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⑥話 織田の血と小谷の古寺 前編

1573年の秋


小谷城が燃え落ちた日から数日後のこと。


私と母上様は織田信長の手勢に守られて、近江の小谷城近くの古寺に逃れてた。


古寺の縁側に立つと、琵琶湖の水音が遠くから静かに聞こえてくる。


秋の冷たい風が藍色の着物の袖を揺らして、私の髪をそっと撫でてた。


寺の庭は荒れ果ててて、枯れた草が風にそよいでる。


屋根の瓦は苔むしてて、柱には古びた傷が刻まれ、長年使われてきたことを物語ってた。


小谷城の炎と叫び声がまだ耳に残っていて、心が落ち着かない。


焼け跡からわずか数里のこの古寺は、かつての我が家を遠くに感じさせつつ、逃げ延びた安堵と不安が交錯する場所だった。


朝餉を終えた後、母上様が私を古寺の座敷に呼んだ。


母上様は白い着物を纏って、静かに座っていた。


私もそばに座って、母上様の顔を見た。


昨夜、古寺の外で馬の蹄の音と男たちのざわめきが響いて、何か不穏な気配を感じてたんだ。


母上様はそのことを知ってるみたいで、私に話し始めた。


「茶々、私は浅井家に嫁ぎましたとはいえ、織田信長の妹です。そしてそなたは私の娘であり、兄上様の姪にあたります。仮にも私たちは織田信長と同じ血を引く者です」


母上様が穏やかですが力強い声で申した。


私はその言葉をじっと聞いていた。


母上様の言葉に、小谷城の最後の日々が頭に浮かんだ。


炎に包まれた城、父・浅井長政の姿が遠くに消えていく光景がよぎる。


「母上様、なんで浅井家に嫁いだの?」


私が尋ねると、母上様が一瞬目を伏せた。


そんして、静かに話し始めた。


「茶々、それは兄上様――織田信長の意志です。私は織田家の娘として、浅井長政と政略結婚を結びました。織田と浅井を結び、天下を固めるための一歩です。兄上様は近江を抑え、浅井家を通じて北を安定させるつもりでした。でも、その結びつきは結局、小谷城を焼く火に変わってしまいました」


母上様が言う。


その声には、深い悲しみと諦めが混じってる。


私は息を呑んだよ。


「政略結婚・・・・・・母上様、それで幸せだった?」


尋ねる。


母上様が小さく微笑んだ。


「幸せかどうかは、私には選べませんでしたよ、茶々。浅井長政は優しい人です。そなたの父として、私を大切にしてくれました。でも、それが兄上様の野望に飲み込まれたのです。そなたを産めたことは、私にとっての光です。それだけは間違いありません」


と答えた。


その言葉に胸が熱くなった。


「母上様・・・・・・光って、私のことが?」


母上様が、


「お江やお初も含めて、そなたたちが私の光です」


と優しく言い言葉を続けると母上様の表情は暗くなった。


「その光、いえ、血を欲しがる者が大勢おります」


「え? 私の血? この赤い血?」


って私がまた尋ねると、母上様が小さく笑って首を振った。


「そういう意味とは少し違いますよ、茶々。私たちに、織田家の家臣たちは子を産ませたいのです。そうすれば立身出世が約束され、家が安泰になります。彼らにとって、織田の血はそれほどの価値を持つものなのです」


母上様が静かに説明してくれた。


私は目を丸くした。


「母上様、私まだ子供産めないよ?」


小谷城が焼け落ちたばかりで、そんな遠い未来を考える余裕なんてない。母上様が私の目をじっと見た。


「小さなうちから手懐けて、頃合いを見て自分の子と婚儀をあげ、子を産ませるということです。たとえば、羽柴藤吉郎秀吉はそのようなことを目論んでおります。これから顔を合わせるであろう武将の多くも、同じように考えている者たちです」


と続ける。


その声には、深い警戒と憂いが込められてる。


私は「羽柴藤吉郎・・・・・・」


昨夜の騒ぎが頭に浮かんだよ。


古寺の外で馬を走らせ、ざわめいてたのは彼の手勢だったはず。


小谷城を失った私たちに、そんな思惑が向けられてるなんて、胸がざわついた。


「織田家の家臣がみんなそうなら、前田はどうなの?」


私は尋ねると、母上様の表情が少し和らいだ。


「前田又左衛門利家は違いますよ。そのような手でのし上がることを好まない男です。出世をしたいなら自分自身の腕で、槍働きでつかみ取るでしょう。それに、松という正室が一本筋を持った女です。そのような謀を嫌う二人だからこそ、前田は信頼に値します。茶々にはまだ難しいかもしれませんね?」


母上様が穏やかに言った。


私はしばらく考えた。

「・・・・・・うん。でも、頼るなら前田又左衛門利家ってことだよね?母上様」


って確認すると母上様が頷いた。


「そういうことです。これから私たちは織田家で捕らわれ生きていくことになります。何かあったときは、前田又左衛門利家、そしてその妻を頼ります」


「はいわかりました、母上様」


「外にいる羽柴筑前の手勢と仲良くしてはいけませんよ」


母上様が最後に忠告した。


私は「はい」って即座に答える。


母上様が小さく笑って、


「いい子です」


と呟いた。

その言葉に小谷城を失った後の不安が少し和らいだ気がしたよ。


その日から、母上様の忠告通り、羽柴筑前の家臣たちが古寺に近づこうとする動きが目立つようになった。


服や菓子が次々に運ばれてきたけど、母上様はそれらを一切受け取らなかった。


朝が来るたびに、古寺の周りがざわついてた。


羽柴の手勢が馬を走らせて、何か用があるふりして近づいてくる。


ある日、庭に色とりどりの菓子や布が積まれてるのを見つけた。


私は母上様に駆け寄って、


「母上様、これ、どうするの?」


と聞くと。


母上様がきっぱりした顔で、


「受け取りませんよ、茶々。彼らの手には触れません。それが私たちの生き方です」


「はい、少しもったいないけど、母上様がそう言うなら何か理由があるんだね」


「そうですよ、茶々。これを受け取れば、彼らの思うつぼです。私たちは織田の血を守るためにも、この古寺で自分たちの道を生きるのです」


穏やかに補足した。


私はその言葉に頷いた。


その日から、羽柴の手勢の動きがもっと目立つようになった。


ある朝、古寺の門前に立派な箱が置かれてて、中には綺麗な服が入ってた。


でも、母上様はそれを見ても表情一つ変えず、


「そのままにしておきます」


とだけ言った。


「母上様、こんなにしつこいなんて・・・・・・。ほんとに気持ち悪いね」


「そうです、茶々。彼らは織田の血を欲しがっております。そなたを手にすれば、織田家の力の一部を手に入れたも同然です。それが彼らの野望なのです」


「私、そんな価値あるの?」


「そなたにはまだ分かりにくいかもしれません。でも、織田の血は彼らにとって宝です。だからこそ、私たちは気をつけなければなりません」


と答えた。


その夜、座敷で母上様と二人で過ごしてた時、私はふと思ったんだ。


お初達は侍女達が見てくれている。


「母上様、父上様はどうして戦ったの?」

って尋ねる。


母上様が一瞬目を伏せた。


「茶々、長政は浅井家の誇りを守りたかったのです。兄上様に抗うことは難しいと知りながらも、自分の家を守ろうとしました」


「父上様・・・・・・。母上様、あの日のこと、覚えてる?」


「勿論です覚えておりますよ、茶々。一生涯忘れることはないでしょう。炎が城を包み、そなたを連れて逃げた日です。長政が最後にそなたたちを守れと言った声が、まだ耳に残っております」


「父上様、そんなこと言ってたんだ…。私、聞こえていませんでした」


「仕方ありません。無我夢中でしたものね。でも、私には忘れられません。

そなたを守るために、ここまで来たのです」


優しく言った。


その言葉に、私は少しだけ涙が溢れそうになった。


「母上様、私たち、これからどうなるんだろう?」


って聞いた。

「それはまだわかりません。でも、私がそばにいます。そなたを守ります」


「うん・・・・・・。母上様がいてくれるなら、なんとかやっていけるよ」


「そなたは強い子です。一緒に生きていきましょう」


と微笑んだ。


その夜、古寺の外でまた馬の音が響いた。


私は窓からそっと覗いたけど、暗くてよく見えない。


でも、羽柴の手勢が近くにいる気配がしたよ。


私は母上様に、


「また来てるみたい。ほんとしつこいね」


「そうです、茶々。でも、私たちは彼らの手に落ちません。浅井の血を守るためにも、ここで強く生きるのです」


「はい、母上様と一緒なら、怖くないよ」


答えた。


母上様が私の手を握って、


「そなたがそう言ってくれるなら、私も強くなれます」


古寺の夜は静かで、琵琶湖の水音が遠くから聞こえてくる。


その音に耳を傾けてると、少しだけ心が落ち着いた。


羽柴の手勢が何をしようと、母上様がいる限り、私たちは大丈夫だって、そう思えたよ。



どうにかして私たちに近づこうとしてるその姿を、私は母上様の言葉を思い出しながら見てた。


そう野望を持ってるって考えると、なんかすっごく気持ち悪く思えたよ。


彼らの笑顔の裏に隠された思惑が、私の心に冷たい影を落とした。



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