第二話 気弱な仮面
朝の寮は、パンを焼く匂いと、木の床を踏む足音で落ち着かない。
帝国学園の一年は、基本は二人部屋だ。
ただし、少し狭い“個室”がいくつかあって、入寮初日に早い者勝ちで選べる。
俺は当然、個室を選んだ。
窓は小さいし、ベッドと机を置けばほとんど余白はない。
それでも、夜に誰にも気づかれずに出入りできることを考えれば、最高の環境だ。
食堂の隅に座り、スープをすする。
「おー、クロガネ。そこ座っていい?」
トレイを片手に、リオが向かいに腰を下ろす。
いつも通り距離感が近い。
「うん。おはよう、リオくん」
「おはよ。今日さ、序列の掲示あるんだってよ。
オリエンのとき先生言ってただろ?」
「……うん。入試と、最初のテストのやつ、だよね」
「そうそう。入学試験の筆記と実技、それ全部まとめて“学園全体の序列”にするってやつ」
リオはパンをちぎりながら、あっけらかんと言う。
(つまり、前世で言う偏差値+実技の一括評価、ってことだな)
帝国学園の序列は、一年だろうが四年だろうが、ひとまとめに数字が振られる。
序列一位から序列千六百位まで、全員が番号持ち。
「序列上だと、もらえるDPも増えるんだっけ?」
リオがそう続けると、近くの席から別の一年が口を挟んだ。
「ああ、なんか言ってたな。
授業の成績と、実習と、学園の仕事手伝いでポイントもらえるって」
「そのポイントで、装備とか魔導書とか買えるんだよな? ずりぃよな上の連中」
「DP、だっけ?」
俺が首をかしげると、リオが指を折って数え始めた。
「ダンジョン・ポイント。名前は適当だけどな。
教室の端っこにあった紙、読んでない? “DPで買えるもの一覧”」
「ざっとは見たけど、ちゃんとは読んでないかな」
「回復薬、訓練用の防具、図書室の“制限付き本”の閲覧許可。
あと、食堂のちょっといいメニューもDP支払いだったはず」
(学園内の経済を、ポイントで回してるわけか)
強い者ほどDPを稼ぎやすく、より強くなれる。
弱い者は、弱い装備のまま、さらに差がついていく。
よくできた仕組みだと思った。
「クロガネはどうなん? 序列とか気にする?」
「数字はまあ、そこそこならそれでいいかな。
あんまり目立たなければ」
「らしいなぁ」
リオは笑って、スープを飲み干した。
(そうだ。目立つ必要はない。
俺の本当の力は、数字の外側にある)
◆
午前の授業が終わると、一年生は上級生と一緒に大ホールへ集められた。
前方の壁一面に、巨大な魔導掲示板が浮かんでいる。
そこに名前と数字がずらりと並んでいく。
「一年の分も、これで正式に反映されたわけだな」
前に立ったダモンが、腕を組んで言った。
「説明した通り、序列は入学試験の筆記と実技、それに入学後一週間の基礎テストを加味した総合評価だ。
この数字で、授業のクラス分け、実習の優先度、DPのボーナス率が変わる」
ざわめきが起きる。
「ボーナス率……?」
小声でつぶやいた一年に、ダモンが続ける。
「授業で良い成績を取ればDPが入る。
規定の実習をこなせば、また入る。
序列が上のやつほど、同じ成果でも多くもらえるってことだ」
(強いほど得をする。
分かりやすいし、分かりやすく不公平だな)
「数字に文句があるなら、次の更新までに結果を出せ。
──以上だ。自分の順位を確認しろ」
解散の声と同時に、掲示板の前に人だかりができる。
「……あった。リオ・アルバン、序列千二十七……うお、まぁまぁ高いな。」
リオが驚く横で、俺は自分の名前を探す。
「クロガネ……クロガネ……
……あった。序列千三百六」
声に出さずに数字を確認する。
(想定の範囲内だな。
筆記で少しだけ失敗して、実技も“それなり”に抑えたんだ。
目立たない中間くらいでちょうどいい)
「お、クロガネ。千三百六位か。
俺とそんな変わんねーじゃん」
「うん。そんなに差はないね」
「でもさ、これで最初から四桁前半台って普通にすごいらしいぜ?」
(そいつらも、そのうち同じ穴の中だよ)
そう思いながらも、表情は緩めない。
少し離れたところで、別の声が上がる。
「おい見ろよ、ダイン。千四百八十七位って……ほぼ最下層じゃね?」
「やっべ。次の更新で落ちたら、実習の参加枠削られるんじゃね?」
「ひっ……いや、その……」
弱々しい声が、廊下に溶ける。
ダインだ。相変わらず小動物みたいに縮こまっている。
俺はふらりと近づいた。
「……あのさ」
二人組の横で立ち止まり、言葉を選ぶ。
「そういう言い方、きつくない?
人それぞれ、得意なこと違うし」
「は?」
片方が眉をひそめた。
「なんだよクロガネ。
お前も四桁だろ。仲間かよ」
「……悪かった。余計なこと言った」
すぐに頭を下げる。
それだけで、彼らは面白くなさそうに舌打ちして、掲示板の方へ戻っていった。
「クロガネくん……」
横で、ダインがぎこちなく笑った。
「その……ありがとう。
ぼ、僕……言い返せないから……」
「気にしないで。ちょっと気になっただけだから」
「でも、助かったよ……」
ダインは目に少しだけ涙をにじませていた。
(勘違いしやすい性格だな。“助けてくれる人=いい人”って、単純で羨ましいよ)
もちろん、口には出さない。
◆
午後は訓練場で模擬戦の授業だった。
砂を敷き詰めた広いフィールドに、一年生が並ぶ。
木剣、防具、回復薬の簡易支給。
「今日は基礎だ。動きの確認も兼ねて、一対一での模擬戦をやる」
ダモンの声が響く。
「序列の数字はあくまで目安だ。
数字にあぐらをかいているやつから怪我をする。肝に銘じろ」
名前が呼ばれて、次々と生徒が前に出ていく。
勝ち負けよりも、動きと判断を見る練習だ。
「──次。カイ・ゼルド、クロガネ」
俺の名前が呼ばれた。
「お、俺らか」
カイが木剣を肩に担いでニヤリと笑う。
「悪ぃなクロガネ。加減はするけど、たぶんちょっとは痛い」
「……ほどほどで頼むよ」
内心、ため息をつく。
円の中央に立ち、木剣を構える。
観客の一年たちの視線が集まるのを、肌で感じた。
「始め!」
合図とともに、カイが距離を詰めてくる。
踏み込みは素直で速い。読みやすいが、まともに受ければ確実に骨に響く。
俺は“気弱な生徒”らしく、ぎこちなく下がる。
防御の姿勢は取るが、カウンターは一切しない。
振り下ろされる木剣を、腕で受け、足をもつれさせて転びそうになりながら避ける。
「うわ、ごめん! 当たってない!?」
「……平気。かすっただけ」
少しだけ、肩の力を抜いた。
(本気で避ければ、そもそも掠りもしない。
でもそれだと“おかしい”と思われる)
「はっ!」
二、三合目。
カイの木剣が、俺の肩口をかすめた。
鈍い衝撃と、じわりとした痛みが走る。
木剣とはいえ、全力に近い踏み込みだった。
「クロガネ!」
リオの声がどこかから飛んでくる。
ダモンがすぐに合図をかけた。
「そこまで! 一度止めろ」
カイが動きを止め、慌てて木剣を引く。
「悪い! 力入れすぎた! 大丈夫か!?」
「……うん。大丈夫」
俺は肩を押さえながら、少しだけ顔を歪めてみせた。
「避けるのが下手だっただけだから」
周りから、安堵と非難が混じった空気が流れる。
「カイ、もうちょい加減覚えろ。
クロガネ、無理はするな。痛みが引かないようなら医務室に行け」
「はい」
(心配そうな顔をするのも、もう慣れたな)
リオが入れ替わりに駆け寄ってきた。
「クロガネ、肩見せてみ。痕になってたら、DPで軟膏買ってやるからさ」
「大丈夫だって。ほんとに」
◆
授業が終わる頃には、肩の痛みは鈍く残る程度になっていた。
寮に戻り、自室で一人になる。
狭い部屋。静かな空気。
窓の外には、学園の裏手の森が見える。
門限は一応決まっている。
日没後、寮への出入りは寮監にチェックされる。
──ただし、裏の森へ抜ける小さな裏口までは、誰も見ていない。
(痛みは……この程度ならどうでもいい)
俺は制服の上着を脱ぎ、肩の痣を一瞥した。
(問題は、こっちだ)
窓の外。夜の気配が、少しずつ深くなる。
◆
完全に日が落ちた頃、俺は寮を出た。
裏口から石畳を抜け、人気のない森へ足を踏み入れる。
昨日よりも、空気が重い気がした。
木々の間に、黒いひび割れのようなものが浮かんでいる。
地面にも、幹にもつながっていない、異質な傷。
『副入口の成長率、九十七パーセント。
接続まで、残りわずかです』
「……もう、いいだろ」
そう呟いた瞬間、黒いひび割れが静かに割れ広がった。
中から、腐った土と湿った風の匂いが漏れ出す。
手を伸ばす。
世界がねじれ、視界が暗転した。
◆
足元の感触が変わる。
腐葉土を踏む音。
鼻を突く、湿った土と腐敗の匂い。
ダンジョンの第一階層──夜の森。
「マスター……」
声に振り向くと、サキュバスが木の陰から姿を現した。
白い肌。闇に溶けるような髪。
尾の先が、小さく揺れている。
「戻られたんですね」
「ああ。どうだ、進捗は?」
サキュバスが一歩近づき、わずかに微笑む。
『新規魔物──コボルトの群れを生成しました』
コアの声が森全体に響く。
『繁殖性が高く、集団行動を取ります。
一定時間ごとに、自然増加が見込まれます』
暗がりの中、小さな影が何匹も動き回っているのが見えた。
青白い目。粗末な武器。低い唸り声。
「自分たちで増えてくれるのは、楽でいいな」
『習性として、巣を作りたがります。
罠との連携、縄張り形成にも利用可能です』
「勝手に縄張り合戦でもして、上澄みだけ残ればいい。弱いのから順番に死んでくれれば、選別の手間も省ける」
サキュバスが、こちらを見上げるようにして尋ねてくる。
「……マスター」
「なんだ」
「今日、人間に傷をつけられたと……コアから聞きました」
「大げさだな。あれは授業だよ。多少、肩を叩かれただけだ」
「叩かれた相手を、狩り対象にしますか?」
淡々とした口調。
ただ、その瞳の奥に、うっすらとした期待の色が見えた。
「ああいうのは、優先じゃない」
俺は森を見回しながら答える。
「俺は復讐に興味はない。
憎んで殺すより、都合よく使えるタイミングで殺す方が、効率がいい」
サキュバスは、少しだけ目を細めた。
「……よく、わかりません」
「分からなくていい。お前は、俺が“殺していい”と言ったときだけ動け」
「はい。命じられたときに、殺します」
それが、この悪魔の“幸せ”らしい。
「それより、コボルトの詳細を聞かせろ。
どれくらいのペースで増える?」
『群れの状態により変動しますが──』
コアが淡々と数値を読み上げる。
生息可能数の上限、成長速度、餌の必要量。
それを聞きながら、俺は頭の中でいくつかのパターンを組んだ。
「索敵用に、何匹かは高い木に登らせておけ。
人間が入ってきたら、真っ先に知らせろ」
『了解しました』
サキュバスが、その指示を聞いて小さく笑った。
「その人間たちは、すぐに殺しますか?」
「まだだ。最初は“様子を見る”程度でいい」
俺はゆっくり息を吐いた。
「昼間は、仮面を被って歩き回るのに忙しい。
こっち側まで慌ただしくしたくはない」
「……仮面」
サキュバスが、その言葉を繰り返す。
「地上のあなたは、“弱くて優しい”らしいですね」
「らしいな。みんなそう思ってる」
「本当は違うのに?」
「本当のことをわざわざ教える義理もない」
俺は笑う。
「そのほうが、楽に殺せるだろう?」
サキュバスは、小さく身震いした。
恐怖か、それ以外か、本人にも分かっていないような震えだ。
「……やっぱり、マスターは素敵です」
「褒め方が気持ち悪いな」
「すみません。次は上手く褒めるようにします」
「別に、褒めなくていい」
言いながらも、ダンジョンの奥を見渡す。
暗い森。
増え続けるコボルトの気配。
その中心に、静かに脈動する黒いコア。
ここは、俺の“内側”だ。
昼の教室で、笑いながら頭を下げている自分とは、まるで別人のような。
(昼は仮面。夜は本性。
どちらも、今の俺には必要だ)
肩の痛みは、もうほとんど気にならなかった。
「……さあ、続きだ」
俺はコアに向き直る。
「この森を、“もっと殺しやすい形”にしていこうか」
『了解しました、マスター』
静かな返事とともに、ダンジョンが、また少しだけ深く脈動した。




