三十一話 復讐の恭介
「三体か。しかもアレはかなり強そうだな」
エントランスホールの穴より、根暗そうな拷問人のコムルによって投げ入れられた三つのボール状アイテムは、その全てが魔物となって現れた。
チラり、と上を見上げると根暗そうな拷問人のコムルが、こちらを楽しそうに覗き込んでいるのが窺える。
(僕で遊んでるのか。ふーん)
思いつつ、三体の魔物にも目を配る。
「マンティコア、ね。見た目は色んな魔物が複合されたキマイラみたいなもんか」
顔と体躯はライオンのような獣、背中にはコウモリのような羽、尾は三匹の蛇がうごめくマンティコアは、見た目通り恐ろしく強そうな魔物である。
「……ジェネがいないと敵の強さが測れないな」
恭介が使える即死系魔法の残り回数は、コムルたちの予測より一回少ない、残り二回。
ウルティメイトデスを使えば楽勝だろうが、基本的にはこの先の戦いを見据えると即死系魔法は温存しておきたい。
(まだウルティメイトデスを反転吸収したバフは効いている。肉弾戦でどこまでやれるか試すか)
恭介は転生前はなんの取り柄もないただの会社員だ。もちろん武道の心得などない。
だが、恭介も男だ。格闘技に興味がないわけではなかった。
格闘を基軸にした漫画で大ファンな作品もいくつかあり、その中に出てくる適当な構えを見繕ってみる。
「こんな感じ、だったかな。トラケラトプス拳……ってね」
その不可思議なポーズに触発されたのか、三体のマンティコアは、
「ギィヤァァアォオオオオオオッ!」
と、激しく雄叫び、恭介を敵と認識する。
「さぁ、かかってこい……って、うお!?」
余裕そうに身構えていると、三体のうち真正面に居た一体のマンティコアが予備動作もほとんどなく、口を開いて勢いよく炎を吐き出す。
「ぉおー。こりゃあさっきの火の玉の魔法使ったやつより強力な火炎なんじゃないの?」
全身に炎を浴びせ続けられながら、呑気にぼやいていると、
「ぉおお?」
今度はいつの間にか背後に回り込んでいた一体のマンティコアに、鋭い爪で背中を何度も切りつけられている。
「図体に似合わず素早いね……って今度はこっちか」
背後の爪に気を取られていると、今度は恭介の側面からマンティコアの尾の蛇が三匹同時に猛毒の液を吐き出してきた。
「うんうん、なるほど。会話能力のない魔物同士でもこうやって連携を取ったりするんだな」
もちろん、それらのどの攻撃も恭介にはまるで効くはずがない。
炎は恭介の身体を弾くように割れ、爪も恭介の衣服すら切り裂かず、毒液も肌に触れる直前で揮発する。
「あとキミらの攻撃として想像に難しくないのは、噛みつきとか突進とかかな? 魔法は何を使うのかよくわからないけど」
色々試してみたかったが、しかしこれ以上遊んでいる暇はない。
「悪いが、僕の邪魔をするなら駆除させてもらう」
まずは一番近くで背後から執拗に爪で切り裂こうとしてくるマンティコアに、裏拳を当てるべく左腕を振るった。
その拳は恭介が自身で想像するよりも早く、マンティコアの顔へと辿り着き、パァンッ! と、大きな風船が弾け飛ぶような派手な音を鳴らす。
「おっわ!」
恭介が驚いたのは自分の強さではなく、マンティコアの頭の柔らかさ。ソレはまるで、柔らかな豆腐を殴ったかのような感触。
結果は豆腐を殴り飛ばした時に起こり得るものと、同様に、マンティコアの頭部は血飛沫をあげて弾け飛んだ。
「……ちょっと本気で殴るとこうなるんだな」
先程のアシャという魔法師を殴り飛ばした時は、さほど力を入れていない。
力を込め、スピードを乗せて殴ると、ただの拳でこれほどの威力となるわけだ。
そして――。
残った二体のマンティコアも、恭介の拳によってワンパンチでKOされた。
「……やっぱり戦闘能力4027って数字は伊達じゃないな」
自分の強さが尋常ではないことに、改めて思い知らされる。
「……さて、っと」
上を見上げる。
エントランスホールに空けられた穴の付近には、すでに誰もいない。
「できるかな、っと!」
ぐっと、膝を屈伸し、思い切り垂直跳びを試みる。
「うはっ! できたできた!」
恭介は思い描いた想像通り、たったの一度のジャンプで優に十メートルを飛び、エントランスホールに戻って来れた。
「よーし。ウルティメイトデスのバフが切れる前に、全員捕まえるぞー」
まるでゲーム感覚で恭介は呟く。
恭介はまだ、この時、真に気づいてはいなかった。
通常では決してありえない、即死魔法をバフに換えるという驚異的なその威力のほどを。
それがこの世界を変えるのに充分すぎるチート能力であることを――。
●○●○●
白衣の拷問人たちは、慌てて各々が逃げ出していた。
「……や、やばいぞ、あれは」
根暗な拷問人、コムルも長廊下を走り逃げながら呟く。
恭介の強さはまるで次元が違いすぎた。
「あ、あれは……人族伝説の裏切り者、ワイトディザスター級だ……」
マンティコアは総合戦闘能力で言うと、およそ150ほどはある。
それなりの実力を持った冒険者のパーティが三人掛かりでようやく一体倒せるかどうか。
それをあの奴隷の少年は、たったのパンチ一発で全て倒し切ってしまった。
即死魔法を使わせるどころではない。あれほど人智を超えた強さは、勇者クラスか神クラスだ。あれでは大概の魔物も人間も太刀打ちできないと理解した。
エントランスホール出口には強化魔法が掛けてあるが、恭介のありあまる常人離れしたあのパワーでは、そんな施錠は無意味だろう。アレならどこからだって屋敷を出ていける。
しかし少年は屋敷を出て行かない。それはつまり。
「……こ、このままじゃボクたち全員」
と、コムルが最悪な未来を想定した直後。
「っえ?」
ドゴォオオオオっと、激しい音がして、コムルの背後に位置する施錠されていたはずの木製の扉が、まるで紙切れが飛んでいくかのように、自分の真横を吹き飛んでいった。
「あー、ごめんごめん。鍵が開かないから、ちょっと力強く蹴り入れたら吹き飛んでっちゃったよ」
恭介が薄ら笑いを浮かべながら、コムルの後方数メートルで言い放っていた。
「……ッッ!」
コムルは恐怖した。
何に一番恐れたかというと、
「……皆逃げ足早いなぁ」
奴隷の少年は、笑っているのだ。
本人は気づいているのか、否か。
その全身を様々な返り血を浴びて、血塗られている装いの中で、笑いながら普通に話しかけてくるのだ。
「えーと、キミは確か……爪を剥ぐのが好きな根暗くんだったね。キミが一番最初かぁ」
コムルは恭介の言葉に畏怖しつつも、
「な、何が一番……最初……なんだ?」
と尋ねると、
「何って、そんなの決まってるでしょ。僕がこの数日間でお世話になってきた五人の中で、一番最初にお返しができる人ってことだよ」
ニコっと笑って、恭介は肩をぐるり、と回した。
「……ボ、ボクを殺す気か?」
喉をゴクリ、と鳴らしながらコムルは更に問う。
「そうだよ? どうして?」
「ひ、人殺し……だぞ……?」
「そうだよ? 知ってるけど?」
「……許されない罪を一生背負うんだぞ」
「馬鹿だなぁ。それを言ったらキミらも散々僕を殺してるじゃないか」
「で、でもお前は蘇る! ボクたちは普通の人間だ! 死んだら生き返れないんだよ! だから……」
「だから?」
「だ、だから……ボクを見逃してくれ……ないか……?」
恭介はうーん、と難しい顔をして、
「……それをすると、僕にどんな得があるの?」
と、不思議そうに問い返す。
「と、得とか損とかじゃないだろ! お前も人間ならわかるだろ! 人殺しは犯罪なんだよ!」
「へー、そうなんだ。この世界でも犯罪とかって定義があるんだね。初めて知ったよ」
言いつつ恭介はニヤァと笑った。
駄目だコイツは、完全にイカれている。そう思ったコムルは、これ以上の問答は無駄だと理解し、再び恭介に背を向け逃げ出そうとした。
「……ッ!?」
が、しかし、突然コムルの身体からは力が抜けていき、走ることはおろか、立っていることすらままならなくなる。
「あー、やっぱり結構時間が掛かるんだなぁ」
恭介は言いながら、コムルのもとへとゆっくり歩み寄る。
「な、なんだこれは? ボクに何一体をした……?」
「サクションって魔法だよ。対象一体の生命エネルギーやマナエネルギーをゆっくり吸収するんだ」
「そ、そんなもの、一体いつの間に……」
「キミが僕を楽しそうにエントランスホールの穴から覗き込んでた時だ。サクションって魔法はどうやら結構集中力がいるみたいでね。マンティコアの炎を受けてる間に、キミに向かって掛けておいた」
サクションという魔法は、高次元暗黒魔法と呼ばれる中でも極めて特殊である。
魔法詠唱を完遂し対象を定めると、その粒子が対象へと射出される。
実はそれが対象を捉えきるまで、しっかり集中しなければならず、戦闘中などで自身が動いていたりすると安易に発動することはまずできない。
だからこそ、恭介はテストも兼ねてマンティコアの攻撃をなるべく動かずに食らいつつ、この魔法をコムルへと掛けてみたのだ。
「それにさ、色々動いたから結構体力もマナも消費していたみたいなんだ。おかげでかなり回復させてもらったよ」
「く……くそ……」
もはや全身に力は入らず、コムルはゴロン、と床に倒れ込んだ。
「さて……これでキミの生殺与奪は僕にある。そこで質問だ」
恭介は、倒れ込むコムルに近づく。
「ここはどこだ? 僕は何故こんな目に合わされた? 僕を捕まえた奇妙な声の男は誰だ?」
「ボ、ボクがそんなのに答えると思うのか……?」
「取引だよ。ちょっと見てほしい」
恭介はそう言うと、廊下に飾られていた鎧騎士のレプリカの剣を掴み、
「っほい」
と、軽く力を入れた。
すると、まるでそれはスポンジのような柔らかさでくしゃり、と変形した。
「ね? 僕の力凄いでしょ。答えなければこれを、指一本ずつ、ゆっくりゆっくり試していく。指が無くなれば次は腕。足、顔。と、まぁキミが痛みを感じなくなるまで試すだけ。どうする?」
「――ッッ!」
コムルは絶句した。
そんな力で握られれば当然無事で済むはずがない。そしてこの少年は、決して楽に自分を殺す気はないのだと悟った。
「……な、なんでそんなことを聞く?」
と、コムルが再び問い掛けると、
「質問に質問で返すな。二度は言わない」
恭介は声のトーンを大きく下げてそう脅した。
「……わ、わかった。ここは、クラグスルア卿の別荘だ。アドガルドから数十キロ離れた、人里から切り離された森の中にある」
「クラグスルア卿ってのはなんなんだ?」
「アドガルドでも大きな権力を持つ貴族だ。裏の実権を握ってる一人とも言える」
「なるほどね。次」
「……お前を実験していたのはそのクラグスルア卿の命令だ」
「なぜそんな命令を?」
「お前たち奴隷が全員不死になれば、最強の戦争道具になるからだ。その第一号がお前だと言っていた」
(……僕が第一号?)
「お前たち奴隷は、クラグスルア卿のお抱え呪術師であるアークラウス男爵の、秘密裏に行われている実験道具だ。さまざまなテストを重ねているが、最終的に魔法で不死の身体を作るのが今の卿の狙いだ」
それを聞いて恭介は不思議な感覚を覚える。
自分がこの世界に転生したのは偶然として、そもそも何度も再生するこの『無限転生』というエクストラスキルは神と言われるダスクリーパーでさえ、いまいちよくわかっていない様子だった。
となると、このスキルはアークラウスとやらの実験の末に宿ったものなのだろうか。
「……まぁいいや、それは。……最後」
「お、お前をここに連れてきたのは、サキエルという男だ」
サキエル。その男がマリィの仇の名。
彼女の最期を思い出し、恭介はどす黒い感情に心が蝕まれていく。
「……ソイツの詳細を教えろ」
「サ、サキエルは表向きはアドガルドの王立ギルド、ナンバー2の実力者だ。裏では様々な犯罪に手を染めている。中でも、女を陵辱するのが趣味な奴だ……」
ギリ……と、奥歯を噛む。
「……ありがと。じゃあこれが最後の質問だ」
恭介は目の奥にあった光を消すように、心を暗く澱ませながら、
「……このまま衰弱して死ぬのと、圧倒的な力で即死するの、どっちが良いか選べ」




