第十二話 こんな島にいられるか!
「よし綺羅子くん、ぱっと見は大丈夫そうだけど、念のため傷の様子を見させてもらうよ。服をめくってくれ。あ、紗人くんは見ちゃだめだぞ」
「い、言われなくても分かってますよ!」
屈辱的な状況ではあったが、僕は素直に椅子を回転させて後ろを向いた。
保健室の壁にある掲示物はこんな島でも僕の知っているものとさほど変わらないようだったが、気になるポスターがあった。
それは異能力者の“瞳の痣”についての啓発ポスター。
丁寧なことに、全部で三回も“瞳の痣”には何の害もなく、触っても病気になったりはしないと解説されている。
だがさらに隣のポスターには異能力者が珊瑚島を出て沖縄本島に行くのには制限があることなどが書かれているせいで、嫌な文脈が読み取れてしまう。
読んでいても愉快な気分にはならなかったので、僕は背後で交わされる会話に耳を傾けた。
「やはり凄まじい治癒力、特異細胞アルファの為せる技だね。これを応用できれば……」
「……なっちゃん先生、その話はもう聞き飽きたって言ったでしょ」
「おっとごめんよ。このあいだ新しい論文が発表されてたからうっかりしてた。お詫びに身体を拭いてあげよう。風邪を引いてほしくもないしね」
「あたしはそんなので風邪引くほど弱くないけど」
「まあそう言わずに。君がびしょびしょだと困る人もいるんだ……よしこんなところか。さ、紗人くん、もうこっち向いていいぞ」
「あ、はい」
僕が身体の向きを元に戻すと、綺羅子はすっかり水気を拭き取られてさっぱりしていた。
これなら比較的安全に見ていられるな、なんて思っていたら、目が合った渡嘉敷夏海が軽くウィンクをしてきた。
気遣いは正直助かるが、なんてムカつく教師なんだ。
「で、君らはこれから何を? もしかして新婚旅行にでも行くのかな」
「行くわけないでしょ。あたしはこいつとは結婚しないから」
「あれ? でもそこの彼は綺羅子くんの許婚だと……」
「許婚は保留中だ! でもあたしは紗人に借りがあるから、その義理でしばらく護衛してあげる約束をしただけ」
「なるほど護衛ね。でもさっきは護衛どころかむしろ綺羅子くんと白鳥との戦いに巻き込んだ挙句、さらにまた紗人くんが君を助けていたじゃないか。彼が命懸けで白鳥の気を引いたから、綺羅子くんは反撃できたんじゃないのか」
「い、言われてみればそうかも……というかなんでなっちゃん先生がそれを知ってんの⁉︎」
「異能警察から映像が共有されてね。綺羅子くんはいつも通り指導でいいけど、巻き込まれていた少年がもし一緒にいるならケアをして、必要なら保護せよと仰せつかっている。つまり綺羅子くんは紗人くんに現在進行形で多大な迷惑をかけているわけだが、彼に何か言うべきことがあるんじゃないかい?」
「えっ、それは、その……」
渡嘉敷夏海に促される形で、綺羅子は僕の方を少し伺うように見て、すぐに目を逸らした。
頬が少し赤くなっているのも分かる。
「ごめん、なさい。助けてくれて、ありがと」
「……まあ、いいけど」
「これであたしはもうひとつお前に義理が」
「だあー! うるさいないちいちいちいち義理、義理って‼︎」
僕は綺羅子が申し訳なさそうに義理と切り出した瞬間、反射的にキレてしまった。
疲れているからだろうか、我ながら沸点が低くなっている自覚はあるがもう止まれない。
「いいか、僕が君を助けたのは何も貸しを作ろうという魂胆じゃないんだ! もちろん許婚としての義務感からでもない! 人間として当たり前に、目の前で死にかけている人間を助けただけ! それを全部義理だなんだと貸し借りで勘定されたら僕もやりにくいだろ!」
「で、でもお前さっきあたしが倒れてた時は許婚だから助けたみたいな風なことを」
「あの時は白鳥に一番“効く”言葉を探してそう言っただけだ。だいいち、僕と結婚しないと宣言しているのは君自身だ。なら僕だってそれを踏まえて振る舞うさ。そこにあるのは人間としての常識だけで、義理も人情も無いんだよ」
隣で渡嘉敷夏海が「ほう、そういうパターンか。青春片恋ロマンスの予感がしたものだけど、なるほどねぇ」などと独り言のようにおちょくってきたが、今の僕にはそんなものに構っていられる精神的余裕は無くなっていた。
「義理が無いって、でもやっぱりあたしとしては借りを返さないと気が済まねえよ」
「なんでそんな頑なに……そこまで言うなら僕にだって考えがあるぞ。君への“貸し”は昨日の治療でひとつ、これは護衛の分。そして今日の騒ぎに巻き込まれて僕が君を助けた分でもうひとつあるってことだよな」
「あ、ああ」
「なら僕の願いをもうひとつ聞いてもらおう、それでチャラになるだろ」
「え、えっちなのはダメだぞ」
「別に言わないよ今更! どうやら君と僕のその辺の感性はズレてるようだからな! わざわざお願いするまでもないね!」
「おいそれってどういう」
「だから君にはこの島を出てってもらうぞ、僕と一緒にな」
「……は?」
僕が“願い”を口にした途端、綺羅子はものの見事に固まった。僕はいったん彼女を放っておき、渡嘉敷夏海の方に向き直った。
「渡嘉敷夏海さん」
「夏海先生でいいよ。どうした、紗人くん」
「じゃあ、夏海先生。綺羅子に島外外出許可証を発行してください。一番短いのでいいので」
先ほど見たポスターには、珊瑚島に住所がある異能力者の外出に所属機関の副所長以上の人間が発行した許可証が必要と書いてあった。
逆に言えば、ここで夏海先生が頷いてくれれば何の問題もない。
そして彼女は今まさに頷いたところだ。
「オーケー、じゃあ明日から一週間になるかな。船の手配もいるよね?」
「お願いします」
「ちょちょちょっと待てって!」
ようやく我に返った綺羅子が慌てて割り込んできた。
「なにあたし抜きで決めようとしてるんだよ! というか島の外に……? いきなりすぎて意味がわからないんだけど⁉︎」
「綺羅子、僕は昨日から今日にかけての一連の出来事を経て分かったんだ。こんな島にいたら、命がいくつあっても足りないって」
「それは、だからあたしが護衛するから……」
「その護衛そのものにこの島で最も危険な人物が付き纏っているからね。僕は安全に日々を送りたいのであって、異能力者との緊迫したチェイス&バトルは求めちゃいないんだ。それに君、僕との護衛契約、ちゃんと覚えているかい?」
「お前がこの島にいる間は護衛する、だろ」
「違う。僕が“沖縄にいる間”だ」
「なっ……!」
「つまり君は、僕がこの島を出て沖縄本島に移動するならついてこなくちゃならないはずだ」
「そんな、騙したのかよ!」
「騙してなんかない。最初から決まっていたことを改めて明言するのに義理を一件“消費”してやると言っているんだ、むしろ良心的じゃないか。というか島の外と言ったって本島まで行くだけだ。同じ沖縄県だろ」
「そういう問題じゃ……」
「まあまあ綺羅子くん。いいんじゃないか、たまの遠出くらい」
なおも食い下がる綺羅子に、夏海先生は諭すように言う。
「紗人くんの言うとおり、この島の方がトラブルには遭遇しやすい。特に今の君は白鳥星河を派手に撃退したことで目立っている。トリプルAに下剋上した、暫定チャンピオンとしてね。物理法則からしておかしい“超重力姫”は無理でも、単に強いだけの“血塗番長”ならワンチャンあるとか、そういう思考の“挑戦者”が群がってきて面倒くさくなるぞ」
「それはそうかもだけど!」
「せっかくの夏休みだ。そういうのとは離れた場所でのんびりしてきなよ。大人になったらそういうの、気軽にはできなくなるんだぞ? それにいい経験にもなるさ。許婚ならなおさら」
ちら、と夏海先生の視線がこちらに向けられた。
最後の方、僕に向けての言葉だったのか?
その答えが出る前に夏海先生が素早くスマホを操作し、次の瞬間には保健室の端の方にある業務用プリンタらしきものが動き出していた。
「というわけで、ほら」
夏海先生はプリンタから出てきた二枚のカードを僕に差し出した。
僕と綺羅子の顔写真がそれぞれ印刷されたカードはプラスチック製だ。あのプリンタは紙以外も出力できるらしい。
「そのカードが許可証兼船のチケットだ。紗人くんもついでに発行しておいたよ」
「僕も外出許可がいるんですか?」
「いいや。もちろん君の外出許可は形式上のものだが、そのカードは船のチケットを兼ねていると言っただろ。別々に発行申請するのも面倒だし、その方が管理がしやすいのさ、色々と」
「うう、本当に島を出るのか、紗人」
綺羅子が僕の袖をそっと引っ張った。
今まで聞いた中で一番弱った声だ。
「泊まるアテはあるのか。お前がどうかは知らないけど、あたしは野宿なんて絶対に嫌だぞ」
「それなんだけど、残念ながらすでに確保しているんだ。偶然ね」
「え⁉︎」
「何も驚くことはないだろ。僕は今週末にでも君に婚約を破棄される想定だったんだ。そうなったら東京に戻る前に、沖縄本島に行くつもりだったのさ。目的は観光と……」
僕はスマホを取り出す。
「友達に会うこと」
親しき中にも礼儀あり、というやつだ。
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