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③①話 一矢

私が味噌団子を黙々と食べていると、宇津呂の視線が私に注がれているのを感じた。


彼は串を手に持ったまま、じっと私の顔を見つめている。


その目には、何か遠くを見るような、懐かしさと哀しさが混じった光があった。


私は団子を噛む手を止め、眉を寄せて彼を見た。


「私が食べているのがそんなにおかしいか?」


私の声には、少し苛立ちが混じっていた。


見つめられるのは慣れている。


城では、母上様や侍女たちが私の顔を覗き込むことがよくあった。


だが、この僧侶の視線は違う。


何かを探しているような、深い意味が隠されているような気がして、落ち着かなかった。


「いや、これは失礼いたしました。浅井の若殿の面影が懐かしく、見入ってしまいました」


宇津呂は慌てたように頭を下げ、笑みを浮かべた。


その言葉に、私は一瞬言葉を失った。


若殿。


父、浅井長政のことだ。


この僧侶が父を知っていることは、先ほど彼が浅井家臣の家系だと明かした時点でわかっていた。


だが、こうして直接、父の面影を私に見ると言われると、胸の奥に熱いものが込み上げてきた。


「仕方あるまい。親子じゃからの」


私はそう呟き、団子をもう一口かじった。


味噌の濃厚な味が口に広がるが、頭の中は父のことで一杯だった。


小谷城が燃え落ちる前の父の姿は、私の記憶の中でぼんやりとしている。


まだ幼かった私には、父の笑顔も、声も、はっきりと覚えきれていない。


それでも、母上様が時折語る父の話や、浅井の名を聞くたびに、心の奥で何か熱いものが疼く。


そして、その全てを奪った織田信長への憎しみが、再び燃え上がる。


「はっ、そのとおりでございますな」


宇津呂は小さく笑い、串を手に持ったまま私を見た。


その笑顔には、どこか温かさと寂しさが混じっていた。


「そちもさっさと食べよ」


「はっ」


私の言葉に、宇津呂は慌てて団子をかじり始めた。


彼の食べ方は私より早く、あっという間に串が空になった。


そしてまた、私の顔を見始めた。


その視線に、私は思わず声を上げた。


「ええぃ、食べにくいわ」


「お許しを」


宇津呂は頭を下げ、空を見上げた。


その間に、私は残りの団子を急いで口に押し込んだ。


熱々の団子が喉を通り、腹に落ち着く。


宇津呂は店人に声をかけ、湯冷ましを持ってこさせた。


粗末な土器に注がれた水を、彼は一口飲み、私にも差し出した。


私はそれを受け取り、喉を潤した。


冷たい水が、熱くなった体を落ち着かせてくれた。


「宇津呂とやら、腹は満たされた。美味かった」


「ようございました」


彼は穏やかに頷き、串を店先に置いた。


だが、その目が再び私に向けられ、少し真剣な色を帯びた。


「しかし姫、お供を連れずに一人で外に出られたのですか?」


その問いに、私は一瞬言葉に詰まった。


母上様の警告が頭をよぎる。


「城の外に出ようなどとは以ての外」


だが、その警告を無視してここまで来たのだ。


私は正直に答えた。


「そうじゃ、あの小さき城はつまらん」


「はははははっ、そうでございましたか」


宇津呂の笑い声が通りを響かせた。


その声は軽やかで、私の緊張を少しだけ解してくれた。


だが、彼の次の言葉が、その空気を一変させた。


「して、その方はこの地で托鉢をして生活しているのか?」


私がそう尋ねると、宇津呂の笑顔が消え、代わりに深い影がその顔に落ちた。


彼は一瞬空を見上げ、杖を手に握り直した。


そして、静かに口を開いた。


「それがしは織田家に一矢報いるため、今は一向宗徒に手を貸しております。長島の・・・・・・姫様には嘘はつきとうないので話しますが」


その言葉に、私の心臓が跳ねた。


一向宗徒。


長島。


母上様が警戒していた勢力だ。


そして、織田信長が近々攻め滅ぼすと噂されている場所。


だが、それ以上に私の心を揺さぶったのは、「織田家に一矢報いる」という言葉だった。


私は息を呑み、彼をじっと見つめた。


「織田に一矢・・・・・・私もそれは思っていること。安心せい、誰にも言わん」


私の声は低く、だが確信に満ちていた。


信長への憎しみは、私の心の奥深くに根を張っている。


父を殺し、浅井を滅ぼしたあの男を、いつかこの手で討ちたい。


その思いが、宇津呂の言葉と共鳴した。


彼は私の目を見て、驚きと安堵が混じった表情を浮かべた。


「はっ」


宇津呂は小さく頷き、立ち上がった。


その動きには、どこか決意のようなものが感じられた。


「城にお帰りなさいませ。この宇津呂、僭越ながら護衛として送らせていただきます」


「よい、一人で帰れる」


私は即座に断った。


一人でここまで来たのだ。


帰るくらい、どうということはない。


だが、宇津呂は首を振って食い下がった。


「まぁ~そう言わずに、どうかどうかお帰りを。城の外をよい服を着た幼子が歩いているなど、危険にございますから」


彼の言葉に、私は少し苛立った。


幼子ではない。


私は浅井茶々、武家の娘だ。


だが、彼の目には本物の心配が宿っていた。


衣服でゴシゴシと手を拭いた宇津呂は、私の手を優しく握り、椅子から立たせた。


その手は荒々しく、だが温かかった。


浅井を慕うこの僧侶の手が、私を支えていることに、不思議な安心感を覚えた。


その時、遠くから声が聞こえてきた。


「茶々様、茶々様、茶々様いずこでございます?」


さつきだ。


侍女のさつきが、小姓を連れて私を探し歩いているらしい。


その声が近づいてくるのが、夕陽に染まる通りの中で見えた。


私は一瞬、身を隠そうかと思った。


だが、宇津呂が先に動いた。


「姫、お迎えが来たようでございますな。おう、茶々様の侍女か? 茶々様はこちらぞ」


彼はさつきに大声で呼びかけ、私の手を離した。


そして、小走りで細道へと消えていった。


その背中が路地の影に溶けるのを見ながら、私は彼の素早さに少し呆れた。


逃げるのが上手い男だ。


「姫様、心配しましたよ」


さつきが駆け寄り、私の顔を見て安堵の息をついた。


その目は涙で潤んでいるように見えた。


「心配など大袈裟な」


私はそっけなく返した。


だが、さつきの声には本物の焦りが込もっていた。


「無事でようございました」


彼女は私を抱きしめた。


その腕の力強さに、私は少し驚いた。


いつも穏やかなさつきが、こんなにも取り乱すとは思わなかった。


「小太郎、姫をおぶりなさい」


さつきが小姓に命じると、私は即座に抗議した。


「さつき、私は歩いて帰れる」


「いけません。これ以上どこかに行かれては大変。それはそれとして、先ほど誰かといませんでしたか? 姫様」


さつきの鋭い問いに、私は一瞬言葉に詰まった。


宇津呂のことが頭をよぎる。


彼が一向宗徒に手を貸していると告白したこと、信長への敵意を共有したこと。


それをさつきに話すべきか迷ったが、私は軽く首を振った。


「あ~町で知り合った僧だ」


「その様な怪しき者と言葉を交わすなどあってはなりません」


さつきの声は厳しく、私を咎めるようだった。


私は唇を噛み、小太郎の背に背負われた。


強制的に城へ帰ることになり、足が地面から離れる瞬間、複雑な気持ちが胸を満たした。


宇津呂の言葉が耳に残っている。


「織田家に一矢報いる」


私と同じ思いを抱く者が、この小さな町にいた。


それが、私の復讐心に新たな火を点けた。


城への道すがら、夕陽が町を赤く染めていた。


小太郎の背で揺られながら、私は目を閉じた。


味噌団子の温かさと、宇津呂の手の感触が、まだ心に残っていた。


そして、信長への憎しみが、静かに、だが確実に燃え続けていた。



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