六十二話 激震の少年
「……そうか、どうしても私たちの言う通りにはしないつもりか」
カシオペアは残念そうに、小さくひとつため息を吐いた。
「では、まず手始めにこのアンデッド、エルモア、とか言ったな。コイツに精神汚染の技法をかけさせてもらおう。このアンデッドが苦しむ姿を見れば貴様も大人しくならざるを得まい」
カシオペアは、エルモアを拘束している衛兵たちに合図を送る。
『『『恭介さまッ!!』』』
同時に恭介の中のアンデッドたちが一斉に声を上げた。
「わかってるッ!! ≪マインドブースト!≫」
恭介の脳が加速。全ての景色がスローになる。
加速した世界で、誰よりも早くエルモアのもとへと走り寄り、その周囲の衛兵の首を手刀で刻む。
そしてエルモアを繋いでいた特殊な拘束具ごと、エルモアを運んで、衛兵たちから少し離れる(特殊拘束具のおかげでエルモアごと物理的に持ち運びが可能)。
「……っぐく!? だ、だめだもう限界だ」
たったそれだけの動作、およそ数十秒程度でまたも、強烈な頭痛が恭介を襲う。
「≪マインドブースト、オフ!≫」
景色の速度が正常に戻り、同時に周囲の兵士たちがざわつく。
「なな、なんだ!? 兵たちが突然血飛沫をあげて倒れたぞ!?」
「捕らえていたアンデッドの娘もいないぞ!?」
慌てふためく兵士たちを冷静な目で見ていたカシオペアは、すでに恭介がエルモアを救い出していることに、いち早く気がつく。
「……貴様、まさかとは思うが……」
そしてカシオペアはついに勘づいた。
「まさか……オルゴウムさまを喰った、のか?」
「……はあッ! はあッ! ……さぁて、ね」
激しい頭痛に耐えながら、恭介は不敵に笑う。
「それしか考えられん。しかし加速した精神に肉体が追いついているのが不思議でならん。以前も思ったが貴様の身体能力にも、何か秘密があるな?」
「……ふふ、ふ」
恭介は答えずにカシオペアを見据えた。
恭介は気づいていなかったが、通常、オルゴウムのマインドブーストはあくまで脳内処理の加速だ。
マインドジャックなどをしていて、精神世界での話ならば純粋に脳内が加速している方が全てにおいて処理が早いため当然圧倒的な強さとなるが、現実世界では基本、そうはならない。
ブーストすると確かに景色や時間の流れはとてつもなく遅く感じるようにはなるが、術者本人の身体も同様の動きしか『本来なら出来ない』。
しかし恭介の場合、究極強化が大きな効果をもたらしている。
これによって、加速した脳内処理に対し、実体のフィジカル処理もある程度、追いつくことができている。
が、しかし。
(と、とんでもない負荷だ。マインドブーストを切れば恐ろしい頭痛は和らぐ。が、身体が悲鳴をあげてる。全身が酷い筋肉痛だ……)
加速した世界でフィジカルを同時に動かすということは、現実世界ではとてつもない速度で肉体を動かしているのと同意義だ。
ともすれば、全身が悲鳴をあげるほどの激痛にさえなる。
「どちらにせよ、やはり貴様は危険人物だ。ここで捕えるか、もしくは殺処分せねばなるまい」
カシオペアは腰に携えていた細身の剣を鞘から、抜刀する。
「……お前、僕の言葉を聞いていなかったのか?」
身体の痛みに耐えながら、強気に恭介は言葉を放つ。
「なに?」
「僕は言ったはずだ。この子を傷つけるようなことの一切を僕は許さない、と。だが、お前は僕の忠告を無視した」
「そうだな。それがどうした?」
「悪いが全員死んでもらう」
恭介はそう言うと同時に、最強魔法の詠唱を始め、
「……≪ウルティメイトデス!≫」
そして魔法を唱える。
だが。
(……発動しない!?)
「貴様が即死魔法を扱える理由はわからんが、使えるということはすでに重々わかっている。だったら、その対策をしないわけがなかろう? この周囲一体に暗黒魔法のアンチマジックを施してある」
「……へえ、そう」
余裕を見せる恭介だが、このままでは手の打ちようがない。
「さて……とりあえずそのアンデッドをこちらに返してもらおうか」
「誰がはいそうですかって、渡すもんかよ……!」
恭介がエルモアを庇うように前に出て、身を挺する。
「……っふ」
直後、カシオペアは微笑した。
「何がおかしい!?」
「すでにそのアンデッドは私の後ろにいるがな」
「な……に……!?」
つい先程まで恭介の後ろにいたはずのエルモアが、再びカシオペア率いる兵士たちのもとで捕まっている。
(やはりアイツの動きは速いという次元の話じゃない。何かもっと別な……)
そして恭介のその疑問は、とある光景を見て更に膨らむ。
(……いや、待て。おかしいぞ!? カシオペアだけが速く動いていたとしたら、こんな風にはならないはずだ)
そう、エルモアはカシオペアが捕まえているのではなく、後ろの兵士たちが再び捕まえている。
つまり恭介以外の人間が皆、異常に速く動いていることになる。
それは少し考えにくい。
と、なると考えられるのは……。
「まさか、お前は僕の時間を止めている、のか?」
「……ほう? よく気がついたな」
だからこそ恭介だけが認識できていなかったのだ。カシオペアが速く動いているのではなく、恭介の時間だけが止められているからこそ、兵士たちも普通にエルモアを捕らえている。
『そうか! だからあたしたちも認識できなかったんだな?』
体内にいるイライザたちも同時に時を止められてしまっているから、カシオペアだけが異常に速く動いているように錯覚させられていたわけだ。
「そうだ。見抜いたからには教えてやる。私のユニークスキル『フリーズタイム』は、対象の時間を止める。たったの数秒だが、それは戦場において無類の強さを誇る」
まさしくその通りだ。
時を止められてしまえば、自分には何が起きているのか全くわからず結果だけを認識する形になる。
それでは例え脳をブーストしようと、肉体を超強化しようと、どうすることも適わない。
「……さて、種明かしはここまでだ。貴様はどうやらあくまで私たちに逆らうようだ。よって、このアンデッドは早急に処分することに決めた」
「くそ……っ!」
しかし恭介はエルモアには悪いと思いつつも、むしろあの具現体が殺されれば、エルモアの魂はまた自分の中に還るはずだから好都合か、とも考えた。
「コールアイテム! オープン≪ディメンションケージ≫」
しかしカシオペアが行ったのは、エルモアへの攻撃ではなく。
「少年、私を舐めすぎたな。どうせこのアンデッドをただ殺すのだと思ったのだろう? 確かに普通のアンデッドであるなら殺してマナに還元するのが最良の選択肢だ。しかし、こういう場合は少し違う」
「な、何をするつもりだ!?」
カシオペアは不敵に笑うと、ディメンションケージと呼ばれた手のひらサイズの箱状のアイテムをエルモアの方へと向ける。
「恭介さま! 恭介さまぁッー!!」
「光栄に思え、下劣なアンデッドよ。この聖遺物、ディメンションケージは72時間に一度しか開かない貴重な代物なのだからな」
「いやぁ! 離してぇ! 恭介さまぁーーーッ!!」
「大人しく、時空の狭間へ飲み込まれるが良い」
「いやああああああああぁぁぁぁぁぁーーーッ……」
その悲痛な叫びを最期に残し、エルモアはその箱状の中へと吸い込まれてしまう。
「……処分完了」
カシオペアはそう言って、その箱状のアイテムを再び懐へと収納した。
「お前……エルモアに何をしたんだ!?」
「罰を与えた」
「罰……だと!?」
「そうだ、このアンデッドは貴様のツレなのだろう? 貴様の態度や行動は国家反逆罪だ。ゆえにその罪の一端をこのアンデッドにも担わせた。この世界からの永久追放という形でな」
「永久……追放……だって!?」
「罪の重い者は殺すだけでは生ぬるい。別の時空に送り込み、生きているのか死んでいるのかすらわからない永遠の孤独を、その空間で彷徨い後悔し続けるのだ」
「そ、それってつまり……」
「そうだ。あのアンデッドの娘は、もう二度とこの世界に戻ることはない」
恭介はすぐさまエルモアのユニークスキルである『臆病者の術』を発動してみる。
(スキルは発動している……!)
「エルモアを元に戻す方法はないのか!?」
「ない。ディメンションケージは神々が残した聖遺物。我々もその先がどうなっているかなど、まるで知らぬのだからな」
「そ、そんな……」
つまり、エルモアという存在の核は恭介の中に残り続けたが、エルモアという人格は未来永劫戻ってくることはない、ということでもあった。
『恭介さま……あたしも見たことがあるから知ってる。あのカシオペアが持ってるディメンションケージ内に送られた存在は、その全てがここではないどこかへ消え去り、二度と帰ることはないんだ……』
イライザが悲しそうに呟く。
その言葉を聞き、恭介は愕然とし膝を崩した。
エルモアの精神がその別時空でどうなるかはわからない。しかし多分、そこでエルモアが死しても恭介の中の核へ再び魂が戻る、ということにはならないだろう。
カシオペアは薄々気がついていたのである。
エルモアというアンデッドの少女を殺せば、この少年の元にその精神が戻る可能性がある、ということを。
だからこそ、この手段を用いた。
恭介はもう二度と、この世界でエルモアと会話することは適わないのだ。
「あのアンデッドの存在自体をこの世界から追放したのは、貴様への罰だ」
「……」
カシオペアの声は恭介に届いていない。
何故なら今、どうしようもない感情を整理するための自問自答が止まらないからだ。
なぜ、エルモアは消される必要があったのか。
エルモアがなんの罪を犯したと言うのか。
それとも自分が悪いのだろうか。
そうか。
自分が悪いのだ。
自分の甘さが、どこかにあったからだ。
自分の体内に取り込んだアンデッドは、いつか必ず元に戻せるとタカを括っていたその甘さが。
――それが、こんな結末を招いたのだ。
「……」
恭介の中での激しい自問自答は留まることなく、そんな想いがループする。
「いつまでうずくまっているつもりだ? 貴様もこのディメンションケージで別時空に飛ばされたくはなければ、大人しく我々に捕縛されるが良い」
カシオペアはゆっくりと、膝をついたままうな垂れる恭介の元へと歩み寄る。
そして。
「おい、聞いているのか少年」
顔を伏せる恭介に、カシオペアが手を伸ばそうとしたその時。
「……ッ!?」
これまでに体験したことのない強烈なプレッシャーを感じ取る。
「な、なんだ!?」
カシオペアは人生で初めて『恐ろしい』と、素直に思った。
何がどう恐ろしいのかはわからない。
ただ、恐ろしい、という感情だけが先行した。




