⑨話 松との出会い
しばらくして、庭の方から足音が再び近づいてきた。
今度は一人ではなく、複数の足音が重なり合っていた。
慶次が戻ってきたのだ。
そしてその後ろに、一人の女性が姿を現した。
私は息を呑んだ。
彼女の姿は、母上様と同じくらいの年頃ながら、まるで戦場を駆ける武将のような気迫を纏っていた。
たすき掛けの装束は動きやすく、腰には小太刀を携えている。
髪はきりりと結い上げられ、風に揺れることなく彼女の意志を象徴するように静止していた。
その立ち姿は、まるで一本の槍のようにまっすぐで、揺るぎない強さが感じられた。
女武将という言葉がこれほど似合う人物を、私は初めて見た。
彼女は母上様の前に進み出て、片膝をつき、深く頭を下げた。
「前田又左衛門利家が妻、松。お市様をお迎えに上がりました」
と、力強い声で名乗りを上げた。
その声には迷いがなく、まるでこの瞬間を何度も想像し、覚悟を決めてきたかのような響きがあった。
彼女の言葉は、寺の静寂を切り裂くほど鮮明で、私の耳にしっかりと届いた。
「松、久しいですね」
と母上様が応じた。
声は穏やかだったが、そこには懐かしさと信頼が混じっているように感じられた。
母上様の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
それは、かつての戦友と再会したような、懐かしい記憶を呼び起こす笑みだった。
「お市様、御無事で何より。又左衛門利家は街道の警護の陣頭指揮に立っておりますゆえ、私が信頼できる家臣を連れ、お迎えに参上した次第でございます」
と松は答えた。
彼女の言葉には誇りと責任感が滲み、夫である利家の名を口にするたびに、その背筋がさらに伸びるようだった。
彼女の瞳には、利家への深い敬意と愛情が宿っているように見えた。
「今も勇ましさは変わらぬようで何よりです」
と母上様が微笑むと、松は少し照れたように笑った。
「まぁ〜お市様ったら、私のようなか弱い女子にそのような」
と茶目っ気たっぷりに返した。
その言葉には軽い冗談の響きがあったが、彼女の姿からは「か弱い」などという言葉がまるで似合わなかった。
しかし、その言葉を聞いて慶次が鼻で笑った。
「けっ、何がかよわいだよ、鬼婆」
と小さく呟いた声が私の耳に届いた。
慶次の声は低く、嘲るような響きがあった。
松はそれを聞き逃さず、鋭い目で慶次を睨みつけた。
「何か言いましたか? 慶次、叩きますよ?」
と低く警告する声に、慶次は肩をすくめてそっぽを向いた。
そのやり取りは、まるで長年連れ添った兄妹のような軽い口喧嘩のようだった。
「松、それくらいで」
と母上様が宥めるように言ったが、その声にはわずかな笑みが含まれていた。
この緊迫した状況の中でも、彼らの間に流れる奇妙な信頼感が感じられたからだ。
私もそのやり取りを見て、少しだけ心が軽くなった。
松と慶次の軽妙な掛け合いは、まるで嵐の中の一瞬の陽光のようだった。
すると、松の視線がふと私の方に向いた。
私は思わず母上様の背に隠れるように身を縮めたが、彼女は優しく微笑んだ。
「まぁ〜後ろに隠れている姫は茶々様?」と柔らかな声で尋ねてきた。
その声には、まるで幼子をあやすような優しさが込められていた。
「茶々、この者は信用できます。挨拶を」
と母上様に促され、私は一歩前に出て、緊張を押し殺しながら口を開いた。
「茶々じゃ」
と短く名乗った。
声が少し震えてしまったのが自分でも分かったが、松は気にせず、にこやかに笑った。
彼女の笑顔は温かく、私の緊張を少しだけ解いてくれた。
「前田又左衛門利家が妻、松と申します。これから茶々様方のお世話を致すので、侍女と思って何なりと言ってくださいね」
と彼女は言った。
その言葉は優しかったが、私はまだ彼女を完全に信じきれなかった。
見知らぬこの女武将が、果たして私たちをどこへ連れていくのか。
不安が胸の奥で渦巻いていた。
しかし、母上様が松を信頼している様子を見ると、私もその気持ちに寄り添うべきなのかもしれないと思った。
母上様の瞳に映る確信が、私に少しの勇気を与えてくれた。