大好きなひとに触れるたび、私の手が腐っていく
初めに気づいたのはクリスマス・イヴの時だった。
「ハァハァ……。終わりました! じゃっ、上がります」
「おう。お疲れさーん」
倉庫の仕事を終わらせ、外へ出たのが午後6時。もうすっかり空は暗くて、だけど私の心はあかるく弾んでいた。
もう彼氏なんてできないと思っていた。七年ぶりにできた彼氏に私は心のすべてを奪われていた。
「……あっ?」
左手の中指がなんだか痛いことに気がついた。軽く腫れ上がっているようだ。
「手袋、ほぼ1週間洗わずに使ってるからなぁ……」
待ち合わせの自由猫タマ像のたもとで彼が私を待っていた。ネイビーのオーバーサイズコート姿だといつもよりも背が高く見える。
「待った?」
「今来たとこ」
このありふれたやりとりが楽しい。彼の嬉しそうな笑顔が幸せ。
手を繋いでクリスマス・カラーの彩る町へ一緒に歩きだした。
どこをめざすでもなく、ただぶらぶらと町を歩き、寒さが辛くなったらショッピングモールの中へ入り、ぶらぶらする。彼が隣にいるだけで、言葉を交わすだけで楽しい。
あぁ……
幸せってこれだったんだな。
「痛!」
思わず彼の手を振り払ってしまった。
「ど、どうしたの?」
びっくりしたように聞く彼に、慌てて取り繕うように、笑ってみせた。
「あ……、ごめん。中指が腫れてるの。そこに準くんの指が──当たっちゃって……」
「腫れてるの? 見せて? 裕香ちゃん、頑張り屋だからなぁ……」
彼の手が、私の手を取って、私の左手の中指を、ポッキーでもつまむようにつまむ。
「あぁ……。これ、『ひょうそ』ってやつじゃね? 触ると痛いよね。気をつけるよ」
ポジションを入れ替えた。彼が私の右手を繋ぎ、引き続いてクリスマスの町をぶらぶらした。
私はたまに彼の腕にわざと頭をくっつけて、この幸せを心ゆくまで味わった。
次の朝、起きてみると右手の中指も真っ赤に腫れ上がっていた。
「どうしたの?」
目を覚ました彼が心配そうに聞く。
「あ……。なんでもないよ」
心配させないように、笑ってごまかした。今日は仕事が終わったら病院に行ってこようと決めた。
痛いところにカットバンを貼り、その上から新しい手袋をはめて倉庫作業をした。
帰りに皮膚科へ行った。色黒の怖い顔をした先生が私の指を診ると、泣きそうな顔になって告げた。
「指が腐ってますね」
「え……くさ……?」
「何か最近、指が腐るようなものを手に触れさせた覚えはありますか?」
「ああっ……! 作業用の手袋を1週間洗わずにはめてたから?」
「そんなものでは指は腐りません。何か、動物を飼ってらっしゃるとか、ないですか?」
「いえ、ペットは飼ってません」
「おかしいですね……」
怖い顔のお医者さんが困ったように首を傾げた。
「これはどう見ても、動物に触れることで起こる症状です。愛しすぎていつも触っていると、アレルギー反応のように手が腐ってしまうことがたまによくあるんですよ」
「あ……、アレルギー……」
「心当たりがあるんですか?」
「え……、ええ……」
たぶん……きっと……彼なのだろう。
昨日はずっと手を繋いでいた。
「体の相性が悪いとこうなるんです。膿を出して、抗生物質を出しておきます。辛いでしょうが、その動物とはなるべく触れ合わないようにしてください」
先生にそう言われ、10トンの重りを頭の上に乗せられた気分で病院を出た。
病院を出ると彼との待ち合わせ場所へ行った。準くんはもう来ていて、私の姿を見つけると、いつものように嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
「裕香ちゃん、会いたかった」
「私も……会いたかった」
今朝までずっと一緒にいたのに、10時間離れていただけで寂しさのメーターはフルになっている。私は早速、彼と手を繋いだ。中指が痛むけど、あまりの幸せがそんなもの、我慢させてくれる。
指がぜんぶパンパンに腫れ上がりだした。
ベッドの中でそれを見つめていると、朝日を浴びて彼が目を覚まし、心配そうに聞いてくる。
「どうしたの?」
「な……、なんでもないよっ」
これは非リア充の呪いだろうか? それとも先生が言ったように、私と彼の体の相性の問題?
とにかく彼に触らないようにしなきゃ……。
そう思いながら、夜の薄暗闇の中、隣で眠る彼の愛しい顔を見つめる。
その頬のかたちが愛しすぎて、思わず撫でる。
うじゅうじゅうじゅ、と音を立てるように、私の手がぜんぶ、みるみる腫れ上がった。
……も、いいや。
腐って落ちてしまえ、私の手。
私は彼の大好きすぎる顔を、撫で続けた。