受け継がれていくもの、再生
やっと高校生活編が終わります。本当は2話くらいで終わらせたかったのですが初期原稿からの切り貼りが難しくて
屋敷の夜は、外の世界とは隔絶されたように静かだった。
カーテン越しに月光が差し込み、床や壁を淡く染めている。
その光景の中で、シャンデリアの灯りがゆらゆらと生きた温もりを放っていた。
けれど――この空間を満たす本当の温もりは、それではなかった。
何百年もの時を越えて、ようやく再び巡り会えた心の熱。
過去と現在が重なり、失われた記憶と感情がゆっくりと繋がっていく。
もう、彼らは「普通の高校生」には戻れない。
それでも。
それでも――
レンジは立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。
アヤノの前に立つと、そっと彼女の頬に手を添えた。
その指先は、懐かしい誰かを確かめるように震えていた。
「……アイネス」
その名が、空気を震わせた瞬間。
アヤノの大きな瞳から、溢れるように涙がこぼれた。
抑えていた感情が、声もなくこぼれ落ちる。
「ただいま」
レンジの声は低く、しかし揺るぎなかった。
「もう迷わない。もう寂しくさせない。
これからは……皆、一緒だ」
アヤノは唇を震わせ、必死に涙を拭おうとする。
「……はい……! おかえりなさい……ワイアットさん……!」
そして、二人の距離は自然に縮まり――唇が重なった。
熱く、深く、優しく。
300年という、あまりにも長い時を越えた「ただいま」のキス。
その瞬間、彼らの世界から時間の流れが消えた。
月の光がすべてが二人を祝福していた。
ミレイは、そっと目を伏せて微笑んだ。
その表情は凛とした騎士のものではなく、どこか優しく、安堵を滲ませている。
カレンは、唇を噛みながらも「……ずるいなあ」と小さく呟いた。
茶化すような響きの中に、ほんの少しの照れと温もりが混ざっていた。
エトラは、胸にそっと手を置き、まるで胸奥の記憶を確かめるように目を閉じた。
その頬に浮かぶ淡い赤みは、300年の時を越えてなお消えない想いの証。
そして彼らは、同時に気づく。
全員が――今と前を持ち、同じように“愛してしまっている”ことに。
それは理屈や常識では説明できない、魂の縁。
そして始まる、奇妙な恋のかたち。
ミレイは静かに言葉を紡ぐ。
「“ミレイ”としても、“ミレイナ”としても……私は貴方が好きです」
カレンは笑みを含んだ声で、しかし真剣に。
「前も今も、あたしを求めてくれるのはレンジだけだもん♡」
エトラは小さく頷き、瞳を潤ませながら。
「……2人分の想い、私が全部抱きしめていいですか?」
そしてレンジ――ワイアットも確信した。
「これはもう、誰かひとりを選ぶ恋じゃない」
これは、魂が呼び合った“5人の絆”そのものだ。
過去も未来も、愛も忠義もすべてを重ね、抱きしめるための形。
アヤノとのキスが終わり、
温もりと鼓動だけが静かに残る余韻の中。
ふと、横からふわっと甘い香りが漂った。
春の陽だまりのような、懐かしい匂い。
赤髪がふわりと揺れ、
カレンがレンジにぴたりと身体を寄せてくる。
「アタシも〜♡」
「……え?」
「前世でも、いっぱいキスしたでしょ〜♡
ね、今世でもしよ?」
言葉を選ぶ暇もなく、カレンは指先で彼の顎をクイッと持ち上げ――
チュッ♡
軽やかで、けれど甘く、
そして何よりも懐かしい“情熱の口づけ”。
「……強引だな、お前は」
「ふふ♡ そーゆーとこ好きなんでしょ?
ワガママで、素直で、アナタだけに甘い――アタシ」
にこっと悪戯っぽく笑うその顔は、
あの日のまま。
アヤノも、そんな光景に静かに微笑む。
「変わらないですね……カレンさんは、いつだって真っ直ぐで、愛情深い人……」
カレンが離れたあと、少し後ろで静かに佇んでいたエトラが、
そっと一歩前に出た。
黒髪が揺れ、胸元に両手をぎゅっと当てる。
その指先が小刻みに震えていた。
「……あの、レンジさん。
いえ……ワイアットさん」
その瞳には、もう迷いがなかった。
涙が光り、頬を伝いながら、ぽつりとこぼれる。
「思い出しました……全部……。
あなたと旅をして、笑って、泣いて……
あの時も、今も、私……ずっと……」
言葉は途中で途切れた。
次の瞬間、エトラは両腕を伸ばし、レンジの首に抱きつく。
「……嬉しい……生きて、また会えて……♡」
そのまま、彼女は小さく背伸びをして、
震える唇をそっと重ねた。
それは派手でも長くもない。
けれど、300年の時を越えて繋がった、
最も優しく、最も切ない口づけだった。
離れたあと、エトラは恥ずかしそうに俯きながら、
小さな声で囁く。
「……もう離れません。前も今も、ずっと……あなたのそばに」
「皆さん……ずるいです。
三百年も待っていたのは……私も、同じなのに」
静かに歩み寄り、真紅の瞳が揺れる。
「……もう、“ミレイ”ではありません。
私の魂が……この瞬間に、目覚めました――」
すっと膝をつき、右手を胸に、左手を差し出す。
「騎士ミレイナ・クロシュノレーヌ。
貴方に剣と心を捧げし忠誠の騎士、再びここに」
その姿が、完全に“あの頃”の彼女と重なる。
「三百年の時を越え、再びこの身を貴方に捧げます――
我が君……♡」
目を閉じ、ゆっくりと顔を近づける。
そして――深く、長く、濃密なキス。
それは唇だけじゃない。魂も、記憶も、感情も――
すべてを混ぜ合わせるような、終わらない口づけだった。
「……っ、ふぅ……♡
やっぱり……覚えています……我が君の、味……♡」
「……お前、本当に戻ってきたんだな」
「はい。
この剣も、心も、身体も――すべてを貴方に捧げます。
“今”の私ごと……愛してください♡」
周囲の反応
「……強いわね、ミレイナさん」
「なっっが!! なっっがいキスだったわね!?」
「……私よりも、濃かった気がします……(モジモジ)」
レンジたちが2年生に進級してから、早くも3ヶ月。
蒸し暑さを感じ始めた6月の朝、教室はいつも以上にざわついていた。
「えー、今日は転校生が来ている。じゃ、入ってくれ」
担任の声に、視線が一斉に教室の扉へ向く。
――カララッ。
「あの……はじめまして、楠エトラと申します……」
黒髪のロングヘア、透き通るような白い肌、恥じらいを含んだ柔らかな笑顔。
その瞬間、男子生徒たちの視界は一気にバラ色に染まった。
「デケェ!!!!」
「うおおおあああああ!!」
「なんでウチのクラスだけ画面の向こうのラブコメ来てんの!?」
「なあ!誰か俺の席と代われ!!」
「レンジ、お前は……お前はッッ!!!」
賑やかな声を浴びながら、エトラは一度だけ恥ずかしそうに視線を伏せ――
すぐに顔を上げ、真っ直ぐレンジを見つめた。
「席は……レンジさんの隣がいいです♡」
教室は一瞬で静まり返る。
レンジは固まったまま、口を半開きにしていた。
「え、いや、それ先生が――」
「……了承した。レンジの隣だ」
担任の即答。
――ザワッ!!!!
ミレイ達も騒然とする
「どういうことよ!?なんで転校してきたの!?」
「い、いきなりすぎますよエトラさん!」
「ふふ、積極的になりましたね……エトラさん」
「目的はただ一つ――レンジさんの隣に♡」
騒ぎと動揺の渦中、レンジの隣の席はあっさりと確定した。
「レンジさんが別の女の子と楽しそうにしてると、胸が痛くなるんです……わたしだけ違う学校で……」
「だから、ちゃんと“隣”で見てたいなって……♡」
前世からの繋がりか、
こうして一つの教室に全員が揃ってしまった
秋の夜、神社の参道は提灯の明かりで金色に染まり、
焼きとうもろこしやリンゴ飴の甘い匂いが漂っていた。
人混みの中、ひときわ目を引く一行があった。
先頭を歩くのは、浴衣姿の鶴城レンジ。
その左右を固めるように、4人の少女たちが寄り添う。
銀色の髪を涼しげに結い上げたミレイは、藍色の浴衣を凛と着こなし、
まるで姫君のような気品を漂わせている。
隣のカレンは、赤地に金魚模様の浴衣を着崩し気味に着て、
金魚すくいの袋をぶら下げながら、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。
黒髪ロングのエトラは、藤色の浴衣に桜の髪飾り。
人混みが怖いのか、時折レンジの袖をそっとつまんで歩く。
そしてアヤノは、波紋を描いた水色の浴衣を優雅に纏い、
微笑むだけで周囲の空気がやわらぐような落ち着きを見せていた。
その姿は、まるで芝居や絵画から抜け出したようで――
「……なぁ、あれって芸能人?」
「バカ、あんなのドラマでも見ねぇよ……」
「おい、あの赤髪の子、めっちゃ笑顔向けてくれた……死ぬ……」
「銀髪の……あれ、姫様じゃない?」
「黒髪の子、ヤバい……超可愛い……」
「青い浴衣の人、大人すぎない……?」
モブたちのささやきが、参道を通るたびに波のように広がる。
レンジは苦笑しながらも、
「……お前ら、ちょっと目立ちすぎだろ」
とぼやくが、4人はそれぞれに微笑むだけだった。
やがて、遠くから祭囃子の笛と太鼓が響き、
5人の影が提灯の明かりに長く伸びていく。
アヤノは静かに皆を見つめ、ふと呟く。
「……こうして迎えられるなんて、夢みたいですね。ありがとう、皆さん」
更に月日は流れ冬の夜。
アヤノの屋敷の和室
外は粉雪が舞い、しんと静まり返っていた。
囲炉裏の火がぱちぱちと音を立て、
その周りにはレンジと4人の少女たちが座っていた。
ミレイは、きっちりと割烹着姿で年越しそばをよそい、
「熱いですから、気をつけて」と笑顔を見せる。
カレンは、こたつに潜り込みながらみかんを頬張り、
「うわっ、雪積もってきた!夜明けまで真っ白になるかもな〜」と窓の外を眺める。
エトラは、湯気の立つ湯呑みを両手で包みながら、
「こうやって皆で年を越せるなんて……」と、目を細めた。
アヤノは、障子を少し開け、月明かりに照らされた海を見やりながら、
「今年も……いえ、来年も、穏やかでありますように」と静かに祈る。
時計の針が、午前0時に近づく。
屋敷の中は囲炉裏の火と、皆の吐息だけが響く。
やがて――
「……あ、鐘の音……」
遠くの寺から、除夜の鐘がゆっくりと重く響き渡った。
レンジは手を伸ばし、4人の手を一人ずつ握った。
「……来年も、みんな一緒だ」
アヤノが微笑み、ミレイが静かに頷き、
カレンは「当然でしょ」と笑い、
エトラは恥ずかしそうにうつむいた。
こうして、新しい年が始まった――
雪が舞い、海が凪ぎ、囲炉裏の火が暖かく燃え続ける中で。
新年、午前1時過ぎ。
雪の積もった参道を、5人が並んで歩く。
吐く息は白く、足音はぎゅっ、ぎゅっと雪を踏みしめる音だけ。
参道の両脇には、赤い提灯がずらりと並び、
焚き火の煙と甘酒の香りが漂っていた。
「わぁ……夜の神社って、なんだか別世界みたいですね」
エトラが感嘆の息を漏らす。
カレンは綿あめを片手に、「これ食べながらお参りってアリかな?」と笑う。
「却下です」ミレイがぴしゃりと制するが、その口元もほころんでいた。
境内へ着くと、拝殿には列ができていた。
その中で、レンジと4人は自然に横一列に並び、手を合わせる。
雪明かりと焚き火の赤い光が、彼らの横顔を照らした。
レンジは心の中でつぶやく。
――今年も、全員無事で、笑って過ごせますように。
お賽銭を投げ終え、鈴を鳴らし、深く一礼。
その瞬間、鐘の音がもう一度、静かな空に響いた。
帰り道、5人は順番におみくじを引く。
「大吉!やった〜!」カレンがはしゃぎ、
「末吉……控えめに動け、ですって」エトラが苦笑いし、
「小吉……でも悪いことは書いてません」ミレイは淡々と結び、
「中吉、まぁまぁですね」アヤノは微笑んだ。
レンジの手元には――大吉。
「……ふふ、全員分、俺が守ってやるさ」
雪はまだ降り続いていた。
しかし、その帰り道の笑顔は、夜の空よりもずっと温かかった。
夜明け前の海。
水平線の向こうに、ほんのりと橙色の光がにじみ始めていた。
波は穏やかに寄せては返し、冷たい潮風が髪を揺らす。
レンジたちは並んで立ち、初日の出を待っていた。
だが、その中でアヤノだけが微かに俯き、波の音に耳を傾けていた。
「……アヤノ?」
隣に立つレンジが、心配そうに声をかける。
「寒いなら、屋敷に戻っててもいいんだぞ」
アヤノは小さく首を振った。
その横顔には、喜びとも哀しみともつかない、複雑な色が浮かんでいる。
「……違うんです」
波の向こうを見つめたまま、彼女は静かに言葉を続けた。
「今のままでは……また、私は残されてしまいます」
レンジの胸に、冷たい風が吹き抜けたような感覚が走る。
「私は……人間になって、皆と共に生きて……老いて……死にたい」
声が震えていた。
それは恐怖ではなく、長すぎる孤独を知る者だけが持つ切なる願い。
レンジは言葉を探し、しかし何も言わず、そっと彼女の手を握った。
アヤノはその手をぎゅっと握り返す。
やがて、水平線から太陽が顔を出す。
金色の光が二人の瞳を照らし、波間に道を描く。
「……必ず、見つけよう」
レンジが低く、しかしはっきりと告げた。
「お前が望む“人間になる方法”を。俺たち全員で」
アヤノの瞳に、初日の光が反射し、涙がきらめいた
アヤノの「人間になって、皆と共に生きて……老いて……死にたい」という言葉が、潮騒の中に静かに響いた。
短い沈黙のあと――
「その通りです」
最初に声を上げたのはミレイだった。
「今度こそ、全員で最後まで共に歩みましょう。我が君を一人にしないためにも」
きらりと決意の光を帯びた瞳が、朝焼けに映える。
「そーだそーだ!」
カレンが両手を腰に当て、笑みを浮かべる。
「アヤノだって、あたしらの家族なんだからさ。置いていくとか、もう二度とごめんだよ!」
「……私も、絶対に離れません」
エトラが胸に手を当て、静かに言った。
「何百年だって、何回生まれ変わったって……ずっと一緒です」
アヤノは驚いたように3人を見回し、そしてそっと笑った。
アヤノの目に涙が浮かぶ。だがすぐに、彼女は首を横に振る。
「しかし……私も300年探しましたが、方法は見つかりませんでした。それに現代では魔法は完全に廃れ……」
それにミレイも頭を抱える
「ロストテクノロジー、という訳ですね」
しばし、誰も口を開かなかった。
カレンは腕を組んだまま足先で砂をいじり、エトラは胸元を押さえて俯く。
アヤノは視線を遠く、まだ薄く霞む水平線に向けていた。
波音だけが繰り返し耳に届く。
その静寂は、答えが見つからない現実を、嫌でも突きつけてくる。
レンジもまた、額に手を当て、唇を噛みしめた。
――方法はないのか。
このままでは、また彼女を一人にしてしまう。
海風が吹き抜け、5人の間に、焦燥と決意の匂いを運んでいった。
沈黙を破ったのは、エトラのか細い声だった。
「……あの、もしかして……うちの家系に、過去へ還る魔法が……」
その一言に、アヤノは小さく息を呑む。
視線が彼女に集まり――
「もう一度……旅ができるのですね」
アヤノのその問いに、レンジは頷いた。
「ああ、俺たちは――」
“300年ぶりの旅を始める。”
アヤノの屋敷、その奥にある書庫。
蝋燭の明かりが揺れる中、エトラは300年前に閉ざされた書物をそっと机に広げた。
彼女の表情は、これまでにないほど真剣だった。
「……これが、私のご先祖様、エトラ・セリエドールさんが死の間際まで研究して残した“時を渡る魔法”です」
ページをなぞる指が、わずかに震えている。
「この魔法……正式な名前はありません。“還り咲き”とだけ呼ばれてきました」
そして、低く静かな声で条件を告げる。
一つ目。
「成功するかは五分五分。誰も試した記録がなく、私自身の魔力では成功の保証はありません…」
張りつめた空気が、部屋を覆う。
二つ目。
「時間を巻き戻すわけではありません。
これは“かつて存在した過去の器”に、今の魂を転送する術式……。
つまり、300年前に生きていた“わたしたち自身の肉体”に戻るということです」
三つ目。
「転送は一度きり。一人一回限り。やり直しはできません」
静寂。
その重みを噛みしめるように、全員が黙り込んだ。
「つまり、一発勝負ってわけだ」
レンジの低い声が、重く響く。
「覚悟が問われる魔法……ですね」
ミレイの言葉は、まるでその場に刃を突き立てたようだった。
エトラはそっと顔を上げる。
決意と責任、その狭間で揺れる瞳。
「……それでも、皆が行くのなら……私も覚悟を決めます」
レンジは全員を見回し、真剣な声で告げた。
「これは命をかけた危険な試みだ。不安な奴は、来ないでくれ」
しかし――
誰一人、席を立つ者はいなかった。
アヤノが静かに微笑む。
「当然、行きます。私は人魚の身を捨て、人として生きたいのです。限られた命でも……皆と同じ時間を」
カレンは腕を組み、口角を上げた。
「バカ言わないで。レンジが行くってのに、アタシだけ残るわけないじゃん!」
ミレイはまっすぐに彼を見据える。
「私はこの旅、たとえ命を失うとしても、行かねばなりません」
火のような決意が、その場の全員の心に灯った。
そして――この瞬間、
“高校生活”は幕を閉じ、
300年ぶりの本当の冒険が、再び始まろうとしていた。
夜。
アヤノの屋敷の最奥、古びた石造りの礼拝堂。
中央には魔法陣が刻まれ、その上には蝋燭の炎が揺れている。
エトラが両手で古びた巻物を広げ、呪文を唱え始める。
低く、響くような古代語が空間を満たすたび、魔法陣が青白く輝きを増していく。
レンジは全員の顔を順に見た。
ミレイ、カレン、エトラ、アヤノ――
その目には、恐怖ではなく、未来を選ぶ覚悟が宿っていた。
床の紋様から光の柱が立ち昇り、天井に突き抜ける。
空気が震え、耳鳴りが響く。
エトラの声が重くなる。
「――私たちが還る先は、歴史の別れ道」
「そこは……ワイアットさんが国を築かず、旅を続けた世界線です」
レンジの胸に、熱くて不思議な感覚が広がった。
過去の延長ではなく、もうひとつの過去。
けれどそこには確かに――あの人たちが生きている。
光が全員を包み込み、視界が白に塗り潰されていく。
足元が消え、重力も、時間も、存在すらも曖昧になった。
最後に聞こえたのは、レンジの声だった。
「――行こう。300年ぶりの旅に」
世界が反転し、光が弾け――
彼らは新たな過去へと、落ちていった。
気がつくと、そこは草原だった。
若草の匂いが風に乗って流れ、遠くでは小さな村の鐘が鳴っている。
どこかで馬がいなないた――その音すら、胸を締めつけるほど懐かしい。
そして何よりも、自分の全身にみなぎる力。
硬くしなやかな筋肉の感触、重みを感じさせない愛用のマント、腰のホルスターに収まった二丁拳銃。
間違いない――これは、世界を駆けたあの頃の、全盛期のワイアット・クレインの体だ。
「……うわっ……! 本当に……戻ってきた……!」
思わず手を開き、握りしめ、確かめる。
懐かしさと興奮で胸が震える。
そのとき、背後から駆け寄る影があった。
振り返るより早く、彼女はひざまずき――銀髪が陽光に煌めく。
「……我が君……!」
ミレイナの瞳には涙が滲み、その声音は300年分の想いを乗せていた。
「ミレイナ・クロシュノレーヌ、時を越えて――只今、帰還いたしました」
「今一度、この魂と剣、この身の全てを……貴方にお捧げします」
風が吹き抜け、銀の髪が舞う。
その姿は、かつて見たどの戦場の光景よりも美しかった。
ワイアットは自然と笑みを浮かべ、右手を差し伸べる。
「おかえり、ミレイナ……また一緒に戦ってくれ」
ミレイナはその手を両手で包み込み、深く頷いた。
草原の風が二人の間を抜け、旅の再開を告げるように遠くまで駆けていった。
ワイアットとミレイナが再会の誓いを交わすすぐ傍で――
草原を包んでいた転送の光が薄れ、風が若葉を揺らす中、
残りの三人も次々と目を開けていった。
カレン
赤髪を乱暴にかき上げ、肩をぐるぐると回す。
陽に照らされた海賊風のドレスとブーツが、彼女の快活さをさらに際立たせる。
「おーっしゃ! 帰ってきたわね、海賊カレン様!……あー、懐かしいこの服っ、テンション上がる〜♡」
くるっと回って両手を腰に当て、元気いっぱいのポーズ。
だが、瞳の奥にはほんのり涙の光が滲んでいた。
「……また、みんなに逢えて良かった」
その小さな呟きは、草原の風にそっと溶けていった。
エトラ
胸元を押さえ、静かに立ち上がる。
純白の魔導衣に黒髪が映え、修道士を思わせる気品が漂う。
「この服……やっぱり落ち着きますね」
目を細め、指先で衣の質感を確かめる。
「……この感覚……確かに、八代分の血が騒いでいます」
頬をわずかに赤らめ、視線をワイアットの背へ。
そこに立つ“英雄”を、かつての仲間として、そして女性として――静かに見つめた。
アイネス(アヤノ)
ゆっくりと立ち上がる。
その姿形は以前と変わらぬ美しさ――
だが、瞳だけは違った。
もう“遠く”を見つめてはいない。
今は、しっかりと“目の前”を見据えている。
「……ふふっ、懐かしい。潮の匂いも、風も――全部、一緒です」
パッと笑顔を浮かべ、ワイアットに向かって無邪気に手を振る。
「ワイアットさーん! 私、もう泣かないって決めましたからっ!」
「よっしゃ、それがアイネスだ!」
ニッと笑ったワイアットの声が、草原に響いた。
全員が揃い、草原を渡る風が頬を撫でる。
ワイアットは腰に手を当て、仲間たちを見渡した。
「──さて、帰ってきたぜ。最高の旅の続き、始めようか!」
その言葉を合図にしたように――
木漏れ日の差す森の外れから、土を蹴る音が近づいてくる。
パカラッ…パカラッ…
青鹿毛の美しい牝馬が姿を現した。
陽光に艶めく毛並み、気品ある瞳――
それはまるで、かつてのノワールジェネシスを思わせる風格をまとっていた。
「……おおっ!? マジかよ、レガシー! 本当に来たのか!」
ワイアットの声に応えるように、馬は軽く首を振り、真っ直ぐ彼のもとへ駆け寄る。
鼻面がそっと彼の胸元に触れた瞬間、胸にこみ上げる懐かしさ。
まるで「おかえり」と言われたようだった。
アイネスは微笑み、そっと言葉を添える。
「転送は……成功したようですね。
ワイアットさん、レガシーロジストは
ノワールジェネシスとレオノール、その二頭の血を遠く受け継ぐ末裔です」
「ははっ……そうか、やっぱりな」
ワイアットはその首筋を優しく撫で、目を細める。
「ノワールにそっくりだ……これからは頼むぜ、レガシー」
牝馬は低く鼻を鳴らし、誇らしげに草原の風を受けていた。
しかしその一方で――
ミレイナは、ふっと視線を伏せた。
「……私は、そうですね……レオノールはもう、いないんですよね」
その言葉に、草原を渡る風が一瞬止まったような静けさが訪れる。
懐かしさと共に、かすかな寂しさが胸をかすめる。
その時――
「いえ、大丈夫です!」
アイネスの明るい声が、空気を切り替える。
ヒヒーン!
白銀のたてがみをなびかせ、芦毛の馬が風を切って駆け寄ってきた。
陽を浴びて輝く毛並み、力強い脚、そして澄んだ瞳。
「この子はリボーンズエスポワール。レガシーの弟で……レオノールの血を継ぐ馬です」
アイネスは胸を張り、まるで宝物を紹介するように言った。
「ミレイナさんの愛馬として来てくれました」
ミレイナは驚きに目を丸くし、やがて静かに歩み寄る。
そっと手を伸ばし、リボーンズの鼻面に触れた瞬間――
温かな息と共に、胸の奥に懐かしい感覚が広がっていく。
「リボーンズ……あなたが、レオノールの継承者……」
ミレイナは涙をにじませながら微笑む。
「……もう一度、その命、私に預けてくれますか?」
リボーンズは高らかに嘶き、力強く首を頷かせた。
それはまるで「これからも共に駆ける」と誓うようだった。
ワイアットはその光景を見ながら、口元に笑みを浮かべる。
「よっし!相棒たちも揃ったし……旅の再開だ!」
今度はアイネスを人間にする為の旅へ!