救出
運命の時がやってきた。
窓から見える太陽が傾き夕闇がその手を伸ばそうとしている。
与えられた猶予は一日。
その期限が迫っていた。
テーブルの上には書類が一枚とサインをするためのペンが一本。
そしてそれを眺めながら私は椅子に座っている。
当然、書類にサインはしていない。
今日この時までべラルド卿からのコンタクトは無かった。
ウィラー青年がべラルド卿に現状を伝えてくれたのかどうかもわからない。
それでも。
私は絶対にサインしないと決めている。
たとえどんな理由があろうとも、この書類にサインをした瞬間に私の証言は信憑性を失ってしまうから。
例えば『本当に嫌だったら死に物狂いで抵抗するんじゃないか』と聞くことがある。
特に性犯罪の犯人や事件を見聞きした無責任な人の発言で。
力で劣る者が屈服させられる時、恐怖で体が動かなくなることも声が出なくなることも当然あるだろう。
強者の理論を振りかざしてただでさえ傷ついている者の頬を打つような行為。
しかしこの世界でもそれは珍しくない。
むしろ男女平等ではないここではよりその考えが強いとも言えた。
命に比べれば従ってしまった方がいいのかもしれないけれど……従ってしまったら今度は横領の犯罪者。
結局のところどちらを取っても窮地なことに変わりないよね。
今もヴァニタス卿だけなら命までは取られないと思っている。
何だかんだ言っても彼も貴族。
自分の手を汚すようなことはしないしできないだろう。
でもならず者を雇っていたらアウトだ。
彼らは躊躇しないしそれが仕事なのだから。
そんなことを考えていたら、部屋のドアが、開いた。
「ごきげんいかがいかな」
騎士を一人従えてニヤニヤしながら入ってきたヴァニタス卿が開口一番にそう言った。
連れている騎士はウィラー青年ではない。
「そうでうすね、きちんとご飯もいただけましたし、不便はないですね」
「……っな!」
泣きながら縋りついてくるとでも思っていたのか、私の物言いにヴァニタス卿が驚いたような声を上げる。
「ただ、お風呂がないのは残念でした。侯爵家ならお風呂くらい普通に使えるものではないのですか?」
これはもちろん嫌味である。
トルス国においてお風呂はいわば贅沢品だ。
水を運び湯を沸かし、その湯をふんだんに使って湯船に浸かる。
そんなことができるのは金銭的に余裕のある限られた家だけ。
ヴァニタス家はトルス国において高位に位置する貴族ではあるが、毎日お風呂に入れるまでかというと、いささか疑問が残る。
「お前ごときにそんな贅沢をさせるわけがないだろう」
私の簡単な挑発に乗ってヴァニタス卿が不快そうに言う。
ヴァニタス卿を煽るのは怒らせらば怒らせるほど失言しそうな性格だからだ。
「あら。国の財務を思うようにされているヴァニタス卿であれば贅沢なんてお手のものでは?」
「……どういう意味だ」
「家門で国の資金を握っていれば、思うがままですよね?」
にこり、と笑って続ければヴァニタス卿の表情が変わる。
「おかしな言いがかりをつけるな」
「言いがかり……ですか? でも……」
私はテーブルの上の書類を手に取って掲げて見せる。
「真面目で善良な国民であれば資金の横領なんて思い浮かばないと思うんですよね」
ピッと指差したその先は『図書館への資金の割り振りを増やして国の資金を横領しようとしていた』と書かれていた。
「こんな文言が思い浮かぶということは、それが当たり前の状況にいるということでは?」
「ふんっ! 馬鹿なことを。そんなことを言ったところでお前の言葉など誰が信じるものか。この国に長年貢献してきた我が家門とポッと出の聖女様のおまけ。どちらの信用度が高いかなんて言わなくてもわかるだろう?」
ヴァニタス卿が鼻であしらうように言う。
むしろ長年『同じ仕事』を独占してきたせいで問題が起こっているのでしょうに。
そう思いつつ私はあえてヴァニタス卿の注意を書類に引き付ける。
もっと、もっと失言すればいい、そう思いながら。
「でもこの書類って、立派な証拠ですよね?」
「なんだと?」
「今の状況では単なる脅しの道具にしかなっていませんもの」
「馬鹿なやつだ。どうせお前はそこにサインするのだから関係ないだろう?」
「でっちあげの書類に? やってもいないことを認めるサインを?」
「そうだ。実際にお前がやっていなくてもそこにサインしたからには認めたことになる」
ヴァニタス卿ははっきりと言った。
やっていない、と。
その書類がでっち上げであると。
「言質いただきましたよ」
「は?」
私の言葉に疑問を浮かべるヴァニタス卿の背後から大きな物が悲鳴を上げながらドサリッとその足元に倒れてきた。
「きゃあ!!」
「なんだ!?」
驚くヴァニタス卿の足元、そこにはレイラ嬢がうずくまっている。
「レイラ!?」
「たしかに私もこの耳でしっかりと聞きました」
ヴァニタス卿の声に被せるように声が聞こえる。
「我が国では証言もまた正式な証拠として採用していますからね」
開け放たれたままのドアから長身が姿を見せる。
常日頃は瀟洒な服を着こなしているべラルド卿が近衛騎士団の制服を身にまとって立っていた。
「お前は!」
突然現れたべラルド卿に驚いたのか腰を抜かすように尻餅をついたヴァニタス卿が彼を見上げる。
「ヴァニタス家当主とレイラ嬢を、拉致監禁と脅迫、そして横領の疑いで逮捕する。連れて行け」
「何をするんだ!!」
「嫌!」
べラルド卿の言葉をきっかけに部屋の中へと数人の騎士が入って来るとヴァニタス親子を後ろ手に縛り上げた。
「残りの者たちは屋敷の捜索だ。一つの証拠も残らず見つけ出せ」
「はっ!!」
べラルド卿の指示にドアの外の騎士たちが短く答えると屋敷内に散っていった。
目の前で見ていたとはいえ、あっという間の出来事だった。
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫です」
無意識の内にとても緊張していたのだろう。
べラルド卿の質問に答えながら私は気づいた。
手足が震えている。
もしかすると腰も抜けているかもしれない。
「……こちらの書類は回収させていただきますね」
そう言ってべラルド卿は震える私の手から書類を取った。
まるで固まってしまったかのように思うように動かないその手を私は反対側の手で握る。
そして目の前のべラルド卿は部下らしき人へ書類を渡した。
そんな二人をぼんやりと眺めながら、私はべラルド卿の背後へ視線を向ける。
それにしても、自分が来た時にドアを開けっ放しにしておくなんて、ヴァニタス卿はやはり小物感あふれるれる悪党だよね。
だからこそべラルド卿は物音を立てることなく部屋へと入って来れた。
そして鈍いヴァニタス卿は私とのやり取りに集中するあまり彼の存在に気づかなかったのだ。
いずれにしても私の誘拐事件はこれで終わったことになる。
本当、なんでこんなことに巻き込まれなければならないのか。
そんなことを思いながら、緊張の糸が切れたのか私の意識はゆっくりと薄れていったのだった。
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