17
その夜、薫は電車に乗って、近くにある居酒屋に向かっていた。今日はここで明日香と飲むつもりだ。まさか、明日香が東京に住んでいて、一緒に飲む事になるとは。思えば、あれから荒谷家はどうなったんだろうか? 栄作もどうなったんだろうか? 知りたいけれど、知る事ができない。帰る事ができないからだ。
薫はその居酒屋の最寄り駅にやって来た。駅に着くと、多くの乗客が降りた。そのほとんどはサラリーマンだ。彼らはとても幸せそうだ。家族がいるからだろう。だが、自分には家族がいない。もう縁を切られてしまった。故郷に帰りたいのに、帰れない。そう思うと、涙が出てくる。だが、どんなに泣いても、過去の罪を逃れる事ができない。ずっとここで暮らすんだろうな。
薫は駅舎から出た。この辺りには居酒屋が多い。薫は辺りを見渡し、約束の居酒屋を探した。ふと、薫は思った。明日香は今まで、どんな人生を送ってきたんだろうか? いつ頃から東京に来たんだろう。そして、恋人はいるんだろうか? もしいるのなら、家族は知っているんだろうか? 普段はどんな生活を送っているんだろうか?
「ここだったな・・・」
薫はその居酒屋の前にやって来た。その居酒屋は、チェーン店ではない焼き鳥屋だ。明日香は時々ここに行くんだろうか? ここはおいしいんだろうか?
薫は時計を見た。約束の時間まであと少しだ。もう少し待っていたら、やって来るだろう。
「薫さん」
薫は横を向いた。そこには明日香がいる。今日のためだろうか、明日香はきれいな服を着ている。
「明日香ちゃん」
薫はほっとした。時間通りにやって来たようだ。
「行こう」
「うん」
2人は居酒屋に入った。居酒屋には何組かの客がいる。彼らの多くはサラリーマンだ。おそらく明日は休みだから、飲んでいると思われる。
2人を見て、店員がやって来た。何人か聞くようだ。
「いらっしゃいませ、2名様ですか?」
それを聞いて、明日香はピースサインを出した。2名だという事を伝えているようだ。
「はい」
店員は2人をカウンター席に案内した。カウンター席の向こうには、店主がいる。一見怖そうだ。まるで栄作のようだ。だが、栄作ほどではない。
2人は席に座った。その席は木造で、温もりがある。
「いらっしゃいませ、お飲み物はどうなさいますか?」
「生中で」
「俺も生中で」
2人とも生中を注文した。どっちも最初の1杯は生中のようだ。
「かしこまりました」
店員は厨房に入った。生中を持ってくるようだ。薫はその様子をじっと見ている。
「薫さん、今でも大将におびえてる?」
その声で、薫は明日香の方を向いた。まさか聞かれるとは。
「うん。まさか会うとは思わなかったよ」
薫は下を向いた。まさかここでも言われるとは。もう思い出したくないのに、忘れたいのに、忘れられない。そのせいで、香川県に戻れない。
「私もびっくりした。でも、わかったんだ。きっと、望くんが薫さんに会ったと知って、ここに来たんだなと」
栄作が突然、東京にやって来た時の事を、明日香は思い出した。まさか、栄作が東京にやって来るとは。約束もしないのに。先日、望が東京にやって来たから来たんだろうと思った。だが、その理由は薫にあって、薫が高松製麺というセルフうどんチェーンの店長だと知ったから、ここに来たらしい。それを聞いて、明日香は驚いた。まさか、東京で薫が働いていて、しかも店長だったとは。
と、そこに店員がやって来た。生中を2本持っている。
「お待たせいたしました、生中です」
店員は、生中を2人の目の前のテーブルに置いた。
「とりあえず、乾杯しよう。カンパーイ!」
「カンパーイ!」
2人は乾杯をして、生中を飲んだ。1週間の疲れが取れる。いい気分だ。
「私、また大将と一緒に働けると思ってるよ」
明日香は願っている。いつの日か、両親や栄作、そして望と一緒に池辺うどんで働き、仲良く過ごしているのを。だが、それはいつの日になるんだろうか? 栄作がいるうちは、かなわないんだろうか? 栄作との絶縁は、どっちかが死ぬまで続くんだろうか? 仲直りしてほしいのにな。
「そっか。それ、望にも言われたんだ」
どうやら望もそれを願っているようだ。望はとても優しいんだな。
「そうなんだ。望くんも考えは一緒だね」
「ありがとう。俺、奇跡を信じるよ!」
薫は少し勇気が出てきた。明日香も、望も応援している。だから、故郷に帰り、一緒に仕事ができるように頑張ろう。奇跡を信じよう。
突然、薫は財布を出した。薫はその中から、1枚の写真を取り出した。明日香はそれを見た。それは、幼いころの薫の写真で、その横には栄作がいる。この頃は幸せだったな。栄作は優しくて、自分の進むべき道を教えてくれた。でも、あの頃の栄作はもう戻ってこない。頑固になってしまった。全部、自分のせいだ。自分が、あんな事をしなければ、こうならなかったのに。どうすれば昔の栄作は戻って来るんだろうか? 答えが見つからない。