第4話 あなたを守りたい
レイが治癒魔法の練習を始めて、一週間が経った。
最初は光がふわっと出るだけだったけれど、
今はかすり傷くらいなら、
ちゃんと治せるようになったらしい。
「やっぱり才能があるのね」とお母さんが
嬉しそうに言っていた。
その声は、魔法とは違うのに、なんだかあたたかくて、まるで部屋の空気までぽかぽかしてくるようだった。
お父さんは魔物討伐の仕事をしていて、
結界の外に行くことが多い。
いつもどこかに絆創膏を貼っていたり、
腕に包帯を巻いていたりするけれど、
本人は平気な顔で笑っている。
「そのうち、レイにも治してもらおうかな」
そう言って笑ったお父さんの顔は、
たくさん傷があるのに、あたたかいオレンジ色をしていた。
子どもの成長って、
こんなにも誰かを嬉しくさせるものなんだなあ。
まだ歩けないし、喋れないし、
何もできないわたしだけれど――
わたしも、そんなふうに誰かを笑顔にしたいな。
歩いたら、お母さんはどうするかな。
「歩いた!すごい!」って、きっと目を丸くして、
拍手してくれるんだろうな。
そう思うと、胸の奥がちくんとするくらい、
あたたかくなった。
……そうそう、レイが魔法の練習を始めたきっかけは、わたしだ。
あれはちょうど一週間前。寝返りを打とうとして――
わたしにとってはものすごい冒険だったのだけど――
ベッドの柵が外れていたみたいで、
ごろんと落ちてしまった。
おでこに小さなたんこぶができて、
わたしはちょっと泣いてしまった。
びっくりしたし、ちょっとだけ、痛かった。
レイはその瞬間、顔を真っ青にして、
「魔法、魔法、今すぐ覚える!」と叫びながら
家の奥に駆けていった。
わたしをベッドに戻してから、
彼はずっと「ヒール、ヒール!」と呟きながら、何度も杖を振っていた。
きっと、わたしが痛がったのが嫌だったんだろう。
守りたいと思ってくれたのかもしれない。
レイは、わたしのことをすごく大事にしてくれる。
毎朝起きたら「おはようエリィ!」と笑って抱きしめてくれるし、散歩に行くときもベビーカーじゃなくて抱っこをしたがる。
今日もそんな日だった。
「行ってきまーす!」
ドアの向こうから、お母さんの
「気をつけてねー」という声が聞こえる。
お兄ちゃんの腕の中にいると、
世界はいつもよりちょっと高く見える。
それが、すこし誇らしくて、
ちょっとだけくすぐったい。
レイの腕はあたたかくて、しっかりしていて、
揺れ方も心地よくて、うとうとしてしまいそうになる。
でも今日は、外の空がとても澄んでいて、
白い雲がふわふわ浮かんでいた。
わたしは目をぱちぱちさせて、その空を眺めていた。
「今日もいい天気だな、エリィ」
「うー、あー!」
言葉のつもりだったけど、
やっぱりまだ上手く喋れない。
でも、レイはそれで満足そうに笑ってくれる。
「だよなー、俺もそう思う!」って。
しばらくは、いつもと同じ朝の散歩だった。
だけど、森の空気が、ふと変わった。
色が――おかしい。
あかい、赤い、赤い、何かが近づいてくる。
音が消えて、風が止まって、
葉のざわめきもなくなった。
世界が、静かすぎる。
レイの足が止まるのが分かった。
「……結界が……破られた?」
その声が震えていた。
何かが、木の影からゆっくりと現れる。
黒くて、大きくて、赤く濁った目の、魔物だった。
真っ赤な世界。破られた結界。
目の前の大きな魔物。
怖い。怖いはずなのに、不思議と涙は出なかった。
それより――
守らなきゃ。
わたしは、そう思った。
レイを、お兄ちゃんを、守らなきゃって。
ただ、それだけだった。
身体の奥から、何かがあふれ出した。
わたしの胸の中が熱くなって、次の瞬間、まぶしい光が全身からあふれ出た。
レイが目を見開いて、光に包まれる。
風が震えて、木々がきらめいて――
見えない壁のようなものが空気に張り巡らされ、魔物がその“何か”に弾かれるように吹き飛ばされた。
「っ……エリィ……? 今の……魔法?」
レイの声が、遠くに聞こえる。
わたしの中で、何かがすぅっと引いていって、
重たいまぶたを閉じる。
もう、赤くない。
空の色も、木々の色も、全部、もとの世界に戻っていた。
レイの腕の中は、あたたかくて、わたしはそのまま眠りに落ちた――。