③⑤話 助け
バキッ!
鋭い音が響き、何か硬い物で殴られたような衝撃音がした。
一瞬、私の思考は止まった。
何が起こったのか理解できぬまま、ゆっくりと目を開ける。
視界の端で、ひとりの男がよろめきながら後頭部を押さえ、そのまま地面に崩れ落ちていくのが見えた。
泥に塗れたその姿が、動かなくなった。
男の背後には、見覚えのある男が立っていた。
風体は人足姿。
泥に汚れた着物に、乱れた髪。
だが、その顔には馴染みがある。
間違いない——宇津呂だ。
彼は手に持った杖を地面に突き、静かに私を見下ろした。
「姫、大事ありませんか?」
宇津呂は私の両脇をそっと支え、ゆっくりと立ち上がらせてくれた。
その手は驚くほどに優しく、どこか懐かしい温もりがあった。
私が安定して立てるようになると、彼は私の着物についた砂を払いながら、静かに言葉を続けた。
その仕草に、私は一瞬だけ安心を感じた。
だが、次の瞬間、疑問が胸を突いた。
「大事ない・・・・・・でも、どうしてあなたがここに?」
私の声は震えていた。
宇津呂は軽く笑い、杖を肩に担いだ。
「懐が涼しくて、ちょっと稼ぎに」
「坊主なのに?」
「はははははっ、坊主とて金がなければ飯は食えませんからな。托鉢は雀の涙。それより、こやつを縛らねば」
彼の笑い声が、緊迫した空気を少しだけ和らげた。
宇津呂は懐から布を取り出し、気絶した男の両手を後ろに回してしっかりと縛り上げた。
その動作は手慣れたもので、ためらいがない。
さらに着物の中を探ると、もう一本の布を取り出し、それをねじって男の口に咥えさせ、首の後ろで結んだ。
「拙者の褌でござる」
「うっ、汚い・・・・・・」
思わず顔をしかめると、宇津呂はいたずらっぽく笑った。
その軽妙さに、私は一瞬呆れたが、同時に彼の存在に救われた安堵が広がった。
その時、足音が近づいてきた。
城の見回りの兵たちだった。
甲冑の擦れる音と、土を踏む重い足音が響く。
「何事か!」
先頭の兵が私の姿を見て驚愕の表情を浮かべた。
その目が、私と倒れた男、そして宇津呂を交互に見つめた。
「城のお方、こやつ姫君を襲った者でございます」
宇津呂が冷静に説明すると、兵たちは慌てて仲間を呼びに走った。
ほどなくして、捕縛された男は連行され、入れ替わるようにして侍女のさつきと、小姓の小太郎が駆けつけた。
「姫、姿が見えないと思ったら、こんなところに!」
さつきの声は焦りに満ちていた。
「さつき、ここは城の中じゃ」
私はそっけなく返したが、さつきは私の言葉を無視するように続けた。
「ですが、今は不用心すぎます。それより、この男は?」
小太郎が宇津呂を睨みつけ、警戒の色を浮かべた。
その目には、明らかな敵意が宿っていた。
私は急いで口を開いた。
「その者は知り合いじゃ。それに、無礼をした人足を退治してくれた」
「なんと、それは失礼いたしました。私はお市の方様付き小姓を仰せつかっている小林小太郎と申します。主に代わり礼を申し上げます」
小太郎が頭を下げると、宇津呂は軽く手を振った。
「なんのなんの」
その気さくな態度に、私は少しだけ笑みを浮かべそうになった。
「助けていただいた礼に、これを」
さつきが紙に包んだ銭を差し出した。
だが、宇津呂は一度遠慮した。
「宇津呂、私の気持ちとして受け取って」
私の言葉に、彼は一瞬目を細めた。
「はっ、姫様がそう仰せなら」
彼は片膝を地面につき、頭を下げて受け取った。
その姿にはどこか気品があり、やはり只者ではないと改めて思った。
そして、私は思わず口を開いた。
「宇津呂、私の家臣にならんか? どうじゃ?」
その言葉に、小太郎とさつきが驚愕した。
「姫様、それは軽々しく言うことではありません!」
「そうです、姫様! いくら助けてくれた恩人でも、どこの者か分からぬ者を家臣にするなど・・・・・・」
「その者は——」
私が彼が浅井家に縁ある者だと言おうとするのを、宇津呂は手で制した。
その目には何か強い決意が宿っていた。
「姫様、ありがたいお言葉ですが、今は・・・・・・いずれその時が来たらお願い申し上げます」
彼の声には迷いがなかった。
城に仕えることができぬ事情があるのだろう。
その言葉を最後に、宇津呂は静かにその場を去った。
彼の後ろ姿が、夕陽に染まる城壁の影に溶けていくのを見送りながら、私は何とも言えない寂しさを覚えた。
壁の修復はその後五日ほど続いた。
職人たちは黙々と働き、城の東側は再び堅固な姿を取り戻した。
だが、その間、私は宇津呂の姿を見ることはなかった。
まるで最初からいなかったかのように、風のように消えてしまった。
彼が本当に人足として働いていたのか、それとも私を助けるために現れたのか、真相はわからない。
だが、私の中では確かに彼の存在が刻まれていた。
味噌団子の温かさ、信長への敵意を共有した瞬間、そしてこの日の救い。
宇津呂は、私にとってただの僧ではない。
浅井の血を慕う者であり、私の復讐心に共鳴する存在だ。
いつかまた会えるような気がしてならなかった。
そして、その時が来れば、彼と共に信長に報いる道を歩むかもしれない。
その決意が、胸の奥で静かに燃え続けていた。




