五十四話 マスター・オルゴウムとの対峙
ミッドグランドのアンダーグラウンド、その中心部にあるセントラルホールのその構造は、更に地下深く、広くにまで及んでいる。
地表エリアからセントラルホールに行く一般的な方法は、各所にある地下への階段をくぐる必要があった。
しかし最も近道をするなら、少し変わった入り口がある。
それは地表エリア、中心部にある公園の噴水の中。
大きな噴水は常時、水を噴き出しており、その受けのプール部はそれなりに深めに作られており、プール部の底はほとんど見えることはない。
その底に、地下エリアのセントラルホールへと直通する長いハシゴがあるハッチが設けられていることは、一部の管理者しか知らない。
恭介が噴水の底に気がつけたのは音だ。
噴水のプールの底から響いてくる嘆きの声のおかげでこのハッチに気づけた。
そして水耐性を『反射』モードにしてプールに入れば造作もなく、ハッチから地下へと潜入できたというわけだ。
セントラルホールまで辿り着いたのはいいが、嘆きの声は更に地下深くから聞こえてきていた。
しかしそれ以上地下へ潜るためには、専用の鍵が必要だった。
騒ぎにしたくはないと思っていた恭介だったが、アンデッドと思われる少女の、あまりに悲痛な声が耳に届き続け我慢がならなくなり、ついに究極強化した身体で床や施錠された扉を強引に破壊せしめてきたというわけだ。
そしてようやく辿り着くことができた。
助けを求める、苦痛に嘆く、その声の主のところまで。
「待たせたね、もう安心してくれ」
恭介は涙でボロボロになっている少女に声をかける。
「……え……だ、だれ……?」
「僕は……え?」
手を差し伸べようとしたそのアンデッドの少女を見て、恭介は驚愕した。
見覚えのある顔。
転生前の世界で死別した妹、鞠華によく似たその顔立ち。
特徴的な長い耳。
「まさか……マ、マリィさん、なのか?」
「マリィ……私は……マリィ……」
まだ記憶が錯乱状態なのだろうか。アンデッドの少女はぶつぶつと自身の名を繰り返す。
「マリィ……うん、そう、私はマリィ。あなたは……あ、あ……あなたは……あなたはッ!」
マリィと呼ばれたアンデッドの少女はその瞳を見開き、次々と鮮明に蘇り始めた生前の記憶を辿り、そして目の前の少年のことをようやく、ようやく思い出す。
「まさか……そんな…本当に……?」
マリィは更に涙を流した。
それは、さまざまな感情。
「ああ、僕は恭介だ。まさかキミが本当にマリィさんだなんて……」
恭介もまた、彼女に出会えたことに感謝し、涙を浮かべる。
無残にも殺された彼女とは、もう二度と会うことは適わないのだと思っていたのだから。
アンデッド化したとはいえ、それでもマリィはマリィだ。
恭介はこの奇跡を、救いのないこの世界の中のほんのわずかな慈しみだと感じざるを得なかった。
そして。
「マリィさん、あの時はありがとう。僕を必死に助けようとしてくれて。そしてごめん。あの時に助けてあげられなくて……」
ようやく言えた。
あの時のお礼を。
「ううん。私こそ……また助けてもらっちゃったんですね……ありがとう、恭介さん……」
恭介はそっと、優しくマリィを抱きしめるように身体を覆ってあげた。
もちろんアンデッドと化してしまった彼女に触れることはもう適わない。
しかし、ぬくもりというのは所作や動作、感情から伝わるものだと思っている。
だから恭介は、壊れそうに怯えている彼女を、彼女の心を、温かな抱擁で安心させてあげたのだ。
「……マリィさん、本当にまた会えてよかった」
「恭介さん……」
マリィは久々に感じる人の心のぬくもりに、嬉し涙を流し続ける。
「おいおい、貴様らこの私を無視して何をそんなところでイチャついてるんだ? ぁあ?」
そんな二人の再会を割くように、下卑た男の声が響く。
「そこのアンデッドのメスは私のものだぞ」
「……マリィさん、ちょっとここで待っててくれ。僕は害虫を駆除しなくちゃいけないからね」
「え……う、うん……」
恭介はマリィに向けていた優しい笑みを瞬時に切り替え、冷酷な表情でオルゴウムへと対峙した。
「さっきも言ったけど、お前の祭りはこれからだ」
「汚らしいガキめ……貴様は何者だ? 私をミッドグランド最大施設のセントラルホールを取り仕切るマスター、オルゴウムと知っての無礼か?」
「やっぱりお前がマスターって奴なんだな。それなら話は早い。僕からの要求に素直に答えろ」
「要求だあ?」
「このセントラルホールに囚われている、全てのアンデッドたちを解放しろ」
オルゴウムは目を丸くして、不敵に笑い出す。
「くくく。何を言い出すかと思えば……貴様は頭が沸いているのか、それともアンデッド並みに腐っているのか? そんなことをしてどうするというんだ?」
「罪もないアンデッドたちを痛ぶるのは、許されないことだ。彼らには心がある。人族となんら変わらない。そんな彼らを家畜のように扱うのは間違っているからだ」
「はーっはっはっはっは! これはおかしなことを言うガキだ! 許されないこと? 許されないこととはなんだ!? 誰が、何を許さないのだ!? アンデッドに人権などないのは世界共通事項だ! 言ってみろ! 誰が私の何を許さないのだ!?」
大笑いして、恭介を蔑むように見下すオルゴウムに対し、恭介はその目元を更に鋭くして、
「……この僕だ」
そう言い放つ。
「……貴様が? 貴様がこの私を許さないと?」
「そうだ」
「なるほどなるほど。よくはわからんが、貴様は人の癖にアンデッドに与する者というわけだな。それなら許されないのは、むしろ貴様の方だ。わかっているのか? アンデッドを守るような行為はそれ自体がそもそも『法』に触れる行為だと言うことを」
「……確かに僕はこの国や世界の法には疎い。だが、そんなことは関係がない。自分の中の正義が叫んでいるんだ、貴様だけは絶対に許さない、ってな」
恭介はボキボキっと拳を鳴らして、威圧する。
「そうかそうか。でも私は貴様に許されなくとも何にも困らない。大人しく捕まる方が身のためだぞ?」
「僕の身のため?」
「そうだ。今度は私から貴様に二つ選択肢を与えてやろう。ここで私に拷問されるか、大人しく器物損壊とアンデッドに与して人族に仇なす危険人物として王宮に出頭するか。好きな方を選ばせてやろう」
そのオルゴウムの提案に対して恭介はひとつ、大きなため息を吐き、
「……わかった。お前との会話は時間の無駄だ。問答無用でやり合おうか」
恭介とオルゴウムは、お互いに身構え、一触即発の状態となった。
この男には無慈悲な罰が必要だと恭介は思った。
なので簡単な即死魔法ではなく、肉体的苦痛を味わわせてやるために、物理的に痛めつけようと考える。
「くくく、どこのガキか知らんが身の程知らずな馬鹿め」
「……それはお前だ」
目の前の敵、オルゴウムはどうみても今の自分の敵ではないことくらいわかる。
この男を瞬時に殺す方法はいくらでもあるが、それでは生温いと思った。
だから恭介は、なるべく痛みをわからせてやろうと考えた。
(脚力に集中……)
太ももから足の指先までの全神経を、研ぎ澄ます。
そして思い切り足場を蹴り飛ばし、超高速移動でオルゴウムの足元にまで一気に詰め寄る。
「き、消えた!?」
オルゴウムの目には一瞬で恭介が消え去ったようにしか見えていない。
そして。
トンッ! トンッ! と、二箇所に手刀を打ち込む。
「……な?!」
なんだ、と言おうとした寸前、オルゴウムは倒れた。
恭介はまず、逃げられないようにするため、両脚のスネの骨を砕いた。
立っていることが不可能になったオルゴウムは、その場で倒れ込む。
そして自分の足を見た。
「ひ、ひ……!?」
スネより下、足首の方が、膝が折れる方向とは真逆に、ひん曲がってしまっていることに恐怖し、そして遅れて激痛に襲われる。
「うぐぐぐ……あ、うう……そ、そんな……わた、私の、あ、足が……」
倒れ込んで、痛みに苦しむオルゴウムを、恭介は冷ややかな視線で見下ろす。
「少しは人の痛みがわかったか? クズめ」
「き、貴様は一体……!? 私に何をしたんだ!?」
「何って、別に。ただの手刀でお前のスネの骨を砕いただけだぞ?」
「しゅ、手刀……だと!? う、嘘をつくな! そんなこと、貴様のように貧弱そうなガキに出来るわけが……! 何かの技法か魔法であろう!?」
「……ま、別にお前がどう思おうと構わないさ。なんなら今から、お前の目に止まらない速度で腕の骨をへし折ってやってもいいんだぞ?」
「うぐ……な、なぜ私を襲う!? 私が何をした!?」
「弱者をいたぶっていただろう? その罰だよ」
「ふ、ふざけるな! 私は……人にはなんの危害も加えてなどいないぞ!」
「だからお前はクズなんだ。アンデッドであろうと、魔物であろうと、知性あるものには必ず痛みや苦しみというものがある。それがわからないのか?」
「……うぐ、ぐ……ア、アンデッドだって、私たちを喰い物にするではないか!」
「じゃあ聞くが、この子はお前に何かしたのか? お前を脅かすような行為をしたのか?」
「そ、それは……違うが……そういうことではない! この世は所詮弱肉強食であろう!? 強い者が弱い者を食う! 強いアンデッドが人間を食うように、強い人間がアンデッドを食っているだけに過ぎんだろう!? 違うのか!?」
「……そうだな。お前の言ってることは間違ってない。だとするなら、僕がやっている行為もまた間違っていないだろう? 強い僕が弱いお前を食っているだけなんだからな」
「っく……ガキめ、屁理屈を……貴様が暴行を働いている相手は人族なんだよ! 法に逆らっているだろう!? アンデッドを守って、人を襲う、なんていうのはッ!!」
恭介は少しだけ瞳を閉じ、そして小さく笑って、
「……ふふ、そうだな。だから僕は法の外側になってやるんだ。お前たち人族の王を喰らう、アンデッドたちの王に。ワイトディザスターになぁッ!」
という恭介のその言葉にオルゴウムは絶句した。
「さあて、今度は僕からお前に選択肢をやろう。一つめは、大人しく全てのアンデッドを解放すること。二つめは、ここで僕に殺されること。後者の場合、お前は楽には死ねないからな」
「く、くそ……」
オルゴウムは観念したかのように、頭をガクっと下げる。
その様子を見て、恭介はマリィの方へと振り返り、親指を立てて勝利の合図を送った。
「……恭介さん」
マリィは心から彼に感謝し、そして少しだけ笑みを溢して、また嬉し涙を流す。
恭介もようやく彼女が笑ってくれたことに、ほっと胸を撫で下ろした。
オルゴウムがまだ顔を伏せ、苦痛にその表情を歪ませつつも、不敵に笑っていることになど気づきもせずに――。




