るのかよく分からず、どうしたらいいかも分からないため取り敢えずシスターを見ていたが、シスターは唐突に顔を輝かせるかのような笑顔を浮かべて勢いよく頭を上げ拳太を見る
「あ、貴方も神に遣えし兄弟なのですね!?」
「……はい?」
シスターの唐突な言葉に拳太は思わず間抜けな声をあげる、彼は自身のそんな醜態も気づかず、頭の中に疑問符が舞っている、バニエットが驚いた顔をしているが、あれはただ単にシスターの兄弟発言をそのままの意味で受け取った感じの顔だろう
「お二人って兄妹だったんですかッ!?」
「んな訳あるかッ! おーい、シスターさん? 何でそんな事言うのか訳わかんねーぜ!」
半ば予想していたとはいえバニエットのトンデモ発言に我に返った拳太は思わず口調が荒くなるが、それに対してシスターはニコニコ笑顔を崩さず続ける
「いやですよもぅ、とぼけちゃって! 貴方のその足下の沢山の十字架がその証なのですよ! ちょっと逆さにつけられているのもありますけど……まぁ、うっかりは誰にでもあるのです!」
「……あー、これは、だなぁ……」
拳太はこの誤解をどう解こうか、困った様に眉を寄せた。
なんの意味もない装飾だと言ったら恐らく、いやこの様子だと確実に彼女は怒るだろう
だが、それ以外の説明のしようがないため、仕方なくそう言おうと拳太はため息をついた。
憂鬱の元を作った、バニエットにほんの少しの恨みを抱きながら
◇
「もうっ! 神の使徒である十字架をアクセサリーだなんて、信じられないのです!」
「悪かったって……」
「ごめんなさい……」
あの後、何とか十字架にはなんの意味も無い事を告げた拳太は現在、建てられたばかりの小綺麗な教会でシスター――アニエスに説教をされていた、当然と言えば当然だが、作った本人であるバニエットまで巻き添え――いや、こうなる経緯を考えるとむしろ拳太の方が巻き込まれているのかもしれない
「まぁ、悪人って訳でも無さそうですし、次からは気をつけて欲しいのですよ」
「気を付けるって言われてもよ……外せばいいのか? コレ」
拳太がズボンの十字架をちょいちょいと指差す。バニエットが不満そうにそれを見ていたが取れと言われれば拳太は絶対に取るつもりだ。
今後とも同じようなトラブルが起こらないとは限らない
何より、もう説教はされたくない
「いや、そこまでしなくてもいいのですよ、そうですねー……いっそのこと信者になっちゃいます?」
「断る」
「即答!? もう少し悩んで欲しかったのです!」
嘆く様に頭を抱えるアニエスだが、例え美少女にそんなことをされても宗教に非常に大きな抵抗感のある拳太は到底入る気はない
「い、今なら肩揉んであげたり……」
「いらねーよ……と言うよりそんなんで信者得てお前嬉しいのか?」
「うっ……!」
尚もしつこく粘るアニエスに多少卑怯な言い返しを行う、あまり効果はないと拳太は思っていたのだがその辺は真面目だったらしく、彼女は苦しげに呻いた。
「ところでよ、もうそろそろ行ってもいいか? 暗くなってきたし宿取りたいんだが……つーか足痺れた……」
その隙にと拳太は彼女が立ち直る前にさっさと話を進める、これ以上粘られてしまってはそれほど無いとは言え、宿屋に置いた荷物の整理の時間が取れなくなってしまう
「あ、そういえば私も荷物の整理しなくちゃいけないのです。分かりました。また明日も来てくださいね?」
「まだここにいる予定だったらな、バニィ、行くぞ」
「はい!」
途中の会話から蚊帳の外で、そこからずっと上の空だったバニエットを連れて拳太達は教会を後にする、彼らが去った教会には一転して静寂だけが残った。
「さて、と……私も行くのです」
アニエスは教会の奥の扉を開き、日光を遮って暗く見えない部屋へとその場を後にする。
「ケンタさん……せめて3日以内には、出ていって下さいね……本当に信者になりたくないのなら」
聞こえないとは分かっていても、そのような事を呟きながら
◇
「はー……今日は疲れたな……」
「お水いかがですか?」
「サンキュー」
バニエットに差し出された水を飲みながら拳太は一息つく、ここ最近はロクに睡眠も取っていないため疲れているのだ。
「じゃあ、オレはもう寝るわ、バニィは?」
「あ、私もそうします。」
そっか、と短い返事のあと拳太は直ぐにベッドに入り、バニエットも一緒に入った。旅の疲れが溜まっていたためか、バニエットはぐっすりと眠った。
「それにしても……」
自身も眠ろうとしたところで、拳太はふと今日一日を振り返ってある一つの疑問点が湧き出てきた。
「この世界の信仰の象徴も十字架……世界が違えば神も違うのが当然……そうなれば神話も変わって十字架じゃ無くなってもいいはず……考えすぎか?」
口ではそう言いつつも、言語が日本語であることといい、元の世界との共通点の多さにどうしても拳太は違和感を拭うことが出来なかった。
そうやってしばらく思考の海に没していた拳太だったが、やがてやって来た眠気に誘われるがままに意識を溶かしていった。
◇
「……んあ?」
翌日、何やら宿の外が騒がしいのを聞き付けて、拳太は目を覚ました。彼より耳のいいバニエットは事前に騒ぎを感じ取ったのか、もう既に目を覚ましていた。
「んだよ朝っぱらから……」
拳太はそう言いつつも騒ぎが気になるため上着を羽織り、バニエットはフードを被って拳太達は眠気と戦いながら騒ぎの現場へとやや駆け足気味に向かっていく
「は……?」
その現場を見た拳太は硬直した、起きたばかりの眠気など一瞬で吹き飛ばす程のとんでもない光景だった。
バニエットも同様なのか、口元を押さえて絶句している
「おじさん……?」
拳太達の目の前には、昨日話した中年の農夫が、赤い鉄臭い水溜まりの中で倒れていた。