五十三話 白馬の王子さま
鉄格子の重い扉がギギィ、と嫌な音を立てながら開かれる。
「……ひ」
それがまた地獄の始まりだとすぐに察したアンデッドの少女は、もうすでに涙を浮かべていた。
また、つい一時間ほど前に散々味わわされた、あの恥辱を、苦痛を、地獄を、この精神体で犯され続ける。
そう思うと、頭がおかしくなりそうだった。
「……どれ、だいぶ落ち着いただろう? そろそろまた楽しい時間の始まりだ」
オルゴウムは下劣な笑みを浮かべる。
「や、やめて……お願い……私もう、おかしくなりそう……なんです……」
「おやおや、面白いことを言うな、このアンデッドは。お前たちは存在自体がすでにおかしいんだぞ? わかっているのか? ん?」
「わ、私は……アンデッドなんかじゃ……」
「ふーむ。まだ自覚が足らないのか。そこをしっかり認識しないと、可視化レベルのコントロールがうまくできないぞ。いいか、何度も精神汚染の中で言っているが、お前はとっくの昔に死んでるんだよ」
「う、うそ……そんなの信じられない……」
「あぁん? なんだお前? 私の言うことが嘘だって言うのか?」
オルゴウムが睨みを効かすと、アンデッドの少女は目を逸らして、
「も、申し訳ございません、マスター……」
と、しおらしく返事をした。
この身に染み付き始めているのだ。
この男、マスターに逆らってはいけない、と。
「生前の名前、確かマリィとか言ったな? 安心するがいい。お前には今から施す精神汚染で新しい名前を授けてやると共に、自分がアンデッドなのだと自覚させてやるからな」
オルゴウムは言いながら、右手をアンデッドの少女の頭にかざす。
「いや……いや……!」
アンデッド少女は必死に抵抗を試みるが、この鉄格子の中では何故か満足に身体を動かせない。
「くくく。今度はどういうプレイをお前に教え込んでやろうか、楽しみだなぁ!」
「あ……ッ! あ……ッ!」
じわりじわりとオルゴウムの思念がアンデッドの少女の中へと入り込んで行く。
また自分はこの男に好きなように身体を弄ばれてしまうと思うと、屈辱と恥辱により図らずとも涙が溢れ出す。
「さあ、まずは快楽に溺れるがいいッ」
オルゴウムのアンデッド調教が始まる――。
と、思われたその時。
ドォオオーン、という大きな破壊音が石造の天井から響き、オルゴウムのいる第十三番地下部屋全体が揺れた。
「な、なんだ? 地震か?」
先程も何度か奇妙な振動があったことを思い出す。
セントラルホール入り口で何かあったのだろうか、とオルゴウムは上を見上げる。
すると、ピシィ! っと、ちょうどオルゴウムの真上の天井に大きな亀裂が走った。
これはまずい、とすぐに思ったオルゴウムはすぐさまアンデッドの少女に掛けていた精神汚染を解いて、その場から逃げるように離れる。
直後――。
ガラガラガラッと大きな音を立てて天井が崩壊し、大量の石片と何かが一緒に降ってきた。
「……っごほ! ごほ! な、なにごとだ!?」
地下部屋内に沸き立つ砂埃にむせかえりながら、オルゴウムは口元を手で抑える。
砂埃が晴れてくると、崩落した石片の中央に何者かが立っている黒い影が窺えた。
「くそっ! 祭りが始まる前だって言うのに……トラブルか!?」
オルゴウムはこれを何かの事故かと思ったのだ。
「……違う。これも祭りさ」
黒い影から声がする。
「な、何者だ!?」
オルゴウムの問いかけに、
「お前のその身体を八つ裂きにする、血祭りの始まりだよ」
その黒い影、――小さな体躯の少年はそう答えた。
●○●○●
マリアンヌはまだこのセントラルホールに囚われてから日が浅い、ストリッパーとしては見習いのアンデッドだった。
そして自分は一体いつから、なぜここにいるのかすら、今は忘れてしまっていた。
「違うわ、そうじゃないって言ってるでしょマリアンヌ。殿方を喜ばす見せ方はこう!」
「……ぅう、ロクサンヌさま。私はもうこんなことしたくはないです……っひっく。……ぐす……」
ただ自分はアンデッドであり、人様を喜ばせるために在るのだと言うことだけは教えてもらった。
だが、マリアンヌはいつまで経ってもそれに順応することがどうしてもできなかった。
他の先輩アンデッド方のように、うまくできなかった。
だからこそマスターに、嫌と言うほど毎日怒られ、精神汚染による折檻を喰らう。
そして辛くなるとすぐにこうやって泣き出してしまう、心の脆いアンデッドであった。
「……はあ。あんた、見たところアンデッドになってからはだいぶ経ってる感じだけど、それにしては泣き虫よね」
ロクサンヌも、もちろん半幽体のアンデッドである。しかしその容姿はマリアンヌに比べてだいぶ大人びた雰囲気を感じさせる。
「まあまあロクサンヌさん、そう仰らないで。私もここに来たばかりの時は同じようなものでしたわ」
柔らかな物言いで、そう諭すのはフレデリカ。ロクサンヌと同じく、このセントラルホールでストリップショーを行ない続けてきた先輩だ。
「ねえ、マリアンヌさん。なぜ今、マリアンヌさんが苦しいかわかりますか?」
フレデリカは優しい笑みで小柄なマリアンヌに目線を合わせて問いかける。
「それはね、抗おうとするからですよ」
「え……?」
「いいですか、私やロクサンヌさんが耐えられるのは、下手に抵抗しないからなんです。マスターの汚染は抵抗に対して極度に反応を高めます。だから、どれだけ犯されようと、恥部を晒そうと、それが普通なのだと受け入れてしまうんです。諦めてしまうんです。そうすると、心がスッと軽くなりますよ」
つまり、フレデリカの言ってることは全てに屈服しろ、あの下劣な男に何もかもを委ねろ、と言っているのだ。
「そ、そんなのイヤ、です……」
「ねぇ、あんたさぁ、何を望んでんの? イヤだ、できない、って泣き喚けば何か良いことでもあるの? 誰かがあんたを救ってくれるの?」
ロクサンヌは苛つきを表に出しながらマリアンヌを問い詰める。
「ここからあんたを救いに来てくれる誰かがいるとでも思ってんの? そんなのいるわけないじゃない。バッカじゃないのッ!?」
「ロクサンヌさん、そんな言い方は……」
「フレデリカは黙ってて。あたしはさぁ、こういう世間知らずの夢見がちな馬鹿には、現実を突きつけてやらないと気が済まないのよッ!」
ロクサンヌはキッとマリアンヌを睨みつける。
「あんたはアンデッドなの! あたしたちもそう! アンデッドはこの世界では忌むべき存在としてしか見られない! どこにも救いなんてものはないのよ! あんたがまだ生きてるお姫様とかだったら白馬の王子様でもやってきて、頭お花畑のあんたを助けに来てくれるかもしれない。でもあんたには、そんな可能性なんてこれっぽっちもないのッ! わかる!? あんたも、あたしたちもッ!!」
「……っう……っう」
マリアンヌはそう問い詰められ、また大粒の涙をボロボロとこぼす。
「……泣くんじゃないわよッ! このグズ! 泣けば誰かがなんとかしてくれるなんてのは、甘い幻想なのよ! あんたもさっさと現実を受け入れて……受け入れて……それで、あたしたちみたいに、早く……楽に、なりなさいッ……よッ!」
ロクサンヌは怒鳴り上げる。
しかし、その叱咤激励は余計にマリアンヌの心を色んな意味で震わせた。
「……ううッ。もういやぁ……いやぁ……」
マリアンヌは再び泣き喚く。
「イヤなのは、あんただけじゃあないッ!!」
ロクサンヌはマリアンヌへ怒鳴ると同時に、自分も涙を流していることに気がついていなかった。
それを見たフレデリカが悲しそうな表情で俯く。
そんな二人を見て、マリアンヌもわかった。
わかってしまった。
ロクサンヌもフレデリカも、本心では救われたいのだと。
マリアンヌと同じく、微かな希望を捨てきれずにいるのだと。
そして自分たちには希望などないのだ、と言うことも――。
●○●○●
「これは良い人材を拾った」
細身の体に王族の服を着こなし、軽めのマントを羽織る、眼光の鋭い男は呟いた。
「こちらの方、どうなさるおつもりですか?」
その男の前に平伏す、メタリックグリーンに輝く軽鎧を着た兵士が問いかける。
「使い道は無数にありそうだ。が、ひとまずは底無しの迷宮の先発隊に派遣させたい。この娘のスキルはまさに、厄介な魔物を退治するのにはうってつけだ」
「っは。では今からラビリンス先発隊のリーダー、ペルセウスに連絡致します」
「ああ。それと貴様は、セントラルホールへ迎え。何やらオルゴウムがエマージェンシーアラートを鳴らしている」
「オルゴウムさまが……?」
「この娘と一緒にいた、侵入者の仲間だろう。どういうつもりかは知らぬが、生きては返せぬ。理由も知りたい。必ず生捕りにしてこい」
「っは! このカシオペア、命に替えましてもその使命を必ずや達成致します」
「うむ、吾輩は少々やらなければならぬことができた。あとは頼むぞ。では行け」
「っは!」
カシオペア、と名乗ったエメラルドグリーンの軽鎧を着た男は命令通り、セントラルホールへと向かう。
男の前の床には、意識を失っている娘が倒れ込んでいる。
「……どういうつもりだ? イニエスタ。貴様の差金か?」
この男こそ、ミッドグランド現王、ニコラス・シャルル三世であった。
そして気絶させられ捉えられていたのは、
「サンスルードの英雄、ストレイテナーを遣わすとは、一体どういうつもりだ? 我が国ともやりあうということなのか……?」
聖剣の勇者、ストレイテナーであった。




