第三話 バスタオル
「うん、それじゃ」
通話がてら片手でやってたわりに、ソファ周りは割と片付いた。
だいたいのゴミがペットボトルと栄養ゼリーの空容器で、捨てるのが簡単だったのが早く終わった主な要因だ。
「それにしても……」
僕は自分の領域として分譲されたソファに腰掛けつつ、片付けの際に出たゴミをまとめた袋の方へ目をやった。
「綺羅子はまともな食事をしていないのかな」
冷蔵庫の中にあったのも、救急箱の他はミネラルウォーターと栄養ゼリー、あとはいくつかの薬品のみだった。
綺羅子は料理をするようには見えないけど、それにしたって異常だ。
「……あ、市販品なのかこれ。成分的にも薬じゃないし」
パッケージの名前で検索してみると、普通に通販サイトが出てきた。
その通販サイトの名前も、綺羅子が散らかしていた箱に書かれていたものと一致している。
「珊瑚島向けにしか販売していないのか。見たことないわけだ」
異能力者の中には日常的に特定の薬品が必要になる事例があるとは聞いたことがあった。
だから綺羅子もそうなのかと思ったが、この栄養ゼリーはグラムあたりのカロリーや鉄分が日本で販売しているものよりも高いだけだ。
あるいは、それが重要なのかもしれないが。
「なんにせよ、味が気になるよな」
僕は思い立ち、ソファから立ち上がった。
人の冷蔵庫を勝手に漁るのはどうなの? と倫理観が内側から問いかけてきたが、そもそも僕は法的にここの居住者だ。
予備もたくさんあるようだったし、購入も通常通りできる栄養ゼリーを食べて何が悪い。
それと、単純に空腹なのだ。
まだ片付けの済んでいないキッチンの床を埋めているゼリーの空容器を足で蹴散らし、僕は冷蔵庫の扉を開け、一番手前にあるゼリーを手に取った。
いざ実食。
「……うーん、どうなんだこれは」
普通の飲むゼリー系商品よりは粘度高め。
味は、強いて言えば甘いが、ほとんど味付けなどしていないと伝わってくる。
ブドウ糖にも味ってあったんだなと思い出す。
そんな味。
「こんなの毎日飲んでるのか。よく飽きないなぁ」
「出たぞーって、お前それ……」
「ああ、片付けの手間賃としてひとついただいていっ⁉︎」
誓って言う。
僕は声をかけられたから振り向いただけだ。
まさか、綺羅子が髪も乾かさずにバスタオルを身体に巻いただけの半裸状態で立っているだなんて、思いもしなかった。
「お前それ食ったのかよ。味しねえぞそれ」
「ちょ、ちょっとは甘かったよ。それより君は一体」
「あたしもそろそろ食っとくか」
僕が硬直している間に、綺羅子はずんずんと近づいて来た。
「待っ」
「冷蔵庫。水飲むから。どけ」
目前に接近した綺羅子がぶっきらぼうに命じる。
綺羅子はかなり熱めのシャワーを浴びたらしい。
温かく、鉄錆臭さの混じっていない甘い柑橘の香りが僕の鼻腔をくすぐる。
そりゃ、彼女の単純な肌露出面積はさっき僕が応急処置をした時よりも減っている。
きっと綺羅子の中ではそれで十分身体を隠せているということなのだろう。
だが、お風呂上がりの女子がバスタオル一枚(と、正確には包帯)ですぐ目の前にいてその温度と湿度と匂いが分かってしまうというシチュエーションが、無謀にも冷静になろうとする愚かな脳みそを混乱させ、僕は結果としてその場を退く代わりに冷蔵庫を背にへたりこんでしまった。
「あー、まあそれでもいいか。開けるから頭ぶつけんなよ」
綺羅子は僕のことなどお構いなしに冷蔵庫を開け、中のものを取り出すためにさらに接近。
見上げれば色々見えちゃいそうな気がする。
もはや悲鳴をあげることさえできない。
僕はただ呼吸を止め、鼻先に擦れるバスタオルから何も知覚しないようにただ耐えた。
「そんでお前、明日は何する? あたしは何を手伝えばいい」
「この島を案内して欲しい。事前に調べたけど、事情が違いすぎてよくわからなかった」
「なるほど、任せとけ。じゃああたしはもう寝るけど……お前なんで目をつぶってんの?」
「煩悩を祓うためだよ」
「煩悩……? まあいいけど、お前もさっさと風呂に入れよ。シャンプーとかはあたしの使っていいから。それとタオルケットが一枚あるからソファのとこ置いとくぜ。じゃ、おやすみ」
言いたいことを言い切って、綺羅子はスタスタと歩き去っていった。
「……まさか寝るときは裸とか、そういうことしないよな?」
ようやく目を開けられた僕の脳裏に、祓いきれなかった煩悩が駆け回る。
明日早起きしても不用意に起こしに行ったりはしない、なんて誓いつつ、僕は他の郵便物同様に宅配ボックスに突っ込まれているであろう僕の引っ越し荷物を取りに向かった。
そう、この時の僕は知らなかった。
まさかその晩、綺羅子と同じシャンプーと石鹸で入浴し、更に彼女が用意したタオルケットで寝るせいで、早起きどころか彼女の匂いに想起される煩悩と一晩中戦うハメになるだなんて。
常盤台紗人、およそ十七歳。
本当に今更ながら、いきなり同年代女子と同棲するなど、僕には刺激が強すぎたのだった。
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