宰相の戸惑い<ニ> Sideルシウス
聖女と共に降臨した女性は名前を『ナツメ・シンカイ』と名乗った。
トルス国ではあまり耳にしない発音に苦労しながら呼びかけると、彼女はどことなく居心地の悪そうな、少し困ったような顔をする。
「……差し支えなければ名前の方で呼んでいただいても?」
そしてそう希望してきた。
女性を名前で呼ぶ。
それはやはりある程度親しい間柄でのみ許されることだった。
ましてや女性自身から名前呼びを望まれるのは気があるというアピールの一環でもある。
自分で言うのもはばかられるが、トルス国の宰相という立場に立ち、さらには公爵家当主を兼ねる身分のせいかルシウスは女性から秋波を送られることが多い。
年も三十三を数え子どもがいる身でありながら、だ。
結婚した妻は産後の肥立ちが悪く早くに亡くなり、男手一つで息子を育ててきた。
その息子も成人として扱われる十五になる。
子どもはいるもののもう少しすれば独り立ちする年齢であり、さらには容姿端麗で立場のある男というのは結婚適齢期を越えたご令嬢や何らかの事情で再婚相手を求めているご婦人にとっては魅力的な相手なのだろう。
さらにはそんな事情もない適齢期のご令嬢からの話が舞い込むことすらある。
年齢差をものともしない相手というのは、その本人であれ親であれ厄介だ。
そして常日頃そういう女性を相手に交わすことの多い話題だったためか、ルシウスにしては珍しくも歯切れの悪い返答を返すことになる。
「あー……女性のファーストネームを呼ぶのは……」
その言葉に、彼女は思わぬことを言われた、とでもいうような顔をした。
わかっている。
彼女には他の女性たちから寄せられる、良く言えば『好意』であり、悪く言えば『媚び』のようなものはまったく無いのだと。
まるで自意識過剰の反応を返してしまったように思え、きまりが悪く感じた。
「私たちの国では名前で呼ぶことはそれほど珍しいことではありませんので、できればそれでお願いしたいのですが」
含むもののない声で彼女は言葉を重ねた。
「そうですか。ではナツメ殿と呼ばせていただきます」
そう答えたところで侍女のリリアが紅茶と茶菓子を乗せたティートローリーを押して部屋に入ってくる。
そしてお茶を振る舞い、ことの経緯を説明しようとしたところで……またもや問題が発生した。
(一体全体なぜナツメ殿の世界の服はこんなにも布の面積が少ないのか。思えば聖女様のドレスのスカート部分もかなり短かった)
トルス国では女性は長いドレスによって足首までを覆っている。
足を見せてもいい相手は家族や婚約者、結婚相手に限るし、何かしらのアクシデントで足が見えそうになろうものなら男は女性の足が視界に入らないように配慮するのもマナーだ。
聖女を王宮へお連れした時も今ナツメを案内した時も、ある意味非常事態のようなものだったから指摘できていなかったが、いざ落ち着いてみれば目のやり場に困る。
だから。
「気が利かなくて申し訳ない。これを」
そう言って、ルシウスは大判のハンカチを差し出した。
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