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明日香と別れた望は、思い出のうどん屋に向かっていた。中学校の修学旅行で食べた高松製麺だ。もう一度食べたいなと思ったからだ。街を行く人々はみんな楽しそうだ。自分もそんな風に都会で過ごしたいな。だけど、店を継がなければならない。だからここに住めない。
望は高松製麺の前にやって来た。それは、あの時と同じ場所にある。懐かしいと望は思った。ここで食べたうどん、どこか栄作を思わせる味だ。どうしてだったんだろう。
「今夜はここで食べよう」
望は高松製麺にやって来た。行列はそんなにできていない。今は混んでいないようだ。望はかけうどんを注文した。いろいろあるけど、やっぱりシンプルなかけうどんが一番だな。
望は会計を済ませると、カウンター席でうどんを食べ始めた。修学旅行ではテーブル席だったが、今回はカウンター席だ。
「思い出すなー、ここで食べた讃岐うどん、なかなかおいしかったな」
と、望のもとに1人の店員がやって来た。男は真剣な表情だ。だが、望は気づいていない。
「ねぇ」
望は振り向いた。そこには店員がいる。店員は緊張している。どうしたんだろう。
「えっ!?」
「君、なんて言うの?」
望は少し戸惑った。初めて会うのに、どうして名前を聞くんだろう。僕は何かをやってしまったのかな?
「池辺望ですけど」
「修学旅行で、ここに来たでしょ?」
望は驚いた。まさか、あの時来た事を覚えているとは。望は少し嬉しくなった。
「来ましたけど、どうして覚えてるんですか?」
「あの時やって来て、気になったので」
だが、望は思った。どうして気になったのか。自分は普通の男なのに。
「どうして気になったんですか?」
「・・・、俺の名前は、池辺薫」
名前を聞いて、望はハッとなった。薫って、まさか、栄作の本当の息子なのか? 婦女暴行事件で逮捕され、栄作とは絶縁状態にある、薫なのか?
「薫って・・・」
「知ってるのか?」
薫は思った。自分の事を知っているとは。まさか、栄作から自分の事を言われたのか?
「大将の本当の息子」
やっぱり知っていたようだ。でも、どうしてこの子は池辺という名字なんだろうか? ただの偶然だろうか? それとも、自分の異母兄弟だろうか?
「じゃあ、君は誰なの?」
「大将の養子。僕が赤ん坊の頃に拾ったんだって」
栄作に養子がいたとは。自分が逮捕された後に、子供を拾っていたとは。だから池辺という名字なんだな。
「そうだったのか・・・」
薫は浮かれない表情だ。栄作の事が気になった。栄作は今でも怒っているんだろうか? まだ許さないと思っているんだろうか?
「どうしたの?」
「俺の事、知ってるか?」
薫は思った。望は自分がとんでもない事をしたのを知っているんだろうか? そのせいで、絶縁状態にあるのを知っているんだろうか?
「・・・、聞いた事があります・・・」
「そうか。全てを話そう。俺は確かに大将の息子だった。高校を卒業して、東京の大学に進み、卒業したら香川県に帰るつもりだった。だが、婦女暴行事件を起こして、逮捕されてしまった。それ以来、父さんとは絶縁状態なんだ」
そんな過去があったのか。だから、栄作とは離ればなれなんだな。すでに出所していて、ここで働いているんだな。将来、店を継ぎたいと思っているんだろうか?
「そ、そうなんだ・・・」
「俺、いつか継ぎたいと思ってるんだが、もう無理だよな・・・。縁を切られたんだもん・・・」
薫は泣きそうになった。どんなに頑張っても、過去が尾を引いて、どんなに頑張っても継ぐことはできないんだろうな。きっと、この子が後継ぎになるんだろうな。
「そんな事があったんだ・・・」
ふと、薫は気になった。栄作は元気なんだろうか? 荒谷夫婦とその子供たちは元気なんだろうか?
「なぁ、父さん、元気にしてる?」
「うん」
元気にしているのか。栄作の事を考えると、また会いたくなってくる。だが、もう縁を切られているから、追い出されるだろうな。
「将来、何になりたいと思ってるの?」
「大将の跡を継ぐ」
やっぱり跡を継ぎたいと思っているんだな。ぜひ、望には頑張ってほしいな。そして、いつか大将と言われるまでに成長してほしいな。
「そっか。君、テレビ番組に映ってたよね」
「見たの?」
望は驚いた。まさか、薫があのテレビを見ていたとは。どういう想いであのテレビを見ていたんだろうか? また帰りたいと思ったんだろうか?
「うん。僕も継ぎたいと思ってるけど、もう無理だよね」
と、望は薫の肩を叩いた。急に何だろう。薫は驚いた。
「あきらめないで! きっとまた帰れるって」
「本当かな?」
「うん。信じて!」
すると、薫は少し笑みを浮かべた。少し勇気がわいてきたようだ。あきらめないでほしいな。
「わかった」
ふと、薫は思った。今日はこの子と一緒に夜を過ごさないかな? そして、これまでの人生を語り合いたいな。
「あのー」
「どうした?」
何か言いたい事があるんだろうか? 望は顔を上げた。
「うち、寄ってかない?」
望は少し戸惑った。本当に寄って行っていいんだろうか? 栄作に怒られないだろうか?
「いいけど。帰るのはあさってだから」
「ありがとう」
とても急な事だが、望は今夜、薫の家に寄る事になった。どんな部屋で暮らしているんだろう。とても気になるな。
望と薫は薫の自宅にやって来た。そこは少し古いアパートだ。何年ここに住んでいるんだろう。出所してからずっとここに住んでいるんだろうか? 栄作の実子がまさかここで頑張っているとは。誰が想像しただろう。
「ここに住んでるんだね」
「うん」
望はこれまでの日々を語った。栄作の息子だと思った日、初めてうどん作りに興味を持った日、栄作の養子だとわかった日、どれも印象に残っているけれど、やはり自分が養子だとわかった時が印象に残っているな。だけど、ここまで育ててくれた栄作こそ父親にふさわしいと思っている。
ふと、薫は思った。また故郷に戻ってうどんを作りたい、後を継ぎたい。でも、栄作は反対しているだろうな。
「どうしたの?」
「あの頃に戻りたいよと思って」
望には、薫の気持ちがわかった。過去の罪はいいから、また故郷で頑張りたいんだな。そして、店を継ぎたいんだな。
「故郷が恋しいの?」
「うん・・・」
突然、望は薫の肩を叩いた。薫は顔を上げた。
「大丈夫。絶対に戻れるから」
「ありがとう」
望は時計を見た。そろそろホテルに戻らないと。終電がある。
「じゃあ、帰るからね」
薫は望の後ろ姿を見ていた。薫は今だに驚いていた。栄作には養子がいるんだな。