九十三話 強襲
「……遅い」
決まった量に、決まったメニューで作られた食事が、必ず決まった時間に、この天井だけが開かれ周囲が全く見えないテントの中へと運ばれてくるはずであるのに、今日はそれが初めて遅延していた。
ヴァナルガンドは奇妙な男に隠れ里のガルドガルムたちを殺され、人族に憎悪を抱きながらも、主人と認めた恭介に再会できることを待ち望んでいた。
このよくわからない場所で、定期的に運ばれる食事をきちんと摂り、定期的に目隠しをされて連れ出され運動をさせられる日課は、囚われたあの日から欠かすことのないルーティーンにさせられていた。
それが今日、初めて遅延した。
「……あの老人に何かあったのであろうか」
いつも食事を運んで来る老人のことを、ヴァナルガンドは嫌いではなかった。
彼は人族にしては聡明であり、そして自由の効かないヴァナルガンドの唯一の暇つぶし相手でもあったからだ。
食事のあとは彼と話すのが最近のヴァナルガンドの楽しみでもあった。
その彼が、今日は来ない。
「……我が囚われてから、ひと月近く、か。恭介さまは無事でおられるだろうか」
ヴァナルガンドは主人の安否を憂いていた。
出来ることなら一日でも早く、ここから抜け出して恭介のもとへ駆け付け、チカラになりたいのだ。
しかし。
「……これが、な」
大きな腕輪が、ヴァナルガンドの四肢の四箇所に取り付けられていた。
これは、このテントから離れた瞬間に爆ぜる魔道具。
強引に抜け出せば、これによって四肢を失うことになる。
アークラウスは最悪の場合、ヴァナルガンドの手足をもぐことになろうと、殺すことなくここに束縛し続けておかなければ、と考えた結果、こうした。
これさえなければ、ヴァナルガンドはここを抜け出すチャンスがいくらでもあったのだ。
今はここから逃げることが適わない。
だからヴァナルガンドは機会を待ち続ける。
ヴァナルガンドも聡明な六頭獣だ。急がば回れ、を心得ている。
長年待ち焦がれたワイトディザスターの生まれ変わりがついに現れたのだ。
彼と共にこの世界を生きるために、今しばらく、耐え忍ぶ。
●○●○●
「メイドたちは全員、中庭の地下シェルターへ急げ! それとシルヴェスタに緊急事態を伝えろ!」
アークラウスが声を荒げる。
「っち! クソッたれが、派手な魔法をぶっ放しやがって! ジェネちゃん、ミリアちゃん、無事か!?」
「この程度の魔法など、痛くもかゆくもありません!」
「私もへーきだよ! イニエスタさんの合図のおかげで魔法障壁が間に合ったから!」
危険な気配を察知したイニエスタが、瞬時に声をあげて攻撃が来ることを知らせたおかげで被害者は出なかったが、アークラウスの館、1階の応接間は攻撃魔法による謎の強襲によって、ボロボロに破壊されてしまっていた。
そしていまだに応接間の外から放たれる攻撃魔法は止む事なく、次々と館内を攻めてくる。
それをミリアの魔法障壁がなんとか防いでいた。
「アークラウス! 理由はわからねぇが、この襲撃は誰かが意図してやってるもんだ! だからおめぇもメイドたちと避難しとけ! ここは俺様たちがなんとかする!」
「申し訳ない、イニエスタ王。俺にはなんとしても守らねばならないものが館内にある。まずはそれらを回収して、避難します」
「そりゃあ、俺様たちにとっても重要なもんか!?」
「ええ、間違いなく」
「そうか、わかった。だが集合場所はどうする!?」
「中庭の小屋で避難しています。もし、そこに居なければ、美味いワインが飲める場所で」
「オーケーだ! じゃあ行け!」
「すみません、失礼します」
アークラウスはペコリ、と会釈し館の中央部に伸びる廊下へと消えていった。
「イニエスタ! 前!」
ジェネが叫んだ。
「うぉッ!?」
雨の様な攻撃魔法の合間を縫って、鋭い剣線がイニエスタへと襲い掛かる。
「っく!」
ガギンッ! と、いう金属音。
ジェネの声によっていち早く反応できたイニエスタは、足元に転がっていた愛用のバスタードソードで素早くそれを受けきる。
「誰だ!? なんで俺様たちを襲う!?」
「……まさか本当にあんただとは! 俺とアイツの見間違い、聞き間違いじゃねぇのかよ、クソがッ!」
剣を振るってきた強襲者のひとりは、そう声を荒げた。
「シリウース! 魔法をやめろ! 障壁がある! それとアンデッドは部屋の右奥の隅だッ!!」
「わかりました! では僕はそちらへ! ペルセウスさんはここをお願いします!」
外で魔法を放っていたシリウスは、魔法攻撃をやめ、破壊された壁から館内部へ入り込んだ。
「おめぇら何者だ!? この俺様をサンスルード王国の王、イニエスタ・サンスルグとわかっての襲撃か!?」
「俺はそうじゃなければいいと思っていたのに、本当に残念だったぜ! 会話は全部聞かせてもらってる! 国家反逆罪の魔法師の女を庇いだてするだけに飽き足らず、アンデッドを街中に入れ、更には魔王の少年の軍門に降るという体たらくッ!!」
ペルセウスは両手で大剣にギリギリと力を込める。
イニエスタはそれを片手で持つバスタードソードで、抑え込む。
「ってことは、おめぇらアドガルドの兵士か!? そんな少人数で俺様たちを襲うたぁ良い度胸じゃねぇかッ!」
イニエスタが少し力を入れて、ペルセウスの大剣ごと、薙ぎ払って吹き飛ばした。
「っうぐ! く! さ、さすがは王の中でも最強の剣術士と言われるイニエスタ王。この俺の剣をいとも容易く弾くとは……ッ!」
「おめぇもかなりのもんだぜ。この俺に冷や汗を欠かせた剣の使い手は、ニコラスの次におめぇだ」
ペルセウスとイニエスタは互いに剣を構え直し、隙を窺い合う。
(クソッ、煙幕状の魔法も放ってやがったのか。周囲の状況が全くわからねぇ!)
イニエスタは辺りを見回すが、ジェネの姿もミリアの姿も見当たらない。
(レオンハートとフェリシアは異空間の中だ。あそこじゃいつ、外に出てくるかわからねぇ……)
状況は全くもって、暗礁に乗り上げた、といった感じであった。
「おい! なんで俺様たちを襲う!?」
「何を言ってんだ? あんたが人族を裏切る様な行為をしてるからだろうが!?」
「……まぁこの状況じゃそうにしか見えねえか。しかしアドガルド兵士は実に働きもんだぜ。さっきも魔法師団がやられたばかりだってのによ」
「勘違いしてるようだから言っとくが、俺たちはアドガルドの兵士じゃねぇ。この俺はミッドグランドの兵団『シューティングスター』の隊長を務めるミッドグランド最強の剣士、剛腕のペルセウスさまだ!」
「……おお、そうなのか? 名乗ってくれてサンキューな!」
「ちなみに今、アンデッドの方へ向かって行ったのは準一級魔法師のシリウスだ。この俺の可愛い部下だぜ!」
ペルセウスが大きな声でそう説明すると、
「馬鹿ヤローかあんたは!? 自ら身元明かしてどうすんですか!? そういうのは黙っときゃいいんですよ! この馬鹿隊長!」
魔法による煙幕で姿は見えないシリウスが、半狂乱気味に怒りながら返事をしていた。
「はっはっは! 俺は戦う時、名を名乗らない様な卑怯者にはなりたくない!」
そう大笑いするペルセウスの言葉に、煙幕の向こうから「死ね! クソ馬鹿!」というシリウスの怒鳴り声がしばらく続いた。
「……おい、おめぇ、ペルセウスとか言ったな?」
「おう! なんだイニエスタ王!」
「俺様ぁおめぇみたいな愚直なタイプは嫌いじゃねぇ。だからよぉ、俺様の話を聞いてみる気はねえか?」
「話、だと?」
「ああ。おめぇら、ミッドグランドの兵団なんだろ? それがこのアドガルドにいて、魔王の少年の話を知ってるってことは、おめぇらミッドグランドはアドガルドと手を組んだってことなんだろ。ここにいる理由は、サンスルードへ攻め込む前準備ってところか?」
「うおお……!? あ、あんた、人の心が読めんのか!? その通りだぜ!? 俺でもそこまでしゃべってねぇし、サンスルードへ秘密裏に大軍で深夜に奇襲を掛けるなんて話は、まだ誰にも言ってねぇんだぞ!?」
「大馬鹿ヤロー! それ以上あんたはしゃべんなぁーッ!!」
シリウスが煙の向こうで、更に叫んだ。
「くはは……! やっぱりか」
イニエスタは苦笑いしながら返事をする。
「さ、さすがは王様だぜ……俺の顔を見ただけでそこまで分かっちまうとはなぁ!!」
「死ねッ!!」
ペルセウスの言葉にシリウスが怒鳴り声で叫んだ。
イニエスタは少し、考え込む。
おそらくこの者らはニコラス王の命令でここに来ている。
となると、このアドガルドにニコラスも必ず来る。
もしこのまま次にニコラスと顔を合わせれば、前回の威嚇程度の斬り合いなどではなく、間違いなく本気の殺し合いになるだろう。
出来るならそうはなりたくない。
理由は二つあった。
ひとつは本気のニコラスがガッチリ準備をして戦いの場に現れた場合、イニエスタ率いるサンスルード王国は万にひとつも勝ち目は皆無であること。
そしてもうひとつは――。
「……俺様はおめぇらの国とは喧嘩したくねぇ。だから、俺様の話を聞いちゃくんねえか?」
「さっきも言っていたなイニエスタ王! いいぞ、俺はあんたの話を聞こう! 弱者、反逆者の弁もしっかりと耳を傾けることこそが頼れるリーダーという者だからな!」
「お、そうか!」
「ニコラス王様も、本心ではあんたと……イニエスタ王と、争いたくはないはずだろうしな!」
ペルセウスはニカっと笑う。
(……そうか、コイツは知ってやがんのか)
イニエスタはすぐに理解した。
イニエスタがニコラス・シャルル三世と争いたがらないもうひとつの理由。
それを知っているのだ、ということに。
「ニコラス王様も、実の弟をその手には掛けたくないだろうからなッ!」




