宰相の申し出
「急なお話なので戸惑っています」
「それはそうでしょうね」
私はべラルド卿に対して好意的な感情を抱いてはいる。
でもだからといって結婚というと……やはり簡単に決められることではないだろう。
同時に自分が置かれている立場が危ういことも自覚していた。
自らを守るためにはべラルド卿の提案を受け入れるのが得策であることは理解している。
「私は……私はべラルド卿に対して好感を持っています。でもすぐに結婚というのは……」
「では婚約にしましょう。もしどうしても嫌だと思えば婚約を解消すればいいのですから。もちろんその時は私の有責での婚約解消とします。あまり難しく考えず、結婚前提のおつき合いと思っていただければいいかと」
そう言ってべラルド卿は微笑んだ。
「それでいいのでしょうか?」
「もちろんです」
何だか私にとって有利な申し込みのように感じるのだけど、どうなんだろうか。
「あ! 婚約するとして、一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「今後も変わらず図書館でのお仕事は続けていきたいと思っています」
こればかりは譲れない、その覚悟でお願いすればべラルド卿はあっさりと頷いた。
「そのことであればご心配には及びません。ナツメ殿が希望するのであれば結婚後も仕事を続けて構いませんよ」
「でもここでは女性が表で仕事をするのは好まれませんよね?」
「幸いにして我が家にはすでに後継者としてレグルスがいますし、家の仕事は家令が担っています」
そうか。
べラルド家は長く女主人が不在なままだ。
つまり、たとえ公爵夫人がいなくても家の中のことはちゃんと回るようになっている。
そして後継である子を産まなくても問題ないということだった。
……って、今はまだ婚約の段階だけど!
「もちろん、私はレグルスに兄弟がいてもいいと思っています」
そう言ってべラルド卿は艶やかに笑った。
その色気に当てられて私の顔は赤くなっているに違いない。
綺麗な人って恐ろしい!
「それに、公爵夫人が仕事に携わっているという事実は社交界で話題になるでしょう。ひいては今後の女性たちの社会進出にも影響が出る。女性であっても自立できる力を持てるというのは大きい」
先ほどまでの艶やかさがあっという間に影をひそめ、べラルド卿は真剣にそう言った。
「それはつまり、女性にも選択の自由が与えられるということですよね?」
「そうです」
「家長や結婚相手の言いなりにならなくても良いと?」
「当然です。そのためにもまずは家門に固定された仕事を自由に選択できるように変える必要があります。広く門戸を開けば優秀な人材が集まりますし、女性であっても能力さえあれば仕事に就ける」
それはとても素晴らしい考えだけど、凝り固まった考えに固執する人たちを変えるのは容易ではないだろう。
ましてや嫡子の男性にしてみれば今まで楽に手に入れられていた仕事を奪われるかもしれないのだから。
「今までの慣習を変えようとすれば相当な反発が起こりますよ」
「承知の上です。安穏としていて国が良くなるわけではない。今回の聖女召喚の儀で聖女様だけでなくナツメ殿が来られた意味もそこにあるのではないかと」
なるほど。
なぜ今回に限って聖女であるカノンちゃんだけでなく私まで一緒に異世界転移してしまったのか。
その原因はまったくわからなかったけど、そういう考え方もあるんだ。
「わかりました。べラルド卿の申し出をお受けします」
「そうですか! では公爵夫人になっていただけるんですね」
ニコニコと微笑んでそう言ったべラルド卿に私は慌てる。
いや、絶対今わざと言い換えたでしょう!
話の流れ的には婚約するかどうかのはず。
「べラルド卿からの『婚約』のお申し出をお受けします」
私は間違えようのない言葉でもう一度言い直した。
「結婚の承諾をいただけなかったことは残念ですが、それはこれからの私の頑張り次第ということですね。婚約を受け入れていただきありがとうございます。ではさっそく手続きを」
私が心変わりをする隙を与えないようにするためか、とても用意の良いべラルド卿は一枚の書類を取り出した。
「今ここでですか?」
「もちろんです」
まさか婚姻届も用意してあるのだろうか……?
そう思ったけれど、賢明にも私はそのことについて問いかけなかった。
墓穴を掘る気がして仕方なかったからだ。
そうして、私はいつになく上機嫌なべラルド卿を前に自分の選択に一抹の不安を感じながらも書類にサインをしたのだった。
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