12
薫は下を向いていた。どんな事を言われるんだろう。もう何年も会っていなかったけれど、こんな自分を許してくれないだろう。もう戻れないだろう。栄作の顔を見ると、そう思えてくる。
栄作は讃岐うどんをおいしそうに食べている。ただ、不安なようだ。高松製麺のうどんは自分のに比べてそんなにおいしくない。やはり、踏みが足りないようだ。栄作は仕込みの風景を見た事がないが、食感だけでそれがわかった。
「久しぶりだな・・・」
「は、はい・・・」
薫はなかなか舌が回らない。怖い栄作の前だからだ。
「緊張してるのか・・・」
「はい・・・」
栄作にもそれがわかった。縁を切られた栄作の前だ。どういわれるかわからないと思っているようだ。
「お前、頑張ってるようだが、お前には継がせないぞ!」
「・・・、はい・・・」
やはり継がせないと言っているようだ。まぁ、予想はしていたが、やはりだった。もう自分は一生、東京で暮らし、高松製麺の店長として定年まで働くんだろうな。そして、東京で孤独に死んでいくんだろうな。
栄作は黙々と讃岐うどんを食べている。薫はじっとそれを見ている。誰かが讃岐うどんを食べている様子を見ると、幸せな気持ちになる。なのに、今は幸せだと思えない。目の前に栄作がいるからだ。
栄作はあっという間に食べ終えた。薫はじっと見ている。従業員はみんな、その様子を見ている。店長の父、栄作が来たからだ。もう縁を切ったのに、どうして来たんだろう。
「じゃあな」
「はい・・・」
栄作は高松製麺を後にした。薫はその背中をじっと見ている。今度会えるのはいつだろう。もう会えないんじゃないかと思えてくる。
「まさか来るとは」
薫は横を向いた。そこには従業員の井川がいる。春休み中にアルバイトをしている大学生だ。
「驚いた?」
「うん。でも、継がせないって言われてがっかりした」
薫はがっかりした。やっぱり継がせないようだ。きっと、望に継がせるんだろうな。あの子も優秀らしいし、栄作からの支持も絶大だろう。自分には池辺うどんを継ぐ資格なんてないだろうな。だけど、また池辺うどんで働きたいな。
と、井川が薫の肩を叩いた。
「でもいいじゃないか。ここで頑張ればいいのに」
「でも・・・」
それでも薫は落ち込んでいる。池辺うどんを継ぐのが夢だったのに、前科のせいでかなわないままだ。どうしてこんな人生を歩んでしまったんだろう。後悔ばかりの人生だ。だけど、池辺うどんを継げるのなら、これ以上嬉しい事はない。
「そうだね。継ぎたいって気持ち、わかるよ」
「ありがとう・・・」
そしてまた薫は頑張り始めた。その様子を、従業員はじっと見ている。店長はやはり頼りになれる。この人なら、絶対に池辺うどんを継げるだろう。
その夜、家までの帰り道で立ち止まり、薫は月を見ていた。今日は満月だ。きっと薫や望も、同じ満月を見ているだろう。栄作は満月を見て、どう思っているんだろう。きっと、きれいだなと思っているはずだ。だけど、2人は一緒に慣れない。あの時、縁を切られてしまった。でも、もういいだろう。僕は罪を洗い流して、店長になった。とても腕を上げた。だから、もう帰ってきてもいいだろう。この想い、栄作に届くだろうか? いや、届かないだろう。
「父さん・・・」
「父さん、どんな人?」
薫は横を向いた。そこには井川がいる。まさかここで遭遇するとは。どうしたんだろう。
「頑固で、まっすぐで、謙虚なんだ」
頑固な性格なのか。昔の親って、そんな感じなのかな? だけど、その頑固さが素晴らしい讃岐うどんを作るんだな。卒業旅行で四国に行って、その讃岐うどんを食べたいな。きっとおいしいだろうな。
「そうなんだ・・・。その性格が、おいしいうどんを作るんだな」
「そう思うの?」
薫は驚いた。確かにそうかもしれない。頑固一徹に先代からの味を守り抜く。それが昔ながらの池辺うどんの味を継いでいける精神なんだな。
「うん。いかにもおいしいうどんを作りそうな感じ」
井川は感銘を受けた。頑固だけど、味を守ろうとする一生懸命な人。そんな人に自分もなりたいな。
「そっか。それが僕の憧れなんだよ」
「そうなんだ」
井川は自宅に向かっていった。薫は座りながら、井川の後ろ姿を見ている。
その頃、栄作は浅草にいた。せっかく東京に来たのだから、観光地を回らないと。浅草に、銀座、新宿、渋谷の夜景を楽しまないと。今日は浅草にやって来た。
と、栄作はそびえ立つ高いタワーを見つけた。東京スカイツリーだ。まだ建設中だが、いつか行ってみたいな。展望台から見る東京の景色は素晴らしいだろうな。
「これがスカイツリーなのか」
栄作は若いころ、東京タワーに行った事があり、その展望台から見る東京に感動した。東京スカイツリーはもっと高い所に展望台ができるらしい。もっと素晴らしい景色が見れるだろうな。
「すごいなー」
ふと、栄作は薫の事を思い浮かべた。もう忘れたいのに、縁を切ったのに、忘れる事ができない。
「薫は夢を持って東京に行ったのに、どうしてこんな事に・・・」
また機嫌が悪くなってしまった。機嫌が悪かったら、客離れが進むのに。全部薫のせいだ。薫にはもう会いたくない。あんなバカ息子、一生東京にいればいい。
「まぁ、あんな奴、もう知らない!」
そして、栄作は浅草を後にした。もう薫の事は忘れよう。自分は自分の道を歩むんだ。そして、その味を望に受け継ぐんだ。望なら、池辺うどんの味を継承できるだろう。