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②②話 織田信長との対面・後編

「茶々、座りなさい」


母上様の声が鋭く響く。


その手が私の肩に伸びてくるのが分かった瞬間、私は反射的にそれを払いのけた。


掌が私の肩を掴もうとする感触が、熱く、嫌悪感を煽る。


私は後ずさり、膝の裏が畳に擦れる音が耳に残る。母の手が空を切り、広間の空気が一瞬凍りついた。


「茶々!」


母上様の声が大きくなった。


普段の穏やかな口調とは裏腹に、どこか焦りを帯びた響き。


私は目を細めて母を見た。


怯えたようなその表情に、胸の奥が締め付けられる。


なぜそんな顔をする? 私が立ち上がっただけで、まるで私が何か取り返しのつかないことをしたかのように。


「かまわぬ、好きにさせよ。」


信長の声が低く響く。


私は視線を上げ、その男を見つめた。


上座に座る織田信長。


鋭い目が私を射抜く。


浅井家を滅ぼした男の目。


私は唇を噛みしめた。


爪が掌に食い込む痛みが、私を現実につなぎとめる。


「どうかお許しください。茶々は物事をわかりはじめたばかりで、複雑な心境なのです。知ることは覚えて、物事の善悪、そして武家の生き方、わかっておりませぬ。どうかお許しを」


母上様の声が震えている。


隣に座る御祖母様も口を開いた。


「信長殿、まだ幼子、それに姫、どうかお許しを」


二人の声が重なる。


私は目を丸くした。


立ち上がっただけなのに、まるで私が刀を抜いたかのように母と祖母が懇願している。


閻魔大王に命乞いでもするようなその姿に、私は呆然とした。


なぜそんなに恐れる? 私がこの男に逆らったくらいで、何か恐ろしいことが起こるとでも?


信長が口を開いた。


「二人は何を恐れている? 茶々を斬るとでも思ったか? 流石にこの織田信長、そこまで慈悲がない生き方はしてはおりませぬぞ。父親、そして祖父の敵に媚びへつらう、生きるためにそれをしないとならないこの場を、まだ理解できていない姫、斬らぬ」


その言葉に、私は息を呑んだ。


信長の目が私を捉える。


鋭く、冷たく、だがどこか楽しげに。


まるで私の憎しみを試すような視線。


私は拳を握りしめた。


斬らぬだと? 慈悲だと? 父上様を殺したその口で、よくもそんな言葉を吐けるものだ。


母上様と御祖母様が同時に息を吐く。


「「ありがとうございます」」


二人の声が揃う。


私は耳を疑った。


ありがとう? 何がありがたい? 私は母を睨みつけた。


「何がありがとうございますよ! 母上様、おかしいです。だって父上様達の仇なんですよ!」


声が震えた。抑えきれなかった。


胸の奥で燃えていたものが、言葉となって飛び出した。


広間の空気が一瞬静まり返る。


私は信長を睨みつけた。


あの男が私を見返す。


目が細まり、口元に薄い笑みが浮かぶ。


「いかにも我がそなた達の父親を死に追いやった織田信長じゃ。憎いか? 殺したいほど憎いか?」


その声が私の耳に突き刺さる。


低く、太く、どこか嘲るような響き。


私は一瞬、言葉に詰まった。


だが、次の瞬間、腹の底から熱がこみ上げる。


「もちろん!」


叫んでいた。


喉が震え、声が掠れる。


だが、私は目を逸らさなかった。信長の笑みが深くなる。


「威勢の良い姫だな。昔のお市によう似ておる」


「兄上様、どうかお許しを。ちゃんと言い聞かせますので、どうかお許しを」


母上様が慌てて頭を下げる。


私は母を見た。


なぜ謝る? なぜこの男に頭を下げる? 私の怒りが母に向かう。


「かまわぬ、成長が楽しみだ。ぬははははははははっ!」


信長が高笑いを上げる。


その声が広間に響き渡り、私の耳を劈く。


私は歯を食いしばった。


楽しそうだな、お前は。


父上様を殺して、浅井家を滅ぼして、今度は私の憎しみを玩具にする気か。


信長が立ち上がる。


重い衣擦れの音が近づいてくる。


私は息を止めた。


あの男が私の近くに来て、一度頭に手を置いた。


大きな手。


熱い感触。


私は身体が硬直する。


その手が離れると、信長は廊下へ出て行った。


足音が遠ざかる。


私は動けなかった。


「茶々、ちゃんと言いましたよね母は」


母上様の声が静かに響く。


私は母を見た。


穏やかな顔。


だが、その目には疲れが滲んでいる。


「母上様のその態度、私には我慢できませんでした。父上様達が殺されて、憎くないのですか?」


声が震えた。


涙がこみ上げる。


母が私を見つめる。


長い沈黙の後、母が口を開いた。


「それが武家として生まれた者の定めです。騙し討ちならいざ知らず、正々堂々と戦って負けた以上は受け入れなければならないのです。浅井家の名を汚す振る舞いは金輪際許しません」


その言葉に、私は目を大きく見開いた。


定め? 受け入れる? 父上様の死を、そんな簡単に飲み込めるものなのか。


私は唇を噛みしめた。


「母上様なんて嫌い、大嫌い!」


叫んでいた。


私は広間を飛び出した。


畳を蹴る音が耳に残る。


涙が頬を伝う。


廊下を走り出した。


何がどこにあるかわからない織田の城。


長い廊下が続く。


足音が響き、私の息が乱れる。私はただ、走った。




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