ゴブリンと麦畑
「もうイヤじゃ―――――――――ッ!!!!!」どこまでも続く麦畑のどこかからマウスの大声が青い空を突き抜けていった。
大気がビリビリ震えた気がする。
「これがドラゴンロアー」
連なる麦の根元を掻き分けながらユーマは唸った。
「見つかるわけが無いのじゃ―――――――――――――――ッ!!!!!!」
絶叫再び。
ロッテンハイマー南に位置する穀倉地帯。
小麦畑は異常に広かった。
斜面になっているロッテンハイマーの大通りから見る限り、東京ドーム約10個前後。
実際は畝の間に害獣除けの柵などがあるから直線移動はできない。
よって、依頼書にある”小麦畑”という指定区画は、驚きの広さを誇っていたのである。
「ウリウリの気配が消えた・・・・・・」
数分前から数畝先にいたであろうウリウリの動きが感じ取れない。
「え・・・・・・この場所から指輪を探すんですか?」
正気ですか、という言葉こそ発しなかったものの、そういう顔をしていたのが忘れられない。
「赤いトマトのような宝石がついた指輪ねぇ・・・・・・」
異世界に来て、初めてのクエストが指輪探しである。
薬草を取って来いとかよりも地味なのに過酷である。
すでに陽は西の空に傾きつつある。
このままでは夜になってしまうが、いったん帰宅して翌日などというワケにはいかない。
何故なら今どこら辺を捜索していて、翌日にどこから再開すれば良いか分からないからだ。
「夜勤待った無しだな」
夜通し交通整理した想い出が甦る。
あの時は寒かった。
この世界の夜は寒いのだろうか。
「・・・・・・2人はどこ行ったんだ」
落とし物を探していて、仲間たち(仮)が畑で迷子である。
立ち上がり、凝り固まった腰を伸ばして見渡すが、どこにも幼女とシスターの姿は見当たらなかった。
夕陽に照らされ、黄金に輝く小麦畑がそよ風に揺れる絶景が目に入る。
まるで黄金の海原のようだ。
空には夜のとばりがおりはじめ、西の稜線の彼方に陽が沈む。
「へえ、絶景かな絶景かな」
ユーマは詩人では無いので、気の利いた一句など作れぬ。
ただ感嘆の声をもらすくらいだ。
ほほを撫でる風は暖かい。
やがて空には暗幕がおり、星々が瞬き始める。
「知っている星座が無いなぁ」
月の光で白く輝く畝をはい回りながら呟く。
オリオン座も北斗七星も何もかも知らない夜空だった。
「そして、指輪も無い」
いくら月の光で煌々と照らし出されているとはいえ、日中より視界が悪い。
その日中ですら見つからないものが見つかるわけが無い。
「シスター?」
応答なし。
「マウスー?」
応答なし。
「やれやれ・・・・・・」
声の届かない離れた場所にいると思っておこう。
ユーマは割と現実逃避型であった。
静かな麦畑。
さわさわさわ
ときおり通り抜ける風が麦の穂を鳴らす。
異世界というから、もっとこう殺伐としているイメージがあったが、そんなことは無い。
多少変わっているところはあるが、気候も穏やかだし、郊外に出たら怪物に襲われるなんて事も無い。
「いや、たまたま平和な地域なのかもしれないけれど」
あまりにも退屈な物探しで独り言だって言いたくなる。
「しかし、これ絶対見つからんだろ」
たぶん、麦畑の半分くらいは探したと思う。
まだ半分ほどあるが、正直ヤル気が無くなっていた。
「クエストを放棄するとなんだったっけ。なんかペナルティ的なのあったよな」
流されるままに説明を聞いていたのが災いした。
思い出せない。
それほど深刻なことでは無かったと思う。
確か報酬がいくらか減額・・・・・・
「!!」
金目のものに目ざといユーマの顔つきが険しくなる。
お給料というヤツは簡単に手に入らないのだ。
特に下々のものは。
しかも、信じがたいが異世界である。
より難易度は上がるだろう。
ただひたすらに手を動かす。
「あ」
月夜に照らし出された畝と畝の間で何かがキラリと光った。
少し土に埋もれているが、まごう事なき探し物の指輪である。
「確保ッ!」
まさにミニトマトみたいな真っ赤な宝石が特徴的な指輪であった。
サッと手を伸ばして掴む、と同時に麦の間から緑色の腕が伸び、ユーマの腕をガッシリと掴んだ。
こう、ザラザラとした肌触りで低体温な手のひらはひんやりとしていた。
握力が物凄い。
ぎょっとして腕の伸びている本体を見やる。
「ゴブリンだ!!!」
直感というか見た目が、マンガやアニメに出てくる緑色のあいつだった。
「いかにも。某、ゴブリン族が闘s」
「ゴブリンが喋った!!!!!」
半裸のゴブリンが渋めの声で返答。
ユーマは驚き、目を見張りながらも決して落とし物を手放さない。
平和な、とか思っていた数分前の自分をぶん殴りたい。
麦畑のどこかで人語を介する高等かもしれないゴブリンと会敵したのである。
「む! 貴殿も指輪を探しておられたのか!」
「ん?」
「これはかたじけない。某、スゥジゥィヴィー・ロゴ・ヴォヴェルという。一応、冒険者というものを生業にしている」
会敵したゴブリンは紳士であった。
むしろゴブリンが冒険者であった。
「礼儀正しいゴブリン」
すくっと立ち上がったゴブリンは筋肉ムキムキで腹筋なんて6つに割れている。
身長150㎝ほどで思ったより背が高かった。
頭髪は無くハゲ。
横に尖った耳と人参みたいな鼻がキュートなそいつが一礼をする。
「あ、どうも。ユーマです。ええと、冒険者みたいなもんです。たぶん」
腰みの一枚のゴブリンは痩せていた。
細マッチョと言えば耳障りが良いのだろうけど、頬がやや痩せこけているところを見るに食事を満足に摂っていないのであろう。
「こう言ったものは早く見つけた者の成果であろう。失敬した」
ゴブリンがよろよろと疲れた足取りで麦畑の中に消えてゆく。
寂しい猫背に哀愁を感じたわけでは無い。
ゴブリンに興味を持ったわけでは無い。
「待ってくれ。ええと、スゥイジー・・・・・・? シチミィ!」
運命を感じたわけでもない。
それよりももっと重要なことがあった。
「依頼がある!」
「某に?」
ユーマは深く頷いた。
そう、麦畑のどこかで行き倒れているだろうシスターと幼女を探さねばならない。
返事が無いという事は、失神しているか寝ている可能性が高い。
「人探しだ」
イベント会場で行方不明になった人を探すのは極めて困難だ。
麦の穂を人波に見立てたら、もう考えただけで気が遠くなる。
即席パーティーとはいえ、ユーマは律儀な男であった。
「二人ほど行き倒れているので、一緒に探して欲しい。報酬は朝食食べ放題だ」
「心得た!」