第二話 保留
「よし、だいたいこんなところかな」
僕が留流綺羅子の腕に最後の包帯を巻き終わると、彼女は包帯を訝しみ、その視線をそのまま僕の顔へとスライドさせた。
人外じみたクリムゾンレッドの瞳だ。
彼女の黒色に見えた髪もどうやら染めただけで、元々は同じクリムゾンレッドのようだ。
まるで無理矢理ペンキを上塗りした看板のように黒色の下から微かに紅色が透けている。
ちなみにさっきは見つからなかった包帯および救急箱だが、留流綺羅子は冷蔵庫にしまっていたのだった。
見つけられるわけないだろ、そんなの。
「お前、やけに慣れてんな」
「散々やらされてきたからね」
僕がため息混じりに答えると、留流綺羅子は警戒しているのか、じり、と少しだけ離れた。
なお、現在彼女の胴体には彼女自らの手で包帯が巻かれている。
破けた服が隠しきれていなかった露出をカバーする意図のようだが、ソシャゲのハロウィン限定エロミイラみたいな感じになっているのでむしろいやらしさは増しているような気もする。
「でも処置が早かったのは僕の慣れだけが原因じゃない。君の傷は処置している間にほとんど塞がっていた。異能力者の傷の治りが早いのは知っているけど、それにしたって早い」
「あたしのことはどうでもいいだろ」
「僕としてもあんまり探りたくはないよ。けどさ留流綺羅子、僕は君の……」
「あーもうやめろそれ!」
突然怒り出した留流綺羅子が唸る。印象としては、犬かな。
「留流綺羅子、留流綺羅子ってフルネームで呼ぶなよ! キモいしテンポが悪い! あともったいつけたようにネチネチ喋るな! もっとスカッと話せよスカッと‼︎」
「……しかし留流綺羅子」
「綺羅子でいい!」
「親しくない女子を下の名前で呼ぶのは」
「沖縄じゃそれがスタンダードだ!」
鼻息荒く、甘い柑橘と鉄錆の匂い。女子の顔が急接近し、僕は思わず顔を背けた。
「わ、わかったよ……えと、綺羅子、さん?」
「今さらさん付けかよ、いらねーし。呼び捨てにしろ」
「……綺羅子」
「そうだ。どうだ、参ったか」
謎に勝ち誇る留……あ、いや、綺羅子。少しは警戒を解いてくれた、のだろうか。
「で、だ」
どし、と再びフローリングに腰を下ろした綺羅子は胡座に腕組みでふむぅと唸る。
「これからどうすりゃいいんだあたしは。通報はしてないんだよな?」
「してないよ。君を担いでそのままここまで来た」
「担いでって簡単に言うけど……まあいい。異能警察にチクってないならあとはお、お前が」
「君の許婚だ、という点だね。残る問題としては」
変に言い淀んだ綺羅子の代わりに、僕が話を引き継いだ。
「留流家と常盤台家の間で僕らが生まれた頃に行われた取り決め。それが互いの子を縁組する約束だ。対象者は常盤台家三男こと僕、紗人と、留流家の一人娘、綺羅子。十八歳になったら、僕たちは結婚することになっている」
「その話は聞いたことある。母さんから」
でもさ、と区切り、困り顔の綺羅子は続ける。
「十八になったら、だろ。あたしはまだ十七だし……」
「僕はまだ十六歳だ。三ヶ月後、十一月三日に十七歳になる」
「どちらにしたってなんで今来たんだよ。短く見積もってもあと一年あるぞ」
「両方の親のお節介だね。結婚の一年前からお互いを知っておけ、というお達し。だから僕はもうこの部屋に住民票を移しているし、ここの鍵を僕に手配したのは他ならない君の母親だ」
「超がつくうえ大迷惑なお節介だな! だいたい、あたしはまだ結婚なんて認めてないぞ!」
「うん、実は論点はそこなんだ」
「は?」
綺羅子はストレートに疑問を発した。よかった。もしかしたら意見が合うかもしれない。
「綺羅子、君は僕との結婚についてどれくらい知っている?」
「ほとんど何も知らん。許婚の話なんか悪い冗談だと思ってた。お前が今日現れるまではな」
「ということは、最近親とは連絡を取ってない?」
「……まあな」
綺羅子の目が泳ぐ。視線の先には未開封の手紙が何通もぶちまけられていた。
「なら説明しようか」
僕はふう、と息を吐いた。面倒なことになっていそうだが、ひとまず話を前に進めるために。
「実は、許婚とは言っても結婚は確定じゃない。君が嫌だと言えば破談にできる」
「な、一体どういうことだそれは⁉︎」
僕は自分の右耳をつまみ、その耳たぶに何もついていないのを明らかにして、言う。
「なぜなら君は異能力者だけど、僕は異能力者ではないからだ」
「……なるほど、確かにそういう話だった」
綺羅子はうめくように視線を落とした。
その右耳には異能力者に着用義務がある安全管理用タグが光る。
僕は意外にもしんみりとしたその反応に正直面食らった。
「誤解しないでくれよ。僕が言いたいのは」
「だーもう分かってるって」
僕の言い訳じみた二の句を手で制した綺羅子はふー、と長い息を吐き、顔を上げた。
「要するに、約束と違うってことだろ」
「そうなるね」
「ハァ、なるほどなるほど……」
綺羅子は呆れを全く隠さず、後ろに手をついて天井を仰いだ。
「常盤台家は父親も母親も異能力者。そして第一子、第二子も当然異能力者。だからきっと、末っ子も異能力者のはず。すごく理解のある方たちなのよーって母さんはしょっちゅう言ってた。間違いのない結婚だと。だのに、育ってみればお前は無能力者だったってワケか」
「僕が異能力者に慣れているのは確かだよ。君の背中にもきっとある“瞳の痣”も見慣れているし、突然怪我をして帰ってきても応急処置できるし」
“瞳の痣”。
異能力者の背中に必ず現れる、文字通り人間の瞳のような模様の不気味な烙印だ。
「でも慣れているだけだ。無能力者の自分が異能力者の理解者になれるとは思っていないよ。その意味で、君の婚約者としては約束したスペックを満たしていないと自負している」
「……じゃあ、あたしがここでお前と結婚するのは嫌だ、と言ったら?」
「言ったとおりだよ。縁談は破談になり、僕は週末にでも東京に帰る」
「え、マジで? もう引っ越しは済んでるんだよな?」
文字通り目を丸くして驚く綺羅子に僕は首肯する。
「元々の約束を違えていることは僕の親も把握しているからね。僕はダメ元というか、義理で送り込まれたんだ。八月なのも、高校の夏休みで東京に蜻蛉返りしやすいからだし」
「んな無茶苦茶な……まあどうせ母さんが大元の原因なんだろうけど」
斜め下を見て舌打ちをする綺羅子。僕はあえて深入りはせず「で、だよ」と区切った。
「どうする? 本当のところ、僕は君がスパッと断ってくれた方がやりやすいんだけども」
「そんでお前もムカつく言い方しかしないし……」
綺羅子は再び目を伏せ、長いため息を吐いた。
よし、これで破談になるだろう。
自尊心が傷つく予感がするが、それだけだ。
元来、青田買いも真っ青な着地狩り的婚約など、現代日本で成立していいわけがない。
異能力者とかそういうの関係なく、軽く人権侵害だろ普通に。
さて、あとは沖縄本島にでも行って観光を楽しんでから、頃合いを見て破談になったと親に報告しようかな。
ちょうど会いたいやつもいるし。
そんなことを考えていたら「決めた」と綺羅子が呟いたのが聞こえた。
同年代女子に面と向かって「お前と結婚は無理です」と言われる心理的衝撃に備えつつ、僕は続く言葉を待った。
「保留だ」
「は?」
そして実際に続けられた言葉に、僕は思わずストレートに疑問を発してしまった。
「だから保留だよ、保留。返事は、また今度だ」
「断らないのかい?」
「最終的には断る。悪いけど、お前と結婚はしたくない」
「うぐっ」
保留なのにしっかり無理宣告だけはされ、僕は意味がわからない上に心に傷を負った。
「でもまだ確定じゃないぞ。確定させたら、お前はすぐ東京に帰るんだろ」
「ごめん、君の意図が全くわからないんだけど。嫌なら早く破談を確定させてよ」
「駄目だ。あたしはまだ、お前に恩を返していない」
「……」
大真面目だった。
オールドスケバン的異能力者女子は大真面目に、僕の目をまっすぐ見てそう言ったのだ。
恩て。
令和の世で金八先生時代の理論を聞くとは思わなかったな。
「あたしは一応お前に助けてもらってるからな。その恩を返さないと、義理が立たないだろ」
「じゃあその義理とやらで結婚を断ってくれよ。僕を助けると思って」
「あたしも結婚したくないんだ、結婚を断ってもお前に恩を返したことにならないだろ⁉︎」
「なんだよその謎理論」
「お前に恩を返すまではあたしは首を横に振れない。何かやって欲しいこととかないのか?」
「ええ……」
「あたしが得意なことはケンカだ。あと、数日かかるようなやつでもいいぞ!」
今日イチ目をキラキラさせた綺羅子の顔が接近する。
またも柑橘と鉄錆の匂い。
なんなんだこの女。
僕が今まで会ってきた異能力者の中でもぶっちぎりで意味がわからない。
とはいえこのまま硬直していても事態が動かないのは確かなようだ。
「何でもいいの? じゃあおっ」
「でもえっちなのはダメだ」
「……」
それじゃあ八方塞がりじゃないか。
やってみれば分かると思うが、今日会ったばかりの、自分を昭和のスケバンだと思い込んでいる異能力者女子が納得するような頼み事をするというのは意外と難しい。
こういうちょっと暴力的な不良が好みそうなことといえば……。
「じゃあ僕が沖縄にいる間、護衛をしてもらおう」
「護衛?」
「珊瑚島はそこらに異能力者が居て危ないだろ。でも君が結婚を断るまでは僕もここで暮らさなきゃいけない。だから僕を守って貰おう。終了条件は君が満足するとか、まあ柔軟にね」
「なるほど! それならあたしがお前に義理立てできる」
「納得してくれてよかった」
どうやらお気に召したようだ。
要するに雑用係をさせたいだけだが、単純なやつで助かった。
「それで、僕はそこのソファで寝ればいいかな?」
「そっか、お前はここに住むんだった……」
満足げだった綺羅子は散らかし放題のソファを見て一転、今度は露骨に困り顔になった。
眉が上がったり下がったり忙しないな。
「大丈夫、片付けは得意な方なんだ。君は先にお風呂に入りなよ、シャワーくらいは浴びられるよね。傷の手当てを優先したから顔とかまだ血がついてるし、服だって湿ってるだろ」
「片付けてくれんのはいいけど恩が……」
片付け程度で恩判定かよ、と突っ込む言葉は胸中にしまいつつ。
「このくらいで恩を着せたら僕の方が面倒だ。ほらさっさと風呂に入って来なよ。風邪でも引かれたらそれこそまた恩を着せることになりかねない」
「ならいいけど……あ、覗くんじゃないぞ。分かるからな」
「そんな古典的なことしないよ」
僕はイマイチ信用してなさそうな綺羅子の視線を手で払いつつ風呂へと送り出した。
「……さて」
「パンツも嗅ぐなよ!」
「嗅がないよ! 君は僕にどんな変態性癖を想定してんだ!」
脱衣所から顔だけ出してさらに釘を刺してきた綺羅子に言い返すと、彼女はようやく風呂に入り始めた。
バシャバシャと水音が聞こえる。
「いきなり家に来た男を信用しろって方が無理か……」
僕はふぅと息を吐き、片手でソファ周辺のペットボトルをゴミ袋へと放り投げていく傍ら、もう片方の手でスマホを取り出した。
目当ては連絡帳に記録された電話番号。
ふと、昨今はアプリで通話することが多いのに今更電話をかけているのは珍しいよな、なんて思いつつ。
「もしもし?」
「やあ大統領! この番号にかけてくるなんて珍しいですな。でもご安心を。あなたの忠実なるしもべ、フェルナンデスはいつでも準備万端ですぞ!」
「夜なのに元気だね相変わらず。無事沖縄には着いたよ。ただ当初の計画に変更が……」
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