人魚の涙
ちょっと駆け足気味です
ある平日の放課後。
人気のない駅前のロータリー、制服姿の女子高生が1人、所在なげに立っていた。
楠エトラ。
黒髪ロングに大きな胸。地味で控えめな雰囲気のせいで、男子たちの“視線”に気づいても、目をそらして耐えることしかできなかった。
そのとき、チャラそうな大学生風の男が2人、彼女に声をかける。
「お〜、そこの地味カワお姉さん? 彼氏とかいる系〜?」
「胸でかっ……え、マジでデカくね? 今からどっか行かね?」
「……や、やめてください……」
「いいじゃんいいじゃん〜! ちょっとお茶するだけだからさ〜」
「つーか顔隠しても、スタイルでバズるっしょ?」
逃げようとしても、腕を掴まれ――
エトラの表情が、こわばったそのとき。
「おい、その手、離してくんない?」
――その声は、背後から。
制服姿の男子が、チャリを押しながら現れた。
その目には、いつもの軽さはなかった。
鶴城レンジだった。
「んだよ、お前?」
「通りすがりの学生が口出ししてくんなって」
「いやいや、目の前で“人間のクズみたいな行動”されて黙ってられるほど、育ち悪くないんで」
「はァ!?」
「で、そっちの“チンピラごっこ”終わったら、その子離してくれない?」
レンジの目が一瞬だけ鋭く光る。
軽薄そうに見えて、底に“通してはいけない一線”を持っているのが分かる。
男たちは毒づきながらも、結局は離れていった。
「チッ……めんどくせーガキ」
去ったあと、エトラは小さく頭を下げた。
「……助けてくれて、ありがとうございます……」
「いや、こっちこそ悪い。怖かったよな」
「……ちょっと、だけ。でも……ああいうの……初めてじゃないんです。
目立たないつもりでも……見られてしまうから……」
「……そうか。でも、それは悪いことじゃない」
レンジは、何気ない口調で言う。
「だってさ――“綺麗なもの”は、誰かに見つかっちまうもんだろ?」
エトラは一瞬、固まった。
「…………っ」
「……あ、今のセリフ、チャラかった? ごめんごめん! そういうつもりじゃなくて!」
「……いえ……その……」
エトラはそっと笑った。
「……ありがとうございます。
……なんか、今の言葉……すごく嬉しかったです」
---
そしてその日を境に――
エトラは少しだけ、レンジと話す勇気を持つようになる。
彼の前だけでは、ほんの少しだけ“顔を上げる”ようになる。
エトラの最寄り駅まで送っていくことになったレンジ。
電車の時間もちょうどよく、2人は並んで電車に乗り込んだ――
が。
「うわ、人多っ……!」
「……いつもはこんなじゃないんですけど……」
ちょうど帰宅ラッシュにぶつかってしまい、車内はぎゅうぎゅう詰め。
しかも2人の立っているポジションは、運悪く……車両の角、逃げ場なし。
「ご、ごめんなさい……私、動けなくて……」
「だ、大丈夫、俺も……うご……が……」
体勢を崩すレンジ。
そして――
「……っ」
(まって、これ今……当たってるよな!?)
(押し付けられてるぞ!? 胸……柔らかい……スイカ……スイカ2玉セット!?)
(いや違う、これはただの布だ、分厚い制服だ、クッションだ……ああ無理だこれはスイカだ!!)
(見た目地味だけど中身暴力系ヒロイン、ギャップえぐすぎだろエトラさん!?)
エトラはと言えば、顔を真っ赤にして、今にも蒸発しそうな気配。
「ご、ごめんなさい……あの……その……っ」
「い、いや!こっちこそ!今のは不可抗力であって、俺が押したんじゃなくて物理的にこう、群衆の流れっていうかっ!!」
「……わ、私も……恥ずかしいけど……大丈夫、です……」
「いや絶対大丈夫じゃないやつ!!顔まっかだもん!!」
次の駅までの3分間、レンジは全身をこわばらせ、
エトラは俯きながらも、ちらちらと彼の袖を見ていた。
(……やっぱり、優しい人。
さっき助けてくれたときも、今だって……こんなに気まずいのに、ちゃんと守ろうとしてくれてる)
(……だから、ちょっとだけ)
その“ちょっとだけ”の想いが、
エトラの胸に、さらにもう一歩レンジへの気持ちを積み上げることになった。
――翌朝。
いつものようにレンジを迎えに行くミレイ
チャイムが鳴っても起きてこないレンジに、
ミレイは溜息をつきながらインターホンを押す。
「……また寝坊ですか、レンジは。仕方ないですね」
合鍵を渡されているミレイは、当然のように部屋に上がり込む。
靴を脱ぎ、制服のスカートを直しながら寝室へ――
そして、ドアを開けたその瞬間。
「………………なっ」
ベッドの上、レンジは寝ぼけた顔でうーんと伸びをしていた。
その隣には――
カレンが、制服のまま潜り込んで腕枕されて寝ていた。
「…………………………は?」
「ん~……お? ミレイ? おはよ」
「ふあぁ……なに、来てたの? ミレイさん……」
ミレイ、完全にフリーズ。
「ど、どういう、ことですか……っ!?」
カレンは布団の中から半分だけ顔を出しながら、さらっと言った。
「だって最近、ミレイ以外にもアヤノとかエトラとか女ばっかじゃん?
……なんかムカつくし、早い者勝ちってことで」
「いや~……俺は寧ろ良い!大歓迎です!」
「黙っててください!!!」
ミレイの顔は真っ赤。
怒りと困惑、そして――嫉妬。
「も、もう……どうなってるんですか、この家は……!」
「俺にも分かりません!!でも幸せです!!!」
ドカンとスリッパが飛ぶ。
幸せそうな悲鳴をあげて転がるレンジ。
その隣でカレンはくすくす笑いながら、
「ねえ、今日も一緒に登校しよ? あたし、真ん中がいい♡」
「イ ヤ で す」
寝ぼけ気味にレンジが思った
「なんかミレイとカレンがモメてるのが……」
「!?」
この光景になにかがフラッシュバックする
その日の夕方、レンジはまたアヤノの屋敷を訪れた
「レンジさん、今日はどうされました?」
「この前の話、ちょっと教えて欲しいなって⋯」
アヤノは驚いた、
「なんか⋯アヤノは嘘って言ったけど、俺も無関係とは思えなくて⋯、最近は気になって仕方くてな」
アヤノが薄っすら涙を浮かべる
「⋯思い出してはいないんですか?」
レンジは真剣な表情で
「⋯、ああ、だから教えてくれ、アイネス」
アヤノが堪えていた涙が溢れる
翌朝
窓から差し込む、やさしい光。
小鳥の声、紅茶の香り、そして――温かいぬくもり。
目を開けたアヤノは、少しの戸惑いと、深い安堵を抱きながら隣を見る。
そこには、穏やかな寝息を立てる少年の姿。
レンジ――いや、かつての夫・ワイアット。
「……あ、レンジさん……おはようございます」
「ん……おはよう、アヤノ」
伸びをしながら、レンジは小さく笑う。
「なんか、不思議だな。
こうして目覚めるのが、初めてじゃない気がする。……前世の俺とも、こうしたの?」
アヤノは、頬を染めながら俯いた。
そして、ぽつりと――
「……しました……激しく……」
「そ、そうか……俺、やるな」
「はい……優しくて、でも……凄く熱くて……大好きでした」
静かに泣きながら、アヤノはレンジに寄り添った。
そして、そっと口を開く。
「……ありがとう、レンジさん。
私、あなたが誰でも構わないって思ってたけど……
でもやっぱり、心の奥では“あなただけ”を、ずっと待ってたんだと思います」
「ワイアット……私の、愛した人……おかえりなさい」
レンジの中に眠る記憶が僅かに呼び起こされた
その日は寝不足な1日を過ごしたレンジ
夜は早めに寝る予定だった、しかしレンジの家
玄関のチャイムが鳴る。
「……誰だよ、こんな時間に」
ドアを開けると
そこに立っていたのは、満面の笑みを浮かべた――
宝木カレンだった。
「やっほー♡おじゃましまーす♡」
勝手に靴を脱いで上がってくる
「えっ!?ちょ、おまっ、何して――」
カレンがソファーに腰掛け語る
「レンジの事、見てたけどさぁ、最近エトラとずっとイチャイチャしてるのも見てたし〜♡アヤノとエッチしちゃったのも知ってるよ♡」
「!?」
「でもね、不思議と嫌じゃないの。
逆に、“あ〜レンジらしいな〜”って思って……寧ろ、好きかも♡」
レンジが呆気に取らているとカレンは更に続けた
「そしたらさ⋯なんだろ?嫉妬かな?思い出しちゃった♡」
「レンジが、ワイアットだったってこと。
アタシが――ずっと、見てほしかった相手だってことと………ねぇ、レンジ。アタシ、ちゃんと覚えてるよ。あの旅のことも、ワイアットのことも、全部――夢でずっと見てた」
「……アタシ、レンジに“女として”求められたい」
「だってそれが、アタシの“幸せ”だから」
(目を潤ませて、真剣な声に変わる)
「……カレン、お前……」
「ずるいよ、アイネスも、エトラも、ミレイも……
なんでみんな、レンジにあんな顔するの……前世で
一番たくさんイチャイチャしたのはアタシだよね?……またしたいな〜♡」
夜は更けて――
ふたりはそっと抱き合う。
過去のように、未来のように。
「……俺、お前のこと、ちゃんと見てたよ」
「……うん、知ってる。アタシ、幸せだよ……♡」
高校2年生になっての出会いが再び運命の歯車を噛み合わせていく、魂の中に眠る記憶を呼び起こしていくレンジ達
次は
日曜・昼すぎ
レンジの家
ピンポーン。
「……んー、誰だ?」
(玄関を開ける)
そこには、気取らない服装のミレイがいた。
髪も軽く結んで、薄いメイク。
でもそれが一番「素」の彼女を際立たせていた。
「……お昼、まだですよね?」
(コンビニ袋と、タッパーに入った手作りのおかず)
「……来てくれるとは思ってなかったな。ありがとな」
「だって、今日は……“日曜”でしょ?」
(当たり前のようにリビングへ上がり、テーブルに料理を並べ始める)
「はい、食べて下さい、冷めると美味しくないから」
「いただきます……って、うまっ!」
「当然です。何年あなたの弁当を作ってきたと思ってるの」
---
ソファに並んで、テレビを観ながらダラダラ過ごすふたり。
お菓子の袋を分け合い、同じスマホゲームを開き、
時々目が合っては、照れ隠しのように話題を逸らす。
「……私たち、ずっとこうだったよね。
学校でも、放課後でも、家でも……」
(ふっと視線を落とす)
「……でも最近は、アヤノさんも、エトラさんも、カレンさんも来てて。ちょっとだけ、寂しかったんですよ?」
「……」
「……私は、幼馴染ってだけで、
その内構われなくなっちゃうのかなって……思って」
レンジ、ミレイの頭にそっと手を置く
「……そんな訳ないだろ」
「……うん」
しばらくして、2人でうたた寝、
レンジの肩にもたれて眠るミレイ。
呼吸は穏やかで、まるで何年もこうしていたような安心感。
だが――夢の中
そこは、かつての“戦の夜”。
崩れかけた砦の中、
はボロボロになりながらも剣を握っていた。
「我が君……!お願いです、もうこれ以上、無理をなさらないで!」
「……お前の声、何度だって俺を立たせるよ、ミレイナ」
「立て、俺の騎士。お前は――俺の剣だ」
涙をこぼしながら微笑む。
「……はい、我が君」
現実
「……我が君っ!」
隣で漫画を読んでたレンジ、びっくりして振り向く。
「我が君って……。お前、どんな夢見てたんだ?」
「な、な、なんでもないですっ!!」
ミレイは全力で顔を逸らす
「でも、なんか……懐かしい気がしたな……」
(……誰なの? あれは……
でも、確かに私は……あの人を守りたかった。心から、そう思った)
---
ミレイ、胸元をぎゅっと押さえる。
そこにはまだ、言葉にできない“感情”と“記憶”の断片が眠っている。
夕食も一緒に済ませ、自然な流れで夜を迎えた二人。
部屋には心地よい沈黙。テレビも消えて、灯りだけが優しい。
ミレイがそっと
「ねえ、レンジ……今日、泊まってもいいですか?」
---
レンジが少し驚きながらも
「……お、おう。いいけど、急にどうした?」
「なんか、ちょっと……まだ、帰りたくなくて……」
布団を並べて、少し離れて寝る二人
---
夜中・夢の中
――あの夜の戦場、再び
「……お前がいないと、俺は立てなかった。
お前がいたから、俺は“俺”でいられた」
「我が君……私は、剣で在ることに誇りを持っていました」
「でも――あの夜、私は“剣”ではなく、“女”として、あなたに抱かれました……」
「私は貴方の騎士で……貴方の妻でした。
……また、愛してくれますか?」
現実・深夜
「――っ!」
ミレイがはっと目を覚ます
額には汗、心臓がバクバクしてる。
気づけば、心配そうなレンジが横にいた。
「大丈夫か? なんかうなされてたみたいだけど……」
ミレイ、少しだけ震えながら、レンジの胸に顔をうずめる。
そして――
ミレイ(ミレイナとして)
「……また、愛してくれますか?」
「……っ」
「私、思い出したんです。全部じゃないけど……
私は、貴方の騎士で……それ以上に、貴方の“女”でした」
「だから……今度は、“ただの女”として……隣にいてもいいですか?」
---
レンジは少し照れたように微笑んで
「もう、ただの“幼馴染”って顔じゃないな、お前……」
「……じゃあ、今夜だけは」
「“昔の私”として、そばにいさせてください……我が君」
レンジの腕にそっと抱かれたまま、ミレイが顔を上げる。
その瞳は、もう“ただの幼馴染”ではない。
凛とした騎士の面影と、女としての柔らかさが重なっていた。
「……我が君……」
「またそれか。けど不思議と……違和感ねぇな」
「ふふっ……きっと、昔からこうだったからです」
「……いいのか?」
「はい。今の私は、“貴方の女”ですから――」
そして、唇が触れ合う。
そっと、やさしく。
まるで過去をなぞるような――確かに覚えていた“二人だけの合図”。
「んっ……♡」
(ほんの一瞬、吐息が漏れる)
「……思い出すようです……我が君の温もり。
昔も、こうして触れ合った気がします……」
「……お前のその“騎士言葉”、妙にしっくりくるんだよな」
「それはたぶん……貴方が、“我が君”だからです」
(恥ずかしそうに、でも誇らしげに微笑む)
「……これが、“今”の私の恋……
でも、きっと“あの時”の私も、同じ顔で――同じように、貴方に恋してた」
二人はやがて、そっと身体を寄せ合い眠りにつく。
もう、お互いの温もりを疑うことはなかった。
ついに来た――物語の核心、そして“語られるべき真実”の夜。
今まで曖昧だったピースが、アヤノの口から紡がれることでひとつになる。
これはただの告白じゃない。「300年の愛と孤独の証明」だ。
数日後
夜・凪沙アヤノの屋敷
誰に誘われたわけでもないのに、
エトラも、カレンも、ミレイも、そしてレンジも――
それぞれの道を選ぶように、静かにアヤノの屋敷へ集っていた
玄関を開けると、アヤノはそこにいた。
「……いらっしゃいませ。待っていました」
「ここまで来てくれて……ありがとうございます。
今夜、私は全てを話します。
貴方たちに……本当の私を、知ってもらうために」
アヤノ、ゆっくりと微笑んで――
壁の奥から、一冊の古びたアルバムを取り出す。
「私は、かつて“アイネス・メランコリ”と呼ばれていました。
人魚の一族に生まれた存在でした」
「そして、ある旅人たちと出会い――
私は、初めて“愛”というものを知りました」
ページを開くと、写っていた。
ワイアット・クレインと、ミレイナ、カレン、エトラ、アイネスの姿。
旅の写真。
結婚式。
小さな家の中で笑い合う5人の姿。
「これ……」
「全部……私たち……?」
「貴方たちは、生まれ変わったのです。
私だけが、“死ねなかった”。
貴方たちが逝ったあの日から、私は“永遠の孤独”を生きてきました」
「でも……今こうして、また貴方たちと逢えた」
ミレイが震える声で
「じゃあ……私たちは本当に……」
アヤノは涙を浮かべながら、微笑む
「――私の“家族”だったんです。
貴方たちは、私の宝物です。
忘れたことなんて、ただの一度もありません」
レンジは、黙ってアヤノの手を握った。
そして一言――
「……ごめんな。待たせたな」
アヤノ、堪えきれずに涙を零す。
アヤノ「ありがとう……!
ようやく……ようやく、また“家族”が戻ってきました……!」
次回には高校編終わらせたい