トイレの壁から
街並みがミカンジュースをぶちまけたような鮮やかなオレンジ色に染まっていく。 町中散策で歩き疲れたユーマはトイレのドアの中に消えていく。 家ではある。
しかし、トイレしか転移してこなかったので家路につく、というよりトイレ路につく、という意味不明な状態であった。
中にはウォッシュレット付きのトイレが鎮座している。
「結論。日本では無いどこか。だけどヨーロッパ的というよりは地中海の町っぽい・・・・・・」
便座のフタをあげて腰を下ろす。
トイレットペーパーが仕舞ってあった棚には、魔導書風ノートとペン。
「言語は何故か通じるし、聞き取れるっ・・・・・・と」
ペラペラとページをめくり、前回の続きに書き記していく。
「文字はアルファベットっぽいけど、今のところ書けないけど読めはする。こんな感じか」
もちろん、メモ書きでは無い。
今、綴られている文字が本文だ。
あちこちメモで走り書きがしてあるが、時間経過とともに文字が薄くなっていく。
必要が無くなった情報は勝手に消えるらしかった。
ハイテクな便利機能。
「ふんふん。なかなか熱心なの」
姿は見えず、謎の声だけが響く。
某黄色いネズミを彷彿させるようなかわいらしい声である。
「情報収集は攻略の基本・・・・・・ってどちらさま?」
ふと顔を上げるとトイレの壁から美女が生えていた。
そう、上半身だけが壁からにゅっと。
黒い艶やかな長髪に鋭い両目は猛禽類のよう。
白磁のような肌に濃い目の紅がほっぺと唇に入っていた。
化粧が分からぬユーマであったが、どうみても化粧しなれていない感が溢れる。
壁から生えてくるヤツはまともでは無い。
どうせ神の一味であろう。
「ふふん! なかなかやるの人間! うちの名はホマレイサナモリヤチヒロ!! このグラマラスな姿は世を忍ぶ仮の姿!! いわゆるアバター!!」
いわゆる巨乳の前で腕組みをしたまま、早口で自己紹介。
彼女の瑠璃色の目がおもしろそうに笑っていた。
「!!」
早口すぎてユーマには聞き取れなかった。
唯一まともに聞き取れたのが、『アバター』というワードのみであった。
「あ、アバター・・・・・・! 俗物臭がスゴい・・・・・・!」
「ふけーざいなの。まあ初回限定で許してやるの」
思わず漏れた感想に謎の免罪符が切られる。
こういうワケの分からない手合いのあしらい方は簡単だ。
適当に相槌を打つに限る。
「へいへい」
「む!」
口をへの字に曲げるや否や壁をすり抜けて、グラマラスな下半身が現出する。
正統派のハカマに巫女服という出で立ちである。
スッと足を引くと深々と入ったスリットから穿いてない足の付け根がチラ見えする。
HENTAIかもしれん、などと思った瞬間、黒色の下駄(上げ底5㎝くらい)がユーマのすねに襲い掛かった。
「いって! なんだよ」
「ふん!」
蹴って来た方が怒っている。
なんとも言えない理不尽。
「で、ホマレなんとかのアバターさんは何の用でここに? ポイント使用で念じてないけど?」
たいして広くもないトイレの中に男女が見つめ合う。
特に用が無いなら帰って欲しい。
これからトイレに座ったまま寝なければならないのだ。
「ポイント付与に来てやったの。感謝するなの」
無償ポイントは勝手に付与されたが、有償は手渡しなのだろうか。
ユーマは首を傾げる。
「ほう。手渡しとな?」
こりゃ絶対落としたりして紛失するな、などと心の中で呟いた。
「有償ゴッデスポイントが1000付与されました! この調子で頑張りましょう!! なの」
そんな思いはよそにポイントが、手渡されなかった。
「・・・・・・! ピ、ピカ〇ュウ・・・・・・」
グラマラスな見た目からは想像できないような幼い感じの声は、やはり黄色いネズミっぽいアレである。
「む!!」
またもや口のへの字に曲げると足先で脛を蹴ってくる。
「いって! 冗談だよ! かわいい声してんなって・・・・・・いえ、何でもナイデス」
「む!!!」
かわいいと褒めてみても足先が襲い掛かる。
ユーマは嘆息した。
なんだこのメンドくさそうなヤツは、と。
「人間! 名前で呼ぶの!」
口をへの字に曲げたまま、やっと自らの希望を口にした。
名前で呼べという事である。
最初からそう言え、と思わない事も無いユーマは再び嘆息した。
「~~~・・・・・・ええと? ホマレイメ・・・・・・んーー? チヒロ?」
早口すぎて聞き取れなかったアレ。
何となくニュアンスで読み上げてみる。
「むう・・・・・・! もう一度!」
そういえば、近所のポメラニアンの名前がチヒロだったな、などとどうでもイイことが思い起こされる。
「ホマレイ・・・・・・?」
ホマなんとかの下りは正直分からない。
聞き取れなかったからだ。
何回やってもうまく行かない。
「チヒロ」
今度は自称神が妥協した。
短く嘆息すると名前だけを告げる。
「チヒロ」
近所のポメラニアンと同じ名前だね、などとイカれた事は口走らなかった。
ユーマは表向きは紳士であった。
「ん! よきに計らえなの!」
口元がニンマリ満足げに歪む。
「いったい何しに・・・・・・」
心の中だけで呟いたつもりが声に出てしまう。
また不機嫌になるのでは、などという考えは杞憂であった。
「人間・・・・・・じゃなくてユーマ! もっともっと物語を綴るの! そしたらもっともっとポイントをあげるなの!」
「あ、はい」
「そ、それじゃあ、またなの!!」
満足そうにニコニコ笑うと、くるりと身を翻す。
長い髪の毛が風を切り、ユーマの頬を―――シバかなかった。
当たり判定は入っていない3Dよろしく、スッとすり抜ける。
「消えた・・・・・・壁に吸い込まれて・・・・・・実は幻影だったのか」
そして、そのまま壁にめり込むように侵入するとどことなく消えていった。
アバターというよりは幽霊である。
ただ、脛にはジンジンとした鈍い痛みだけが残っていたけれど。