現場調査 ――分類されない異常
現場は、静かに見える。
波は寄せ、風は吹く。
遠くで金属が触れる音がする。
音がないわけではない。
ただ、それぞれが同じ時間に属していない。
ガルドは、集落の入り口で足を止めた。
舗装された道。
倉庫の壁。
干された網が、一定の間隔で揺れている。
どれも、過去に何度も見た光景だ。
境界事象が起きた場所としては、
あまりにも普通だった。
「……変わらねえな」
声に出した瞬間、
その言葉が使えないと分かる。
変わっていない、という判断は、
測定結果に対してしか使えない。
体感は、別だ。
ガルドは外套の襟を立て、端末を起動する。
観測モード。
常時記録。
画面に数値が並ぶ。
気温。
湿度。
気圧。
磁場。
すべて、基準範囲内。
警告は出ない。
異常なし(表示)。
ガルドは、一歩踏み出す。
足音が、自分の動きより
わずかに遅れて聞こえる。
止まる。
もう一度、歩く。
同じだ。
「……気のせい、か」
否定はできる。
だが、確定はできない。
集落の中央。
倉庫の前に、人が立っている。
中年の男。
作業着。
こちらを見る目に、緊張はない。
「管理局の人か」
「ああ」
名乗らない。
第七課の現場調査では、
肩書きは必要ない。
「何か変わったことは」
男は、少し考える。
視線が、海に向く。
「変わった、ってほどじゃない」
言い切らない。
それ自体が、記録に値する。
「ただな」
言葉を探す間がある。
「夕方になると、
海の色が一段、薄く見える」
「薄く」
「抜けた感じだ。
曇ってるわけじゃない」
ガルドは頷き、端末に入力する。
体感異常:色調変化(主観)
「目のせいかと思ったが、
隣のやつも同じこと言ってた」
「生活に支障は」
「ないな。
魚は獲れる。
船も問題ねえ」
困っている様子はない。
要望でも、苦情でもない。
ただの報告だ。
次の家。
老女が、戸口に立っている。
「音がね」
「音?」
「遠いのよ。
聞こえないわけじゃないけど」
手で、空をなぞる。
「少し遅れる感じ」
「不便は」
「別に。
慣れてしまえば」
慣れ、という言葉が残る。
異常が、
生活に組み込まれている。
ガルドは、集落を一周する。
測定値は、変わらない。
数値に揺れがない。
正確だ。
だが、それだけだ。
倉庫の影。
海と陸の境目。
ガルドは立ち止まる。
視界の端で、
波が崩れる。
音が、
わずかに遅れて届く。
距離感が、合っていない。
「……感覚がズレてる」
誰に向けた言葉でもない。
評価でもない。
端末を見る。
測定値:基準内
補正:不要
測定は、正しい。
だが、観測が合わない。
ガルドは観測ログを開く。
指が止まる。
評価は、書けない。
判断も、書けない。
入力する。
観測対象:局地環境
体感異常:確認
測定異常:未検出
備考:
観測は可能。
測定は不可。
確定しない文言。
だが、事実だけは残している。
入力を終え、一拍置く。
端末は反応しない。
分類は、更新されない。
ガルドは海を見る。
色は、確かに薄い。
だが、写真にすれば、
以前と変わらないだろう。
記録は、
事実しか残さない。
「……厄介だ」
感情ではない。
現場に立った人間の実感だ。
帰路につきながら、
第七課に短文を送る。
現地調査完了
被害なし
生活影響なし
体感異常あり
測定不能
それ以上、書かない。
執務室では、
アレンがこれを見る。
判断は、付与されない。
帳簿に、一行が追加される。
分類:未分類
処理状況:観測継続
処理は終わっていない。
だが、
手続きは進んでいる。




