第零話 異能力者たちの楽園
不快指数という言葉をご存知だろうか。
温度・湿度の高さから算出される値で、細かい計算は省略するが、温度・湿度共に高ければ高いほど高くなる。
そして、仮に僕が現在の天候で不快指数を予想するなら“一〇〇”以外ないだろ、と確信を持って言える。
「あっづ……」
ともかく僕は、昼頃にドバドバと降った亜熱帯気候特有のスコールが気体化したむさ苦しい蒸気によって、真新しいアスファルトの上で蒸し焼きになっていた。
「もうちょっとで着く、ハズだけど……」
熱暴走寸前のスマホを見ると、目的地まであと五分、と僕を励ましてくれた。
そうしてダラダラと歩き続け、しっかり五分後、僕は目的地のマンションへと辿り着いた。
見るからに高級そうで、エントランスも豪奢な感じ。本当にここへ踏み入って良いものかと躊躇してしまう。
だが僕は行かねばならない。
部屋の鍵は駐輪場の隅の小型ボックス内に入っているらしい。
なんだか不用心な感じもするが、不動産屋がよく使う手なんだとか。
僕は改めて額の汗を拭いつつ、エントランスから回れ右して駐輪場へと足を向けた。
停まっているのは高級そうな自転車、あるいはバイクばかり。
今日から僕もここに住むのかと思うと、なんだか王族の仲間入りを果たしたような気分がしてきた。
実情は、まあともかくとして。
「扉よ開きたまえ、我こそは正当なる“鍵”の所有者なるぞ、なんて……」
そう、浮かれていた。
だから、なんの気無しに覗き込んだ大型バイクのすぐ隣に血まみれの女子が倒れているのを発見した時……思わず、ため息が漏れた。
「救急車、いや管理人さんか……?」
火照り切った体温の割に冷静な脳みそが僕自身が取りうる行動の予測を声に出させる。
血まみれの人間を実際に見るのは、実は初めてではなかった。
「我ながら嫌になる慣れだな、本当に」
愚痴を言っても始まらないので、ひとまず血まみれ女子の様子を観察してみる。
うつ伏せに倒れているそいつは長い黒髪と同じく黒いセーラー服だ。
更にはひと昔どころじゃないくらい前のヤンキー女のような長いスカートを履いていたらしい。
らしい、と推測形なのは、スカートの元の長さについては文字通り僕の推測だからだ。
長かったであろうスカートは膝上くらいの位置で切り裂かれ短くなっていた。雨と血で赤黒く濡れた腿が露出し、セーラー服もあちこち裂けて血が滲んでいる。
迂闊に関わらない方がいい非日常。
だが僕はそいつの隣にしゃがみ込んだ。
確かめないといけないことがあったから。
死体のように目を閉じている女子の横髪を掻き上げ、右の耳たぶを確認。
「あった」
タグ。
端的にそう表現される小型チップにスマホをかざすと、自動でアプリが起動した。
【名前:留流綺羅子 年齢:十七
不適切な異能力の行使は犯罪です。必要であれば下記ボタンから通報を!】
「名前と、年齢と……やっぱこの子か」
丁寧に確認し、確信する。
まあ“札付き”の時点でほぼ人違いなワケないんだけど。
ふぅ、とため息が漏れる。
ここまでの苦労を労う意味と、ここからの苦労を労う意味で。
「でもまあ、ひとまず警察だよな」
親指をそのまま画面下へ移動させ、当然の対応として通報ボタンを押そうとしたその時、僕の手は青ざめた別の手に、留流綺羅子に、勢いよく掴まれた。
「うわっ⁉︎」
「通報は、するな……!」
弱っているが、その声色から強気が伝わった。
べったりと血に濡れた手は意外にも力強い。
思わず取り落としてしまったスマホがアスファルトに落下しカラカラと滑った。
「通報するなって、すごい血だよ。明らかに事件だし、それ以前に救急車が要るでしょ」
「これくらいなんともねえよ。ツバつけときゃ治る」
「全身唾液まみれにするつもりなのかい?」
「ごちゃごちゃうるせぇな! とにかく、通報は面倒なことになるんだ。こんなのよくあることだし、ほっといて、くれ……」
ばたり。絵に描いたように力尽きた留流綺羅子は再び物言わぬ擬似死体へと戻った。
「……よくあること、ね」
気を失うほどの流血はそんなに深刻な問題ではないらしい。
僕の持ち合わせている常識のどこにもそのような記述はないが、でもまあ、この島ならあり得る、かもしれない。
「とはいえ本当に放っておくのも嫌だな」
数秒悩んだ末に、僕は落ちたスマホをポッケに突っ込み、ちょうど傍にあった小型ボックスから部屋の鍵を取ってから、留流綺羅子を背負い上げた。
気絶した人間を背負うのは思ったよりも大変だと言われているが、僕に関してはそもそも初めてではない。何事も一回目よりは二回目以降の方がうまくいくものだ。
そしてエントランスへと歩く途中、先ほどまで気にしていなかった周囲の音が少し聞こえた。
繁華街の隅、便利だが治安がよいとはあまり言えない幹線道路の傍。
雑踏の声を掻き消すように、車のエンジン音やクラクションが申し訳程度の防音壁を飛び越えて漏れ聞こえる。
それと爆発音。
電気か何かが弾ける音。
少し顔を上げればビームが飛び、制服を着た少年少女が宙を舞い、あっちで発火こっちで放電、謎の巨影にサイコキネシス。
「早く帰りたいな……」
小さな呟きは非日常な日常の雑音に消える。
ここは沖縄県、珊瑚島。
僕のような無能力者には似合わない、異能力者たちの楽園だ。
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