第3話 色のある世界
目が覚めるたびに、ここが現実なんだということが、じわじわと心に沁みていく。
信じられない?ううん。もう何日も経って、
その驚きには慣れてきた。
泣けばあやされ、ミルクを飲まされ、
抱き上げられて、寝かしつけられて。
可愛い可愛いと愛でられて。
そうして繰り返される日々の中で、
わたしは“赤ちゃんとしての自分”に
少しずつ馴染んでいってしまっている。
――それが、ちょっと笑えてくる。
前世では、
いじめられっ子の引きこもり女子高生だったのに
今はエルフの赤ちゃんだなんて。
どういう原理かわからないけど、転生ってすごい。
「お母さん! お父さん! エリィが笑った〜!!」
わたしがぼんやりともの思いにふけっていると、
すかさず隣でレイの声が上がった。
エリィオタクのレイくん、今日も絶好調らしい。
この前レイの6歳の誕生日パーティが盛大に開かれ、
誕生日プレゼントにもらった小さな剣を
わたしの隣で毎日のように見つめていて、
「大丈夫!エリィに何かあったら、
お兄ちゃんがこれで守ってやるからな!」
とことあるごとに言ってくる。
うちと、その周りにある小さな森は
お母さんの結界があるから安全だけれど
一歩結界の外に出てしまうと魔物がいるらしい。
そんな小さな体で、そんな小さな剣で
魔物に遭遇したらひとたまりもないと思うのだけど
レイのその顔が6歳にしてはとても頼もしく思えて、
なぜだか本当に大丈夫な気がしてきて安心してしまう。
ある日、ミルクをお腹いっぱい飲んで
すやすやと眠っているいかにも赤ちゃんらしいわたしにレイが言った。
「エリィ、今日は2人で散歩しよう!」
お母さんに抱っこされて家族4人で散歩は何回かしたことはあったけど
レイと2人きりは初めてだ。
前世では異性とデートしたことなんて一度もなかった。
レイは目がクリクリしていて我が兄ながらイケメンだ。
そんなレイとデートだなんて...何を着て行こう?
ふざけて浮かれているわたしに
お母さんがせっせかとケープを着せ、
「家の周りを少し散歩するだけよ。それと、帰ってきたら夕食作りを手伝うこと!」と笑う。
わかってるよ!とレイ。
どうやらわたしと2人で出掛けるために交渉したようだった。
まだ転生して間もないからか、
レイとお父さんとお母さんが
家族だという感覚はあまりない。
まあ普通の赤ちゃんもきっとこうなのだろう。
転生前の赤ちゃんの記憶はないけれど、
ママもパパもなんかお世話たくさんしてくれる人、
みたいな感覚だったんだろうなと思った。
じゃあレイは何なのかというと、わたしのオタクだ。
わたしはレイにこれでもかと愛でられ、可愛がられ、
わたしがお腹が空いて泣くと
「エリィ泣いてる!どうして!かわいそう!」と
レイまで泣き出す始末。
いやお腹空いてるだけだよ、と言いたいけれど
赤ちゃんの防衛本能には逆らえず
さらに大きい声で泣いてしまい
お母さんがそんなわたしたちの様子を見て笑っていた。
転生前のわたしにお兄ちゃんはいなかったけれど、
こんな感覚なのかな...
いや、違う気がする。
「エリィ!お兄ちゃんと冒険だぞ〜!」
自慢の短剣を腰に刺し、
お母さんに作ってもらったサンドイッチと
わたし用のミルクがはいった鞄を持ったレイが
得意げに言う。
わたしはベビーカーのようなものに乗り、
レイがよいしょ、と押す。
異世界でもよいしょって言うんだなあ。
「気をつけるのよ〜!」
「寒いから早めに帰ってくるんだぞ」
「はあい!わかったってばぁ!」
レイと両親の声を聞きながら、わたしは冬の寒空の下
なぜか異世界に来る前のことを思い出していた。
冬に一度だけ、学校へ行こうと外へ出たことがあった。
だけどひさしぶりに出た外の世界はまるで灰色で、
電車に乗る前に帰ってきてしまったんだっけ。
ああ、何で今こんなことを思い出すんだろう。
今日はレイとデートなのに。
今日はエリィにあげたいものがあるんだ、と
ベビーカーを押すレイの声が後ろから聞こえてきた。
風が、揺れている。
ふと、ベビーカーが止まる。
「エリィ、ちょっと待っててね。」
空を飛ぶ小さなドラゴンのような生き物や、
風に揺れる木々を見ていると突然レイが
「じゃーん!」と言って、白くて小さな花かんむりを
パッと出した。
「この花はこの時期にしか咲かないんだよ。エリィにどうしてもあげたかったんだ!」
誇らしげなレイが、
花かんむりをわたしの頭にふわっとのせてくれた。
瞬間、目の前にパッと広がった色に息を呑んだ。
__空気に、色がある。
レイの声が森に響いた途端、
木漏れ日が淡いオレンジに染まったような気がした。
鳥の鳴き声が緑に煌めいている。
レイの笑い声は、春の陽だまりに咲いたばかりの桜のような、はじけるピンクだった
わたし、世界の''色''が見える。
音が、声が、感情が
色になって溢れてる。
それがなんなのかはわからない。
でも確かに見えている。感じている。
胸の奥がざわりとして、でも不思議と怖くはなかった。
なんだか泣きたくなって、
でも食欲も睡眠欲も満たされている赤ちゃんのわたしは
「あー!」と声をあげることしか出来なかった。
それでも、嬉しさと、レイにありがとうの気持ちをめいっぱい込めてもう一度「あー!」と叫ぶ。
「やっぱりすごく似合ってる!エリィかわいい!」
桜色に笑うレイを見ていつの日か、
誰かに笑いかけて欲しいと願ったわたしの心の奥が、ぼんやりとした水色でいっぱいになった。