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境界管理局  作者: きなとろ
帳簿にない英雄
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安定 ――世界は正しい

境界管理局の廊下は、いつも同じ匂いがする。

紙と、封蝋と、消毒薬。


村の薬草の匂いが、まだ指先に残っている気がした。

残っているのは匂いだけだ。

それ以外は、地下の温度に吸われていく。


アレンは第七課の執務室に戻り、案件箱を机に置いた。

箱は軽い。

中身は重い。


ページの端を揃える。

二度。


揃えないと、判断が滑る。


扉がノックされた。


「入って」


群青の外套が入ってくる。

セレナ・ヴァイス。

第参課、災厄予測課。


彼女は挨拶を省き、最初に数字を置いた。


「収束しました」


「……あの村は?」


「局地的な変動は沈静化傾向。

 拡大リスク、低。

 破綻確率は――」


彼女は言いかけて、言葉を変えた。


「問題ありません」


その言葉は、取り消しが利かない音をしていた。


アレンは椅子に座ったまま、動かなかった。


「父親は?」


セレナの目が、ほんの一瞬だけ瞬く。

それが、彼女の“個人情報の処理”だった。


「個体は生存。

 ただし、人格の回復は――」


「見込みなし、か」


アレンが先に言った。

言葉を奪っても、結果は変わらない。


「ええ」


紙が、わずかに擦れる。


「あなたは、最適解を失いました」


セレナが言う。


「……何の話だ」


「登録です」


即答。


「未登録英雄案件を、

 即時登録し、即時封印処理に移行していれば――」


「封印?」


アレンの声が、少しだけ硬くなる。


「英雄化が進む前に、境界を閉じられた。

 父親の変質も、抑えられた可能性が高い」


可能性。

数字。

過去の分岐。


正しい言い方だ。

だからこそ、残酷だった。


アレンは紙束を取り、ページをめくる。

村の報告書。

現場写真。

魔力痕のスケッチ。


黒い欠片の破片は、封緘済みで保管されている。

ラベルには、事務的な番号だけ。


名前はない。


名前が付いた瞬間、

それは役割になる。


「世界は安定した」


アレンが言った。


「だから、問題はなかったと言いたいのか」


セレナは首を横に振る。


「私は“問題がなかった”とは言いません。

 “最適解だった”と言います」


言葉の違い。

その差に、人は潰れる。


アレンは息を吐いた。短く。


「最適解が、人を壊した」


セレナは目を逸らさない。


「個人の損失は、世界の安定と相関しません」


どこでも使われる定型文。

書いた人間の体温が、感じられない。


アレンは拳を握り、ほどいた。

握り続ければ、紙が歪む。


「……俺の遅れが原因だ」


「遅れは、あなたの性質です」


責めていない。

慰めてもいない。

分類しているだけだ。


「あなたは帳簿を閉じない。

 その結果、救われるものもあります」


「救われないものもある」


「ええ」


淡々とした肯定。


アレンは、空欄の写しを見た。


実行者:——


まだ、埋めていない。


「あなたが求めているのは、個人の救済です」


「違う」


否定が速い。


「……俺は、仕組みを壊したくない」


「仕組みが個人を壊すのに?」


「仕組みがなければ、もっと壊れる」


短い応酬。


セレナは、机の端に薄い封筒を置いた。


「予測結果の付録です」


中の紙は一枚だけ。


未登録英雄案件:収束

同型事象の再発可能性:中

起点:承認プロセスの不整合


アレンの指が止まる。


「……不整合?」


「三段階のうち、どこかが欠けています」


「欠けたまま、起動している」


空欄。

欠落。

色の抜け。


線が、一本に繋がる。


アレンは封筒を閉じた。


「なぜ、第七課に」


「あなたは帳簿を閉じないから」


「閉じない人間がいないと、

 次も起きます」


それは、警告だった。

同時に、依頼だった。


アレンは、しばらく黙った。


二つの言葉が、胸の奥で重なって離れなかった。


世界は安定している。

個人の損失は、相関しない。


アレンは、ページの端を揃えた。

二度。


「現場を増やす」


セレナが、わずかに眉を動かす。


「登録は?」


「まだしない」


「最適解からは遠ざかります」


「……それでも」


短く、息を吐く。


「帳簿は、簡単に閉じない」


セレナは何も言わなかった。

ただ、記録する目でアレンを見た。


彼女が去ったあと、

執務室には紙の匂いだけが残った。


アレンは案件箱を開き、空欄を見つめる。


空欄は、空欄のまま世界を動かす。


それが、一番怖い。

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